2008年3月8日(土)の続きです。
松島のシンボル五大堂の「透かし橋」。下の海が透けて見える橋です。
ここの歴史は坂上田村麻呂が五大堂を造り、その後慈覚大師が五大明王像を安置し、そして、伊達政宗がここを再建したのです。
でも、ここは有名スポットなので、観光客で大賑わい、いにしえを偲ぶにはちょっと難しい感が有ります。
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島に渡って透かし橋を振り返ります。
五大堂。
お参りします。ここは、あっけないほど小さい島です。
時間はさかのぼり、観瀾亭に向かう途中です。
観瀾亭。
これは豊臣秀吉の伏見桃山城にあった茶室を伊達政宗がもらい受け、江戸の藩邸に移築、さらに二代目忠宗がここに移築したものです。
茶室だけに質素な印象、でも襖絵は豪華桃山風。
観瀾亭裏手の松島博物館の襖絵(部分)
遊覧船の看板。島いっぱいのイメージは良く判ります。
さて、やってきました、松島といえばココ、という瑞巌寺に。
ここは、平安期に慈覚大師によって開創され、その後伊達政宗公が再興し、自身の菩提寺としました。
杉林が立派です。花粉症ご注意。
2階建ての岩窟。でも、雰囲気は先ほど行きました雄島のほうが凄い印象。
メイン参道の「右手」の方です。参道をまっすぐ行くと見落とします。
とても曲線の美しい像です。
アップで。
中門。
方丈(本堂)。
臥龍梅(がりゅうばい)。まだつぼみです。咲くのは来月でしょう。
屋根の曲線が綺麗です。
庫裏。ちょっと城郭風です。禅宗寺院の台所。
アップで。
城郭風の外観を見ると、ここが、伊達政宗の「隠し軍事基地」だったという感じがしてきます。
・・・そして、芭蕉は幕府の隠密だったという説。
芭蕉がここを歩いた姿を想像しました。