2007年2月10日(土)の続きです。
高台寺にやって来ました。ここは、豊臣秀吉没後、菩提を弔うために正妻の北政所(ねね)が開創した寺で、徳川家はここに多大の財政的援助を行ったそうです。地図は(
ここ )
滅ぼした側と滅ぼされた側と、双方の利害の一致でしょうか。
高台寺では「
八相涅槃図」というものが特別公開中でした。
仏涅槃を中心に、誕生や初転法輪など仏にまつわる代表的な場面を描いた曼荼羅です。
ちょっと色褪せていましたが、解説付きでしたのでよく解りましたが、写真禁止です。
写真左手奥に見えているのはこことは別の寺で大雲院(だいうんいん)の「祇園閣」。祇園祭の鉾の外観!
続きはMoreをクリック。
↓高台寺の臥龍廊・・・龍の背中に似ている廊下です。
↓ねねの道。人力車のお兄さんが乗客にお薦めしていたのがお向かいの圓徳院。
圓徳院は高台寺の頭塔で、北政所がここで19年間暮し、生涯を閉じたところ。
北政所は終生この地を愛したと伝えられます。
↓圓徳院の石庭の中央三角に尖った岩が、まず目に飛び込みました。
なにやら、仏像のように見えたのです。
それにしても、御殿と庭ごとそのまま伏見城から移してきたとは・・・
資金は援助金として徳川が出したんでしょうか?
↓八坂神社。
↓今度は、
知恩院にやって来ました。どでかい山門!(地図は
ここ)
知恩院の大伽藍は家康がその根拠地にするために建築を命じたとも言われています。
↓御影堂 法然上人の御影を祀る知恩院の本堂。寛永16年(1639)徳川家光公により建てられた。
ここで聞いたお経、いままで聞いたことが無いような「音楽的」お経で聞き惚れました。
さすが知恩院、総本山ですね。
(ちょっと調べてみました・・)南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)とは、「南無」はサンスクリット語 で「わたくしは帰依します」と意味し、「阿弥陀仏」は、「無量の寿命の大仏」「無量の光明の仏」 を略出したもの。(Wikipediaから要約)
ここのいい所は財政豊かなのでしょうか、「入場料なし」。
↓仏像の名前は解りません。
↓最終目的地はココでした。この大鐘楼は、学生時代に、予備知識なしで来て、その大きさに本当にびっくりしました。2度目に見ても大きい鐘です。
高さ3.3メートル、口径2.8メートル、重さ約70トン。普通の家の天井の高さよりも高い。
除夜の鐘は17人の僧侶により撞かれますが、その内1人が親綱を持ち、仰向けにぶら下がるようにして撞き、残りの16人は子綱を持ち、掛け声と共に鐘が撞かれます。(知恩院HP)
↓大鐘楼の脇から
円山公園に来ると梅林の香りが。。。綺麗に咲いていました。
↓円山公園にいたこの鳥は何でしょう?近くにいた方も「解らん」と。
で、調べました・・・「バリケン」(台湾鶩、広東鶩、正蕃鴨、生蕃鶩)
英名“Domestic Muscovy Duck” カモ目カモ科
ノバリケン(メキシコより中央アメリカを経て南アメリカのアマゾン川ラプラタ川流域までの地域に留鳥として生息)を家禽化した品種。
雄は普通飛ぶことができないが、雌は6-8m位は飛ぶことができる。(はてなダイアリー)
本日のおまけ・・・
↓行きの時に写した富士山です。
30年ぶりに行った京都でしたが、懐かしくも有り、新たな発見も有り、『日本に京都があってよかった。』という観光copyが有りましたが本当にそんな感じです。
でも人ごみの京都はちょっと敬遠で、季節はずれでも空いた時にまた行きたいですね。
見ていない所、まだいっぱい有りますので。