これから1時間のライン川の船旅です。
乗るのはアスマンスハウゼンからザンクトゴアールまで。 最上階の展望デッキに陣取りました。 ![]() ラインシュタイン城という名前でよく知られたお城。 ![]() 当時の持ち主はマインツ大司教だったが、その後点々と変わり 今では元オペラ歌手が持っているという。 ![]() ![]() 下りは流水に乗っている分速く、上りは遅い! おまけに進行方向は大体順光なので写真環境も良し。 ![]() ![]() ![]() 何処からでしょう。スイスのボーデン湖から539kmです。 河口のオランダにはやはり500km位有るので、ちょうど真ん中辺り。 ![]() Bach バッハ=小川・・・ライン川に注ぐ小川が有るのでしょう。 (音楽家バッハは日本語では「小川さん」という訳です。) ![]() ![]() ![]() 三角屋根と丸い建物はシュターレック城。 今はユースホステルになっているところです。 ![]() 船員が船から飛び降りてロープをかけます。 ![]() こういうのを船から眺めるのも面白いのです。 ![]() この浮桟橋、流線形なのだ! ![]() 川の中に有ります。これなら通行税の取り立ても完ぺき! ![]() 中には見ていない方もいますが・・・・お疲れなのか。 ![]() あっ列車だ!・・・やはり写すんですね! ![]() お城に、船に、そして右へ左へと移動も有り、 なかなか忙しいのです。 ![]() 「ただの岩山」とかいわれますが、まさに岩が迫っています。 ![]() ローレライ良いでは有りませんか。迫力が有ります。 写真では判りにくいですが頂上に旗が立っています。 ![]() ねこ城!なんでネコなのでしょう? ![]() 今の持ち主は日本人だという話ですが、 そのお金持ち、さて誰なんでしょう。 ![]() 調べたら判りました・・・お値段も書いてある記事はこちら。 このお城、ナポレオンに一度破壊され、修復したそうです。 ねこ城を過ぎてすぐに、目的地ザンクト・ゴアールが見えてきました。 正面に見えるお城はラインフェルス城、下船後そこへ行きます。 ![]() ![]() ![]() ![]() 乗船前から空腹なのでした、この船着き場でランチにします。 ![]() ▲
by ciao66
| 2015-06-30 17:07
| ドイツを巡る2015
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午前10時15分、ニーダーヴァルトの記念碑からハイキングは始まりました。
左手はブドウ畑、そのはるか下はライン川が流れています。 ![]() ライン川の向こうはラインラント・プファルツ州 ![]()
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![]() しばらく行くと、川がすぐ目の下に来て、対岸の風景はすっかり変わりました。 そして、お城が有ります♪ ![]() なかなか絶景なのです。 ![]() スタートから30分、ここで小休止。 観光船の出航はあと一時間・・・時間に間に合うか? (その次の船は3時間後・・) ![]() 山、また山・・・ブドウ畑はもうありません。 ここからは街も見えません。ライン川は良く見えます。 ![]() 続いて観光船が通ります。船はもちろん楽しいでしょうが、 今回ハイキングをしたのは、山の上からの眺めのほうが、 船からよりも視界が広がって、いい気持ちだろうと思ったのです。 ![]() 見えてきました。アスマンスハウゼンの街です。 船の時間は30分後ですが、ここから眺めた距離感では 多分20分あれば船着き場に行けるのでは? 下り坂だし、いざとなれば走る? ![]() 綺麗な街です。アスマンスハウゼンはちょっと落ち着いた雰囲気。 ![]() 列車が通るので、ズームアップで撮ってみます。 瞬間技で貨物列車をキャッチ。 ![]() 川のほうにまっすぐ降りる長い階段が有ったのですが、 まだ時間は大丈夫そうと踏んで、 気持ちの良さそうな緩やかな下り坂を行きます。 ![]() 乗ろうと思っていたチェアリフトです。 実は切符はこの分も含めたセット券を買っていたのですが、 眺めのいい道を歩いたので、それが無駄になっても気になりませんでした。 ![]() 道はぐるっと迂回しながら教会の塔のほうへ (グーグルマップで見ていたので方向感覚は判る。) ![]() 小奇麗な家が並び、山の上までブドウ畑です。 ![]() 先ほど見えた教会が正面に来ました。 この道をまっすぐ下りればいいのです。 ![]() 踏切を渡ったところで、歩いてきた方向を振り返ります。 左手の山腹あたりから降りてきました。 ![]() 川沿いの道を行くと、楽しそうな、美味しそうなお店が並んでいます。 でも、船の時間が有るので、お昼ごはんは下船後ということに。 ![]() 踏切から少し距離があることは判っていました。 波止場は街の中心を過ぎ、はずれの辺り。 歩いていると、 道端に桐の木を発見しました♪ドイツの桐の木だ! 何処でも同じとはいえ、今年初めて見た感慨もアップします。 ![]() KDラインの乗船場です。 流れに逆らわない浮桟橋です。 1時間15分のハイキングを終えて無事到着。 ![]() 出航は11時45分、その15分前でした。余裕は少しは有った?
切符を買って船を待ちます。続きをお楽しみに♪ ▲
by ciao66
| 2015-06-28 08:26
| ドイツを巡る2015
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リューデスハイムのゴンドラリフトに乗って、これから空中散歩です。
いよいよ出発しました。ライン川と街が眼下によく見えます。 ![]() ![]() ![]() ![]() 先ほど通ったブレムザー城(ワイン博物館)が左手に見えています。 ![]() 右手奥に小さく見えるのはニーダーヴァルトの記念碑です。 ![]() ![]() 大きいので大迫力なのです。 ![]() ![]() 帰りに時間が有れば、この日2個目となる城に寄ってみようという所。 向う岸からこちらの眺めもいいだろうと思ったのです。 ![]() 記念碑の一番上にいるのは女神、ゲルマニアと言ってドイツの象徴です。 ![]() 像の大きさを下にいる人と比べてみてください。 ![]()
![]() ![]() ![]() 向うは上流、はるかかなたはスイスのボーデン湖。 ![]() これからライン川を望みながらのハイキングを楽しみます♪ ▲
by ciao66
| 2015-06-25 21:22
| ドイツを巡る2015
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この日は期待通りのお天気で、ガラッと気分を変え、終日ライン川の観光に充てます。
起点となったリューデスハイムの街は、フランクフルトから列車で1時間少々、 明るいブドウ畑のなかの美しい街でした。 ![]() もうひと捻りして、次のようなプランを考えました。 1.ライン川を望む丘の上のハイキングをして、 2.次は定番の観光船に乗り、 3.最後はライン川を望む古城に登るという、 ちょっと欲張りな計画・・・でも、一日有れば行けるでしょう。 ホテルの朝食は朝6時30分からオッケーでラッキーでした。 朝7時30分にはフランクフルトHbfに着いて、その10分後、 乗る列車のプラットフォームを確認して、切符も買って、準備完了です。 ![]() ![]() ブドウ畑が美しいドイツらしい風景の中を行きます。 ![]() ![]() ぞろぞろと下りる観光客たち。 ![]() ライン川では観光拠点として有名な街です。 ![]() それがワイン博物館なのですが、 朝9時ではまだ閉まっているので、外から様子を見ます。 ![]() ここはラインガウと呼ばれる有名な産地なのだそうです。 遠景に乗る予定の丘に登るリフトがうっすら点々と見えます。 ![]() 歩いてきた方向を振り返ります。先ほどのお城が見えますが、 あれっ、その右手の道路上をミニ汽車がやって来ました。 ![]() 水色のかわいいミニ汽車です。 ![]() この船に後ほど乗ることになります。 といっても、乗るのはここからではなく、ここではリフトに乗って、 ハイキングをしたあと、2つ先の船着き場に山から降りて、そこから乗ります。 ![]() 角を曲がると有名な横丁、「つぐみ横丁」です。 ![]() ![]() 朝の散歩の観光客だけ。 昨夜の賑わいは如何ばかりか・・・。 ![]() まだ朝なので、ここは見るだけにします。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 私の後を追いかけるように、先ほどのミニ汽車にまた遭遇! ![]() ![]() ![]() ニーダーヴァルト行きのゴンドラリフトの駅に到着です。 ![]() ▲
by ciao66
| 2015-06-24 21:11
| ドイツを巡る2015
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欧州中央銀行(ECB)の本店はフランクフルトに有って、
この大きな€マークは、テレビのニュースによく出てきます。 ![]() ![]()
![]() マイアー・ロートシルト(ロスチャイルド)は ![]() ![]() 邸宅だったことを示す展示物は全くなく、 ユダヤ人の歴史を主に展示しています。 これは、ゲットーの建物の模型です。 ![]() ![]() アメリカ人のユダヤ人がドイツを旅する無声映画。 とても印象的でした。 ![]() ![]() ![]() フランクフルトの1933年、ユダヤ人の弾圧の始まり。 ナチスです。 ![]() ![]()
![]() 家族の写真、連行するトラック。 ゆえなき迫害。 ![]() ところで、知りませんでした。先ほど調べたところでは ECBの本部ビルは最近引越ししたのです。 あの巨大な€マークは観光客の記念写真用のもの? それとも、ユーロビルなので、ビルのシンボルなのか? 引っ越し先はグーグルで見つけました。緑の丸はレーマー広場で、 青のマークから赤いマークへ移った。 新しいビルの写真は→ こちら (一番上・中央の写真です)。 ![]() 時間は少し戻って、この日お昼頃に見た、 パウルス教会のそばの建物の渡り廊下です。 橋げたを下から支えるような人を発見! ![]() ![]() ユダヤ人を描いた像では無いでしょう。 でも、この像は迫害を受けた人にも重なって見えます。 ![]()
![]() ![]() ![]() ![]() 夕方5時過ぎなのになんだかすごい行列だ、と思ったらモネ展をしていたのです。 ![]() ドイツ人もモネが好きなのだ! 特別展のモネの絵は撮影禁止だったので、 私の好きなボッチチェリを発見して撮りました。 ![]() 歩きまわって疲れたのです。最後の美術館がダメ押しでした。 この日の歩数は21,000歩! ホテルのそばの気軽なところで夕飯にします。 お店の看板でお美味しそうなのを発見。 ![]() ![]() ![]() ![]() お楽しみに♪ ▲
by ciao66
| 2015-06-22 21:55
| ドイツを巡る2015
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ドイツ編は一回お休みで、久しぶりの広瀬川散歩です。
赤い蛇イチゴ(たぶん)を発見しました。 色はいいのですが、美味しいわけでは有りません。 ![]() ![]() ![]() この時期は清流度合いもちょっとダウン。 ![]() まだまだ伸びますよ、という勢いです。 ![]() ![]() 数輪だけ名残の花が残っていました。 間にあった! ![]() 梅雨入り間近で、 青い色がちょっと薄くなったよう。 ![]() 次回はドイツへ。 ▲
by ciao66
| 2015-06-21 18:39
| 青葉山・広瀬川散策
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ゲーテが生まれたのは1749年、フランクフルトのこの家でした。 ゲーテ博物館の入り口ではゲーテが迎えてくれます。 ![]() 18世紀の家ですが、第2次大戦で空襲にあって建物は粉々になったのです。 それを予想して、細部の寸法を取り、家具類も疎開していたので、 幸いなことに、内・外ともに完璧に復元されています! 正面の玄関からではなく、右隣りのゲーテ博物館の見学用入口から入ります。 ![]()
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![]() 若い頃のゲーテでしょう。何歳かな? ![]() 子供の頃(左端)この人形芝居遊びは、 のちの大作「ファウスト」につながった。 ![]() 青春時代の一コマ。 マイン川でアイススケートを楽しむゲーテ(左端)24歳。 ![]() ゆがみのある窓ガラス。 ![]() 表通りは、グローサー・ヒルシュ・グラーベン 和訳すれば「大鹿堀」という不思議な名前。 昔の一番古い城壁あとに、鹿を飼っていた。 皇帝即位式ではみんなで分けて食べた。 ゲーテの頃には、 もう鹿もいなかったし、もちろん城壁もなかった。 ![]() お隣の博物館のほうに移動しました。 一番有名なゲーテの肖像画です。 フランス革命の40年前に生まれ、 亡くなったのはフランス革命の42年後、82歳でした。 その82年間の間、ドイツではどのような出来事が有ったでしょうか。 ![]() 1789年のフランス革命の終わった後には ナポレオンの進軍がヨーロッパ各地であり ドイツも一時はフランスの支配下になります。 ナポレオン法典は広まり、自由主義への期待も高まったものの ヨーロッパ各国では占領への反発も有ります。 1812年のロシア遠征の失敗でナポレオンは失脚し、 その後はメッテルニヒが主導したウィーン体制で反動復古の時代へ。 ドイツではオーストリアとプロシャが主導権争いを展開していた頃です。 1832年ヴァイマールの自宅でゲーテ死去。 ナポレオンもゲーテのほぼ同時代人なのですが、 ナポレオンはゲーテの大ファンだった。 皇帝は「若きウェルテルの悩み」が愛読書! 7回も感動して読み返したという。 ヨーロッパを思うままに支配したナポレオンもゲーテを尊敬していたのでしょう。 1806年にゲーテとナポレオンは面会しています。 ゲーテ56歳、ナポレオンは37歳、場所はエアフルトです。 この絵も有名な絵。37歳ころローマで。 ![]() ゲーテは旅行好きでした。 「イタリア紀行」は有名ですがコロッセオにも行った。 ![]() 右の絵は誰だったでしょう。奥さんのクリスティアーネ? (違うかも知れません) ![]() ゲーテの展示物の見学を終えて出口に向かうと、 そこは博物館が所属する財団の展示スポットになっていて、 何やら紙屑がいっぱい! 散らかされているわけでは無く、 芸術的に?散らかっている! ![]() これ何でしょう?と学芸員の方に聞いてみました。 答えはゲイの人たちのメッセージだそうです。 紙屑の山で何を表現したかったのか? なんとなくプロテストしている感じは伝わりましたが・・・ ![]() ヴァイマールにも、もちろんゲーテの家が有って、行ってきたのです。
旅行中盤あたりですが、後ほどご案内いたします。 次回に続く ▲
by ciao66
| 2015-06-20 19:00
| ドイツを巡る2015
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次の目的地はゲーテの家なのですが、
お昼になったので先に近くのカフェでランチにしました。 ちょっと茶色いこのパンがとてもおいしかったのです。 このあとドイツでは何処へ行ってもパンは外れなしでした♪ ![]() 焼肉、ジャガイモ、目玉焼き、サラダ・・・ 持っていたミニ辞書で解読、半分はなんとか判りました。 ![]() 多分「この日の定食」だろうと、これを頼んで正解でした。 今調べたら、karteには券、メニュー、地図、いろんな意味があるようです。 ![]() ![]() 向うの木の生えているところです。 ![]() ところで、今回のもう一つのテーマ、「ドイツへの国際電話」ですが、 これはドイツから帰国後のひと騒ぎのお話しです。 帰国してキャリーケースを開けてみたら、入れたはずのものがありません・・・(汗)。 モノ、とは貴重品、といってもお金の類では無く、SDメモリーカード! 写真のデータ入りです。 キャリーケースの蓋の網のところに入れたはずだったのに、 旅行の後半部分のは有ったのです。 途中でデータがいっぱいになって新しいのと入れ替えた。 前半部分が行方不明! 旅の思い出が・・・。記録が・・・。ブログの写真が・・・。 ・・・取り替えなくていいように大きな容量のSDカードにしておけばよかったのに。 網からこぼれたのか? ・・・ちゃんと袋に入れておけばよかったのに。 ドイツへ連絡して探してもらいましょう。心当たりのホテルに電話します。 小さいので掃除機に吸い取られたかもしれませんが、ダメもとです。 そして、メールは無視されるかも、電話がいいと考えたのです。 ・・・電話の外国語は難しい! ドイツ語は挨拶くらいしかできません。使うのは英語です。 こちらの状況を説明して、カードを探してもらうように、依頼しなければいけない。 これはハードルは高いのです。(私にとっては) それで、いい方をあれこれ調べて。 忘れたは foget ではなく、この場合は left だとか、あれこれ。 ドイツへ電話を掛けました。SDカードをなんとか回収しようと。 ところが、話がなかなか通じません。 ドイツ人にとっても英語の電話はとっても苦手だったようです。 △○☆×□※△○×☆□※△○×☆・・・ドイツ語でぺらぺら返ってきます。 3分位お話しして、やっと話が通じました。 内容的には20秒で終わるお話しを、3分かかって。 お返事は・・・カードはありません。残っていません。 あえなく沈没・・・気を取り直して ライプツィヒはダメなら別のホテル、ベルリンです。 ここも似たようなものでしたが話は通じて、 「ホテルにメールください。掃除担当に聞いてみて、メールで返事しますと。」 前のよりは応答はまともです。 (次の日、「あいにくでしたが有りません」と英語のメールで返事が来ました) またまた沈没・・・気を取り直して 3っつ目の電話、ヴァイマールのホテルは、素晴らしい応答でした。 電話では無く、面と向かってお話しできるような感じで、すらすら応答が進みます。 前の2つのホテルの電話は何だったのだろうと。 この方は英語ペラペラだったのでしょう。(当方は決して、そうではありませんが) 結局、「残っていません」のお返事は変わらず。ここも同じ。 最後にもう一つ、ベルリンの空港にも掛けました。 (税関でキャリーケースを開けた) 空港さえ、初めの二つのホテルと似たような応答振りでした。 というわけで、国際電話の応答の練習?にはなったものの全滅でした。 あきらめていたら、数日後、ひょっこりSDカードが出てきました!! レシートを突っ込んでいた紙袋の中から!! ちゃんとカードだけ裸では無く紙袋に入れていたようです。 結果オーライですが、反省しきりでした。 というわけで、いつもと同じように、このブログが書けるというわけで、 本当によかったのでした。 ドイツにまでお騒がせしました・・・(汗)。 ▲
by ciao66
| 2015-06-18 21:18
| ドイツを巡る2015
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お昼過ぎのレーマー広場です。朝のうちはそうでもなかったのですが、大賑わい。
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![]() 戴冠式の後の正式な祝宴は市役所のホールで行われました。 中庭から螺旋階段を登って2階に上がります。 ![]() このお隣が祝宴会場だったカイザールームです。 カイザーは皇帝のこと。カエサルが語源だとか。 ![]() ![]() ![]() ![]()
![]() レーマー広場から少し歩いたパウルス教会の前で面白いものに出会いました。 ![]() ![]() 緑色の不思議な像がお迎えするここは何でしょう? ![]()
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by ciao66
| 2015-06-16 21:38
| ドイツを巡る2015
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朝9時半、フランクフルトの大聖堂です。塔に上る前に堂内を見ることにしました。
私と同時に到着したのは、20人ほどの中国人のご一行です。 皆さんにぎやかに写真をぱちぱち。 ![]() 同時に10人くらい?がお話し中、しかも結構大きな声で、話し合っています。 私もカメラを構えて見学していましたが、 10分ほどすると、集団は立ち去って、とても静かな堂内に戻りました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ドイツの皇帝選挙の場所だったのです。意外に小さい部屋だったのでびっくり。 ![]() 神聖ローマとはいかにも不思議なな名前ですが、西ローマ帝国崩壊のあと、 ローマ帝国の後継者を任じていたのがドイツの皇帝です。 もともとはローマの教皇から任じられた皇帝という、体裁でしたが、 ドイツは当時は封建諸侯が分散支配していましたので、皇帝にたいした実権はなく、 名誉職の様なものです。日本の中世の権限のない足利幕府のよう?? 皇帝選挙の投票権者は7名、 司教が領主を兼ねていた3人、マインツ大司教、トリーア大司教、ケルン大司教、 世俗諸侯が4人、プファルツ、ザクセン、ブランデンブルク、ボヘミア。 1356年のカール4世の金印勅書でフランクフルトが選挙の場と決められたのです。 (戴冠式もこの教会で行われました。) ・・・というわけで、やはり、歴史を感じるスポットなのでした。 ここのピエタ像です。 ![]() ![]() マイン川が手前から向こうに流れています。 この先でライン川に合流するのでしょう。 ![]() ![]() 三角屋根が三つ並んだレーマーという建物が市庁舎。レーマーはローマ人の意味。 大聖堂は広場に近いものの、少し離れた位置です。 ![]() ![]() クレーンのアームの中ほど、曲線の外観の建物の並びが古い城壁と、ユダヤ人街の跡。 ![]() 声のトーンは日本語かなと思ったので、すれ違う時に話しかけたら、韓国語で返ってきたのです。 今まで思ったことはなかったものの、二つの言葉は似ているのか、と思った瞬間でした。 ![]() ドイツ人も冗談好きです「どうぞもう一度登って数えてみてください」と。 でも、教えてもらったのです。片道328段! さすがにちょっと疲れました。レーマー広場で一休みすることに。 三角屋根の市庁舎の左に赤い傘があるカフェを発見。 ![]() ![]() 顔立ちは東洋風でした。右は普通のお客さん。 ![]() 先に歴史博物館に行き、窓口でムゼウスウーファーチケット(€18)を購入。 (フランクフルトの多数の見どころで通用するお得なチケットです。) 博物館の展示物で印象的だったこの模型は第2次大戦前のフランクフルトの様子です。 ![]() 街はめちゃめちゃに破壊されています。 今の街はがれきを集めて再建された街だということがよく判ります。 ![]() ドイツでは石づくりの建物がすっかり破壊されるほどの空襲だった。 ![]() ![]() よく説明を見ればレプリカでした。 ![]() なるほど最後の神聖ローマ皇帝はハプスブルク家のフランツ2世でしたから。 フランツ2世は1806年にローマ皇帝の称号を自ら放棄し、単なるオーストリア皇帝(同じ人だがフランツ1世)となった。フランス革命の直後、ナポレオンの怒涛の時代に終止符を打ったわけです。 西暦911年に始まった神聖ローマ皇帝の制度が、中身はともかく、延々と1806年まで続いたというのも凄いですね。 次回、皇帝戴冠の祝宴の場所、ゲーテの見た皇帝戴冠は・・・に続く。 ▲
by ciao66
| 2015-06-13 20:38
| ドイツを巡る2015
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