中学2年生の孫が、夏休みに2泊3日で仙台にやって来て、一緒にあちこちを巡りました。
1日目に行ったのは仙台市戦災復興記念館で、
ここには、仙台空襲がどんなものであったのかが、展示されています。

仙台空襲が有ったのは、終戦の約1ヵ月前の、
1945年7月10日の真夜中のこと、

米軍のB29爆撃機が飛来して、焼夷弾を落として、

仙台の市街地は一面の焼け野原になり、

1400人もの人々が亡くなりました。

防空頭巾をかぶっていても役には立たなかったでしょう。

爆撃中心点は仙台市のど真ん中、

ここに焼夷弾を落としました。

工場などは爆弾で壊しますが、都市を焼き払うのは焼夷弾だったのです。

火事を起こすのが目的の焼夷弾です。

上空から落ちる途中で、束になった焼夷弾がばらばらになって広がって、
広い範囲を焼き払うという作戦です。

一つの焼夷弾に110本入っていました。

落ちてきたところは、「防空壕」とは名ばかりの、ひ弱な構造のもの。
これでは命は助かりません。

危ないと思って、ここから逃げ出した人も多かったのですが、
防空壕で300人ほど亡くなったのです。

竪穴式という防空壕は全く無力でした。
より安全な横穴式は、崖などに造られましたが、数が少なくて
そこに入れる人は少なかったのです。

今も崖に残っている横穴式の防空壕跡の写真です。

理不尽で悲惨な出来事は、繰り返さないことを願うばかりです。
続きは山形城の巻。