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~ 6 ~ 水沢の歴史散歩  水沢城跡 と 幕末の偉人 高野長英

旅の3日目は水沢の歴史散歩です。
北上からJR在来線で水沢(奥州市)に移動して、
武家屋敷の「旧内田家住宅」に来ました。
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ここは江戸時代には仙台藩のお城が有ったところ。

今回は、城下町の痕跡を見て、
水沢が生んだ三偉人、
高野長英、後藤新平、斎藤實の足跡を訪ねます。
(内容別に2回に分けて掲載)

門を内側から振り返ります。
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「旧内田家住宅」の外観です。
武家屋敷といっても農家の外観とそっくりですね。
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武家らしいたたずまいの室内と、
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農家風の?囲炉裏のまわり。
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奥のほうに有る「武家屋敷資料館」に入ってみましょう。無料で見学できます。
コンパクトながら昔の水沢をよく知ることのできる施設でした。

水沢城の模型です。
本丸は右上のところ。
今は痕跡はほとんど有りません。
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江戸時代の絵図です。
北は右側、90度ずれています。
右は盛岡方向へ、盛岡藩はお隣で、
左は仙台方向へ、ここは奥州街道が通っていた宿場町でもあり、
仙台藩の北端にある、盛岡藩と相対する(にらみ合う)城下町でした。
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今残るのは、この伯母杉一本と、その背後に隠れた黒門だけ。
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お城の跡は今は奥州市役所。(=元の水沢市役所)
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説明板です。ここの支配者は水沢伊達家でした。
江戸時代には一国一城令のせいで、お城ではなくなり、
「要害」と名前を変えましたが、事実上のお城でした。
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こちらは、資料館にあった「陣幕」・・・
戦場で陣地を作るための幕です。
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留守政景が伊達政宗から伊達姓を賜り、これが「水沢伊達家」になりました。
その時に「竹に雀」と、「三つ引き紋」の家紋付き陣幕も貰ったのです。
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ここからは、「水沢の三偉人」について・・・
写真は3つの記念館の入場券です。
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びっくりなことに、お城のそばの狭いエリアに、この三人のうまれたところが、集中して有ります!

まずは、高野長英から。こちらが生家の跡です。
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養子に行って高野姓に変わって、
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少し離れた場所にある、高野長英の住居跡です。黒塀と松がいいですね。
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子孫が住んでいましたが、今は空き家。
江戸時代そのままでは無いようです。
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静かな住宅街でした。
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こちらは水沢公園にある高野長英記念館です。
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長崎でシーボルトの鳴滝塾に学び、
その後江戸で塾を開きます。
漂流した日本人を届けようとした外国船(モリソン号)を
大砲で打ち払う事件が起こって(1837年)
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これに危機感を抱いた長英は、翌年に『夢物語』を書き、幕府を批判しました。
この趣旨は「打ち払いは、野蛮で非人道的な国だと外国から思われ、日本の国益に反している。
打ち払わず、礼儀正しく、漂流民を受け取るのが国益にかなう」というものでしたが、
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幕政を批判したかどで、終身刑に処せられます。(1839年 蛮社の獄)
その数年後、中国でアヘン戦争(1840年~1842年)が起こったことをきっかけに、
これはまずいと、幕府は異国船うち払い令を緩和して、1842年に 天保の薪水給与令を出しましたが、
これは、遭難した外国船に限って(という条件付きで)燃料や水、食糧を与えるものでした。

政策は少し変わっても、幕府を批判した罪はそのまま変わらず、
長英はずっと獄に入ったままで、
長英は囚人の手紙を代筆し、病人の治療をし、牢名主になりました。
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1844年に獄舎が火事になり、その機会をとらえて脱走し、諸国を逃亡します。
江戸に戻って、変装して町医者となり活動しますが、
1850年ついに幕府に捉えられ、47歳で最期を遂げます。

獄中で使っていた布切れが残っていました。
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『二物考』~ 大飢餓への備えにジャガイモとそばの栽培を勧めた本です。
そのほかにも、伝染病予防の本や、家庭用医学書、日本初の生理学書なども書いていました。
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紙芝居風にまとめた高野長英です。
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絵解きだと良く判ります!
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高野長英が亡くなった3年後、1853年にペリーが来航し、
1856年に日米修好通商条約を締結し、日本は開国となりました。

高野長英記念館による動画はこちら・・・『高野長英の生き方』(20分ほど)

次回は 後藤新平 と 斎藤實 の巻です。


by ciao66 | 2025-06-14 15:13 | 東北あちこち | Comments(4)
Commented by ペンタファン at 2025-06-14 16:48
城下町の痕跡、「旧内田家住宅」いいですね。
農家風の?囲炉裏の雰囲気、けっこう好きです。

奥州市役所、お城の跡に建設されたのですね。
福井も城跡だったようなので、意外と全国的には、めずらしく無い?
意外でした。

高野長英は、勉強不足で知らなかったのですが、
国際的な知識を持っ人材を生かせないのは、どうなのかと思いますね。
Commented by ciao66 at 2025-06-15 15:33
ペンタファンさん、全国各地には明治維新の際に壊された城も多く、お堀もなくなっている場合が多いですが、武家屋敷跡を見たり、街角に残った痕跡を見つけるのも、ちょっと探偵の様でもあり?面白いと思うのです。

高野長英にご興味がありましたら、動画のリンクを本文に記載しましたので、
もしお時間が有ればどうぞ。
幕府へ物申すことそれ自体が、罪になるという大変な時代のなかで、
長英の命を懸けた行動が、幕末の開国につながったように思います。
Commented by Kj at 2025-06-16 09:58
炉内の雰囲気のような
冬はとても快適になるでしょう
Commented by ciao66 at 2025-06-16 17:08
囲炉裏は今ではほとんど見かけませんが、ノスタルジーな雰囲気がいっぱいです。
ここでは火が起こされていて、やかんが掛かっていましたので、尚更でした!

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