2007年9月8日(土)の続きです。
栗の小径を通って
高井鴻山記念館にやってきました。
・・・高井鴻山(1806~1883)は幕末維新の激動期に"国利民福"の信条をつらぬいた人です。
15歳から16年間、京都や江戸へ遊学で各界第一人者から多彩な学問や芸術を修め、幅広い人脈で佐久間象山とも交流がありました。
そして、巨万の財力を使い、江戸の浮世絵師「葛飾北斎」などを招き小布施を文化の街に育み、飢餓には窮民を救ったということです。
高井家は信州はもとより、江戸、京阪、北陸、瀬戸内まで商圏とする大きな商いをした北信越きっての豪農商で、飢餓の際の貧民救済など慈善家としての家風が有りました。・・・
(記念館のパンフレットから要約)

写真は鴻山が書斎として使用した建物「
悠然楼」。北斎をはじめ訪れる文人墨客や幕末志士と語りあったところで、京風建築・からくり造りになっています。雰囲気ありますが、
縁側の跳ね上げの蓋はwhat?
答えと続きははMore↓をクリック。
↓高井鴻山、この人です。

↓記念館のパンフレットですが、鴻山は妖怪画が得意だったそうです。「酒宴妖怪」

↓記念館の入場券です。「象と唐人図」。これは北斎の下絵に鴻山が書き上げたもの。カラー版は
こちら

↓「悠然楼」の2階からの眺めですが、屋根瓦が美しい。

↓同じく正面からですが、綺麗に剪定された木はなんでしょう?

↓同じく右手ですが、やはり瓦の景観が決まっています。

↓座敷に空いた「穴」です!

↓
幕末の志士の逃げ道! 地下道があったのです。

冒頭の写真の跳ね上げの蓋と繋がっていたのでしょう。
↓籠。

↓庭におみなえしが綺麗に咲いています。

↓これは何の実でしょうか?

鴻山は北斎のパトロンだったわけで、庭に面して北斎の為のアトリエが別の建物で有りました。
鴻山と北斎は互いに尊敬しあい、師・旦那様と呼び合う、、とてもいい間柄だったようです。
いつもながらの忙しい旅なのですが、小布施の町は4時間ほど掛けて見て周りました。
日帰りでなければ良かったのですが(笑)。
↓長野駅前で買ったおやきの包装がユーモラスなのでパチリ。

↓新幹線あさま号。長野16時01分発。

↓あさま号から見えた夏の名残の雲。暑かった筈です。

↓同じく。上田付近では、もくもくっと凄い雲でした。

仙台帰着は18時37分。長野から2時間36分!