たまにはアウトドアで汗をかこうと、この暑い夏ですが行ってきました。
仙台市野草園のお気に入りの藤棚でしばしの読書を楽しんだのです。 ![]() ![]() 花は美しく、実も真っ青で美しいのに、名前は気の毒な臭木。 ![]() 馴染みの木のはずなのに、初めて見たような気がします。 ![]() まだ青い色ですね。これから色が変わっていくのも面白そう。 ![]() 愛宕大橋から上流側の景色です。 ![]() ▲
by ciao66
| 2015-07-31 12:41
| 仙台散歩
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ヴァイマルにはここで宮廷楽長を13年ほど務めたフランツ・リストの家があります。
リストがヴァイマルに招かれたのは1848年で、ゲーテが亡くなった16年後のこと。 ![]() ![]() ![]() ![]() ここはリストが宮廷楽長を辞した後、1869年1月に宮廷に招かれた際に、 ひと夏を過ごすために特別に用意された家なのでした。 リストの胸像。 ![]() ![]() ![]() (若いほうはデスマスクでは無く、本当はリビングマスクでは?と私・・・) 初めのもデスマスクとよび、若い頃の姿をとどめる意味でしょうか そういう習慣があるのだと。今の時代にまた復活すると面白いかもしれませんね。 ヴァイマル時代はピアニストとしての第一線を退いた時期ですが、 作曲家としてはこの時代に最も活躍したそうです。 そういえば、リスト音楽院がお城のそばにありました。 当時のレコードジャケットでしょう…と思いましたが、 リストが亡くなった当時、すでにレコードは発明されたものの、まだ実用化の少し前。 超絶技巧のリストの演奏というわけでは無く、リストの作品だったのでしょうか。 ![]() ![]() ![]() ![]() 一番奥にあるのは霊廟でしょう。 ![]() ![]() ![]() ゲーテとシラーの棺です。 ![]() ロシア式の正教の様式のドーム! ![]() ゲーテの時代は有りませんでした。 すこし後の時代に、礼拝堂として追加されたらしい。 ![]() 1862年に、ロシア皇帝の王女、Maria Pavlovna の霊廟として造られた。 ヴァイマルに嫁いだロシアの王女だった。 へぇ~と思って、調べてみました。 妻:マリア・パヴロヴナ (ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公妃) 夫:カール・フリードリヒ (ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公) カール・フリードリヒはゲーテを招へいしたカール・アウグスト公の息子です。 マリア・パヴロヴナ大公妃は、フランツ・リストを宮廷に招き、地理学者のフンボルトを招へいし、ヴァイマルの文化に寄与した。シラーの遺作の詩は彼女にささげられた。 これで、ロシア正教の霊廟がくっついているわけが判り、 ゲーテの時代の少しあとのヴァイマルの様子がよく判りました。 さて、テューリンゲンカードを使って、見るところは大体見たのです。 博物館が閉まる5時までには少し時間があります。 この日何度目かのシラー通りを通りながらどこへ行こうかと・・・。 ![]() ピンク色の洒落た建物です。 ![]() 聞いてみると、明日からイベントがあって、準備中なのだと。 バウハウス大学の学生だそうです。ちょっとポーズをとってくれました。 ![]() ヴァイマルは二つの世界遺産があります。文化都市ヴァイマル(ゲーテその他) もう一つは、バウハウスとして登録された世界遺産。 ![]() あっという間に見学終了。ここで見た中では・・・ このモニュメント風のオブジェが私のお気に入りでした。 ![]() この日のランチは遅かったので、夕食は簡単にすることにします。 歩いていると、Nord See というお店を発見。ノルド・ゼーとは北海でしょう。 おいしそうなものが並んでいます。 ![]() 別のものをテイクアウトします。 ![]() ![]() ![]() ![]() 魚のサンドは鮮度がそれほどでもなかった。 ヴァイマルから北海は遠かったのです。 ![]() ▲
by ciao66
| 2015-07-30 13:02
| ドイツを巡る2015
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ここはイルム公園のゲーテの山荘です。
山荘とはいっても山の中では無く、ふもとの辺り。 前は広い公園で、後ろ側は自然のままのお庭になっています。 ![]() この道をいつもゲーテは歩いていたのでしょう。 ![]() ここも同じくご褒美に貰ったもので、時期的にはこちらのほうが先でした。 ![]() ![]() テューリンゲンカードで入場します。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ため息が出るような素敵なところ♪ ![]() ![]() 庭と公園と一体化して区別はつきませんが、フラットな部分が公園。 イルム川が谷間に流れています。 ![]() ![]() どこまでも伸びる散策路。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() だいぶ歩き疲れているのです。 ![]() ![]() でも、がらんどうで家具がなにも無いのはちょっと寂しい・・・。 ![]() ![]() 美しい花があれば尚更良し。 ![]() ![]() 地下の洞窟が見れるというのでしょう。 ![]() ![]() ![]() ぐるっと回って一周するのに多分5分くらい? ![]() 突然開くのは面白い仕組みでした。 ![]() 赤い星のマーク!目を引きます。何でしょう? ![]() ![]() ソ連の墓地だったのでしょう。軍関係者の墓地でしょうか? 東ドイツ時代のものかと思われますが、詳しくは何も判らずでした。 ![]() 第二次大戦後の占領期間を入れるとソ連の影響下にあったのは45年くらいです。 再統一後はもう25年も経っているとはいえ、 ここが東ドイツだったことを示す痕跡はあまりありません。 (時間は戻って・・ ) 冒頭のゲーテの山荘に行く前です。 ゲーテの家の広場にある、アジアビストロの看板につられて入りました。 ![]() 室内の様子は色彩感覚が中華風ではありません。 ![]() 久しぶりの米飯はチャーハンで、わずか3ユーロ!(400円位) ここだけは物価水準がまるで違っていたのでした。 ![]() リストの家とゲーテのお墓の巻です。 ▲
by ciao66
| 2015-07-28 07:54
| ドイツを巡る2015
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フラウエンプラーン広場に停まった観光馬車です。
ゲーテの時代は200年前、まだ馬車に乗っていたころでした。 広場にゲーテの50年間住んだ家があります。 ![]() 家はザクセン・ヴァイマル公国の大公から1872年にプレゼントされたもの。 ゲーテの功績がいかに大きかったかが判ります。 ![]() 冒頭の馬車はどこかへ行ったようです。 ![]() ![]() 大きなスペースが必要ですが、確かに歩きやすいね、と感じました。 ![]() ![]() そして、部屋ごと色彩が違っているのも注目です。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ゲーテは豊かでしたが貴族では無く、33歳の時にその功績から貴族に列せられます。 奥さんの出身が相応しくないと、周囲に思われて、正式に結婚できなかった。 ![]() そのときゲーテ57歳。その10年後にクリスティアーネは亡くなります。 クリスティアーネの部屋です。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ゲーテは公国の鉱山の管理までしていて、その研究もしていたのです。 ![]() それは当時と同じ音色なのでしょう、 ゲーテが聞いたのと同じ音を今また聞ける・・・ちょっとした体験かもしれません。 ![]() ![]() 右手奥の机で執筆したのでしょう。 重厚な家具に囲まれ、部屋の色調は明るく落ち着いた感じ。 ![]() (左手が書斎、もとは召使部屋ですが、晩年は便利なここが寝室になった) ゲーテはここで息を引き取りました。 「もっと光を」という有名な言葉とともに。 ![]() ただ単に寝室が暗かったので明るくしてほしいということだった。 という説があります。 ゲーテも普通の人間でもあったということでしょう。 ご紹介しきれなかったお部屋もあります。 ゲーテの家の公式ページの Audio Guide texts をご覧ください。 (どの部屋からだったか忘れましたが)窓から眺める庭の様子です。 ![]() ![]() ![]() ![]() (ゲーテの家とは別なので、たぶんここはテューリンゲンカードで入場) ゲーテの家族、ゲーテの子供時代でしょう。 ![]() フランクフルトのゲーテの家でもこの紙芝居の話は出てきました。 ![]() ![]() ![]() 右はメモを入れるミニ引き出し。 ![]() ![]() ![]() 「ゲーテが愛した妻クリスティアーネ」 エッカッルト・クレスマン著 重原眞知子訳 「いったいこのカップルは男として女として、夫として妻として・・・日常のレベルでどんな夫婦だったのか。・・・夫婦が交わした手紙を中心に・・・当時のヴァイマル社交界のゴシップやエピソードも交えて・・・鮮やかに描き出している」(訳者あとがき) ~なかなか面白い本でした。 次回ゲーテの山荘の巻に続く。 ▲
by ciao66
| 2015-07-26 14:05
| ドイツを巡る2015
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ヴァイマル公国当時はお城だったのです。城は1774年の火事で焼けてしまって、国の政務は別の場所で行われていました。そんな中、ゲーテが26歳の時、フランクフルトからこの国に宰相として招かれたのです。
![]() 財政を工夫してこのお城を再建します。(写真は朝では無く前の日の夕刻のもの) 今は城美術館として公開されています。 私の好きな絵のいくつか写真を撮りました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 舞踏会のホールのにも使えそうな感じ。内閣の執務室にしてはずいぶん立派ですね。 ![]() こういうのは私は好きなので、見逃しません。 ![]() ![]() bastilleという建物だったのですが、訳してみれば監獄のこと! 監獄の時はこんなに綺麗では無かったでしょうね。 ![]() 青空が出てきていい気分です。 ![]() ![]() ![]() この二人のどちらがシラーでしょう?右かな?若い頃の絵でしょう。 ![]() ![]() ![]() ![]() お部屋はゲーテの家に比べれば簡素なものですが、庶民の家という感じでは無く、 1800年前後のアッパークラスの市民の家としてはこんな感じだったのでしょう。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() シラーが亡くなったのまだ45歳だったのですが、 ゲーテは82歳まで長生きして、50年間同じ家に住みました。 ▲
by ciao66
| 2015-07-24 22:04
| ドイツを巡る2015
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ドイツ旅行記は1回お休み、ガラッと気分を変えて、東京の一泊旅行の巻。
何十年ぶりに来た歌舞伎座は外観は以前と同じ印象、夜景が綺麗でした。 七月大歌舞伎(夜の部)は夏らしい怪談話で、玉三郎に海老蔵に中車(=香川照之)という豪華メンバー。 ![]()
![]() ![]() 近くは湾岸エリアと遠方は千葉の房総の山並みまで見えました。 ![]() ![]() ![]() 妻のリクエストで来たのは何処でしょう? ![]() ![]() ![]() エレベーターで350mの高さへ。 ![]() さて南方向です。 ![]() ![]() 川沿いには金色のアサヒビールのオブジェも。 ![]() ![]() ![]()
![]() ![]() ![]()
![]() ![]() ![]() ▲
by ciao66
| 2015-07-24 07:52
| 東京散歩
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散歩にはちょうど良さそうな、車は通りそうにもない裏道です。
ここはゲーテの家のすぐそば、文豪が毎日のように歩いた道だそうです。 歩けば、今も昔の姿を残しているように思えました。 ![]() 左はゲーテ、右はシラー、二人は親しかったのです。 ![]() (正しくはヴァイマルです)。 銅像を後に、静かな通りを歩き、シラーの家に向かっています。 ![]() でも、朝8時半ではまだ開いていません。後で来ることにします。 ![]() シラーの家を出てからは、昔のシラーになったつもりで、この通りを歩き、 ゲーテの家のほうに行きます。。 ![]() 公爵は残された幼い子供が引き継ぎ、その成人までの間彼女が摂政となります。 ゲーテをヴァイマル共和国に招へいしたのも彼女で、当時の事実上の名君だったのです。 ![]() ![]() 何やら、砂に埋もれた謎の像を発見・・・??? その向こうに見える黄色い家は・・・ ![]() ここもまだ開館前で、後で来ることにして 今度はゲーテになったつもりで・・・ ![]() ![]() ゲーテの頃からそのままのようなたたずまいまので、 ゲーテになりきって気持ちよく歩けます。 ![]() ここをまっすぐ行けはイルム公園のゲーテの山荘なのです。 当然ここはよく歩いたはずの道。 ![]() 窓の下に絵があるのは、絵画学校の様でした。 ![]() すっかり見逃してしまったので、その写真はこちらからどうぞ。 路地を抜けて広い道にでました。 シュタイン夫人の家、イルム公園、アンナ・アマーリア大公妃図書館が有る場所です。 そこには赤い屋根のリストの音楽学校の立派な建物も有りました。 ![]() ゲーテの山荘もこの中にあります。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ゲーテとこの図書館の存在が大きいでしょう。 ![]() ![]() ![]() ![]() 9時半になると開くので、それまでぐるっと旧市街を回って散歩していたのです! ![]() ほとんどの見どころがフリーパスになるという優れものです。 (アンナ・アマーリア大公妃図書館とゲーテの家は対象外です。) ![]() ▲
by ciao66
| 2015-07-22 18:30
| ドイツを巡る2015
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ヴァイマルで泊まったホテルの部屋からの眺めです。
落ち着いたパステル調の色彩の建物が、街歩きへ誘っている? ![]() とても綺麗なホテルでした。 ![]() ![]() 上品な酒場を兼ねたレストランといった感じ。 でも、満席で入れません。仕方がないので・・・ ![]() ![]() 市場=マルクトなのですが、もうこの時間は露店は有りません。 旗の立っているのが市役所でしょう。 ![]() (この写真は次の日に撮りました) ![]() ツム・シュバルツェン・ベーレン。ここは空席が有りました。 ![]() ![]() 旅行中に食べたソーセージの中でここが一番でした♪ シュパーゲルもしゃきっとして、ポテトもチップで無くて良かったのです。 ![]() 建物の窓に誰か座っています!危ない・・・。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 旗はロシアのものでしょう。ここは、旧東ドイツの領域だったと思いだします。 (こういう店はここしか見かけませんでした。) ![]() それもまた旅・・・こうして夕焼けが見られるのは、とてもいい時間でした。 ![]() 半日は乗り物に乗っていましたのでこんなものでしょう。 ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
by ciao66
| 2015-07-19 09:56
| ドイツを巡る2015
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ヴュルツブルク中央駅の11番線、エアフルト行の列車です。
赤いドイツ鉄道のカラーでいいデザイン、これから乗ります。 ![]() Reisezentrum(ライゼツェントルム)・・・日本語では旅行センターでしょう。 ![]() ![]() 午後2時にヴュルツブルクを出て、午後5時ころにヴァイマルに到着の予定。 エアフルトまで2時間20分、乗り換えまちで30分、そこからは10分ほどです。 ![]() ここからはICEの通るメインルートはちょっと遠回りで、 エアフルトまで最短で抜けるローカル線がこのルートでした。 電光掲示板で確認します。 14時01分発は3本の列車が同時に発車。乗り間違えないようにしないといけません。 一つ目はフランクフルト方向で行先が違います。 残り2つはどちらもプラットフォーム11番線、同じ時間なのに行先が違います! ![]() これは便利です♪ ![]() ![]() 「ここからはエアフルト行」と書いてあります。 2つの行先、バートキッシンゲン行きとエアフルト行きの連結列車! 乗る車両を間違えると、途中で切り離されてとんでもないことになります。 ![]() (列車番号はそれぞれ違います) ![]() エアフルト行の車両に乗車しました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 二つの列車はここで切り離しだったのか・・・。 ![]() しばらく停車したまま動きません・・・。 ![]() (車内にいた人に何事が起きたのか英語で聞いて、教えてもらった) ![]() 列車がなぜ動かなくなったのか?近くの人に聞いてみました。 次の次の駅で支障が有って、そこへは列車が入れないのだと。 事故なのか、故障なのかは不明なのですと。 ![]() しばしホームでたむろする乗客です。 15分ほどして案内放送が有って・・・バスで代行運転するので、外で待って下さいと。 (これも、近くの方に何を言っているのか教えてもらった) ![]() バイエルン州の北の端で、間もなくチューリンゲン州に入るという所。 ![]() でも、なかなか来ません。 ![]() 異国人が困っているのでは、と思ったのでしょう 「状況はお分かりですか?」と尋ねてくれる方がいました。 「バスが来るのを待っているのは理解しています」と私。 次の駅で降りる予定だったという方でした。 ここでバスを待つこと30分、ようやく来ました。 ![]() やれやれ、乗り込みました。 ![]() 思わぬドイツのアウトバーンの旅になり、 これまた良し、と前向きに考えることに。 ![]() 遅れた旅ですが、車窓から菜の花を堪能できるというわけです。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() チューリンゲン州は旧東ドイツの領域です。 ![]() ![]() Suhlという駅。(何処だったのか後で調べました) ![]() ![]() (右側通行なので、左から抜く。) ![]() ![]() ![]() ![]() 2つ手前の駅、Arnstadtでした(先ほどの地図の△マーク)。 ![]() ![]() 25分遅れという表示が出ていました。 ![]() ![]() 最新式の車両です。 ![]() ![]() ![]() 予定では4時22分着でしたので、1時間40分の遅れ。 みんなが降りたので車両の写真を撮ります。 ![]() 次のICEで行けば少し早くなるので、追加料金なしで乗れるように窓口で交渉です。 規則があるのでしょう、切符は取り換えてくれませんでしたが、勝手にどうぞというわけで、 プリントアウトされた紙をもって、次の列車に乗ることに。 ![]() ![]() ![]() 予定では午後5時2分のはずが、現在時刻は午後6時53分。1時間50分の遅れです。 この日はホテルのそばを散歩するくらいの予定でしたから、まぁいいのです。 ![]() ワイマールというのは英語流の読み方なのでしょう。 ![]() 昔はヴァイマル公国、ゲーテゆかりの街です。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 次回は「夕焼け空のヴァイマル散歩」です。 ▲
by ciao66
| 2015-07-17 17:59
| ドイツを巡る2015
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2015年5月19日、ヴュルツブルクのホテルの朝食です。
パンがとてもおいしく、ハム・トマト・キュウリ?も良かった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 領主館博物館に入場し、中庭を見下ろします。 ![]() ![]() ![]() ドイツのバイエルン州の一都市、ヴュルツブルクの歴史を通じて、 ドイツのその時代をイメージとして捉えることができるでしょう。 左上は、1854年、ヴュルツブルクに鉄道開通という写真。 ![]() 汽車は開通しても、1892年(日本では明治25年)の市内はまだ馬車が走っていた! ![]() バイエルン王です。ドイツ帝国は1871年に成立していました。 ドイツ帝国の1領邦となったバイエルン王国!が有ったとは不思議な感じです。 ヴュルツブルクはバイエルン王国の一部だったのです。 ![]() スープの炊き出し? ![]() 1917年にロシア革命が有りその影響を受けていた、そういう時代だったのでしょう。写真は1919年4月、急進左派の集会です。 ![]() 左翼と右翼が対立して政情は不安定、 写真は市内を右翼のドイツ義勇軍がデモをしています。 第一次大戦の戦後処理をするベルサイユ条約はこの2か月後。 ![]() ちょっと息抜きに、先ほどの鉄道の写真の拡大版です。 ![]() ![]() ヴェルサイユ条約の賠償金支払いは過酷だったので、ドイツは立ち行かなくなり、 ヴァイマル共和国の理想は露と消え、結果的にナチスの台頭につながりました。 1934年、一番左上の写真ではヒンデンブルク大統領がナチスの旗のもとにいます。 大統領は次第にナチスに擦り寄り、権限は完全に奪われます。議会は形骸化し、法律はヒトラーが勝手に作って、議会を通さず大統領令で執行されます。 ![]() 1933年、ヴュルツブルクの街にナチスの旗が、 そして通りの名前もアドルフ・ヒトラー通りに変えられた(右上写真)。 ![]() 基本的人権は奪われました。場所はヴュルツブルクのレジデンツ広場です。 ![]() ヴュルツブルクの街もめちゃめちゃに壊されました。 ![]() ![]() レジデンツ付近からマリエンベルク要塞方向はすっかり焼け野原。 ![]() ![]() すっかり美しい街にもどって、今ではそれは想像もできませんが。 この日の博物館から北方向の眺めです。 ![]() マインフランケン博物館。場所はいちばん北側の奥のほう。 過去の歴史を見てきた、リーメンシュナイダー作の母子像です。 ![]() 私の好みはこの作品でした。 ![]() マリエンベルク要塞にあるバス停です。ここからレジデンツに行くバスがあるのです。 青丸にHのマークはバス停、トラムの停留所共通です。 ![]() 近道のアルテマイン橋が歩行者用の橋だからでしょう。 バスは山から下りてきて、トラムの専用軌道を渡りました。 ![]() ちょうどトラムが来れば絵になったのですが・・・。 ![]() ![]() ミニ汽車とちょうど遭遇しました。 ![]() ちょうど時間に間に合いました。残念ながら写真撮影はできませんので、公式サイトのヴァーチャルツアーのページでどうぞ。 ![]() これで、ヴュルツブルクの見るところは大体見た、というわけで、 これからホテルに戻り、荷物をピックアップし、駅に向かいます。 大聖堂です。裏側のほうが丸いツインタワーで美しいではありませんか。 ![]() ![]() ![]() ヴュルツブルクのソーセージは美味しかった。 ![]() また晴れてきました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ゲーテ街道の珠玉の街です。 ▲
by ciao66
| 2015-07-15 17:40
| ドイツを巡る2015
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