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6. 道後の湯築城を巡り、萬翠荘を見て、帰路に就く

旅の最終日の朝、湯築城跡にやってきました。
昭和の時代には動物園で、それが移転した後に、発掘された遺跡です。
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ここは昔は搦手で、今は公園の入口になっています。
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こちらは内堀です。ぐるっと一周してみましょう。
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標高差30mほどの平山城で、
頂上から見れば、道後温泉の街がすぐそこ。
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遠くに松山城が見えて、
武家屋敷跡はすぐ下に有ります。
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カーブを描く内堀は中世の雰囲気。
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武家屋敷跡です。中世に河野氏一族が伊予一国を支配していました。
この右手辺りが・・・
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冒頭の写真です。
内堀のカーブと、こんもりと盛り上がる樹々が美しい。
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そしてこちらは珍しい展示で、
本物の土塁の断面!が公開されています。
(左手外側は外堀で、右手は城内)
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武家屋敷跡も再現されていて、写真は連歌の様子でした。
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ちょうど1時間で一周して、そのあと資料館も見学。
判ったことは・・・
・守護大名の拠点城郭、という全国的にも珍しい遺跡で、日本百名城の一つ。
・村上水軍とも姻戚関係があり連携していた。
・豊臣秀吉の四国攻めで湯築城を明け渡した。(1585年)
・時宗を興した一遍上人は、河野氏一族だった、などなど。

道後公園で最後に見たものは、石造湯釜(湯釜薬師)です。
かつては湯口(お湯の注ぎ口)として、実際に使用されていたもので、
宝珠に「南無阿弥陀仏」と一遍上人が刻んだ文字が残っています。
(・・・それで、湯釜薬師なのでしょう)
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湯釜の説明板です。
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道後公園から市内電車に乗って、大街道で降りて、
次に向かったのは萬翠荘です。
この坂道を上がって・・・
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さらに丘の上へ、
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ここが萬翠荘です。
大正11年、旧松山藩主の子孫にあたる伯爵、
久松 定謨(ひさまつ さだこと)の別邸として建てられた西洋館。
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立派なゲストルームです。昭和天皇も訪問しました。
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ステンドグラスです。
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2階のお部屋です。
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1階には神奈川台場の絵が有りました。
(横浜港の防衛のため、松山藩が築造した台場)
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松山城は、明治維新後に新政府のものになりますが、
大正12年に、久松定謨伯爵が払い下げを受け、
お城の維持費までつけて、松山市に寄付した!
・・・なかなか偉い方だったわけです。

萬翠荘の敷地内には「愛松亭跡」という石碑が有って、  
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説明板によれば、漱石の最初の下宿跡、小料理屋さん(愛松亭)でした。
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漱石は、明治28年4月から6月頃まで、ここに下宿しました。
そして、小説『坊っちやん』の主人公の下宿もここ!
「裁判所の裏の山の半腹にて眺望絶佳の別天地」と書かれています。
(「俳句の里松山」の記事より抜粋・要約)

今は別の建物で 漱石珈琲店 愛松亭 になっています。
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愚陀仏庵は、二つ目の下宿でした。
以下はGoogleの要約です。

【愚陀仏庵跡】 愚陀仏庵は松山市二番町上野義方邸内の二階建ての離れでした。
漱石と正岡子規が同居したことで知られています。
漱石は自らを「愚陀佛」と称し、この宿を「愚陀佛庵」として俳句に熱中しました。
1945年7月の戦災で「焼失」しましたが、子規記念博物館や「萬翠荘の敷地内に復元」されました。
平成22年の土砂崩れで、「萬翠荘の敷地内の復元」は「倒壊」しています。
↓ 「焼失する前」の愚陀仏庵
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さらに調査すると・・・
NHKのニュースによれば、倒壊した愚陀佛庵の復元建物が、
子規の母校(番町小学校)の敷地内に再建される予定だと。

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萬翠荘をあとにして、最後に松山城のお堀端を散歩します。
こちらは東側のお掘。
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南堀端に来ました。柳が美しいですね。
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こちらは西側のお堀で、とても広いお掘です。
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乗る予定の飛行機が1時間遅れで出発、飛ばないよりははるかに良しです。
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羽田行でしたので、東京からは新幹線に乗って、仙台に帰ってきました。




by ciao66 | 2025-04-03 19:37 | ふらふら四国・中国 | Comments(6)
Commented by Clearwater0606 at 2025-04-06 08:20
今回も見応えありますね。

西洋館、びっくりしました。莫大な財力だったんでしょうね。
Commented by ciao66 at 2025-04-06 09:32
Clearwater0606さん、どうも有難うございます。
お城を買戻して、それを市に寄付して、さらに西洋館も建てるとは、なんとも凄いですね!
Commented by photo510ひろし at 2025-04-06 19:30
湯築城跡なんと動物園があった場所だったのですね。
昭和は、高度成長期、開発重視だったかのかも?

萬翠荘もこんな立派な西洋館が別邸とは、驚きでした。

飛行機が間遅れで出発とは、最後は、とんだハプニングでしたね。
でも、仙台に無事到着でき良かったです。
Commented by ciao66 at 2025-04-07 17:43
動物園が湯築城跡に有ったということは、むしろ発掘はしやすかったかも。
大きな建物の基礎があると遺跡が壊されていることもありますから。

別邸がこれだけ立派ということは本邸のほうはどうだったのでしょう。

空港行のバスに乗る前に、飛行機が遅れるという連絡が来て、増えた時間で愛媛県美術館に寄りましたので、それも良かったかもしれません。
Commented by milletti_naoko at 2025-04-14 02:13
知らなかったことがたくさんで驚きました。
今は道後に動物園がなくて、そのあとがお城の跡として
訪ねられるようになっていて、しかもそんなに重要なお城だとは!
再現された武家屋敷跡で、再現されているかつての暮らしの様子が
連歌の場面というのもおもしろいのですが、正岡子規の生地であることを
意識してなのでしょうね。

萬翠荘は話にだけ聞いていました。そういう経緯で今は松山城を市が
維持しているとは!

愛松亭跡も、愛媛大学の授業の国文学購読で漱石の作品を読んだときに、
漱石が松山を馬鹿にしているとか、実は松山という地名は一度も出てこない
ということを先生が言われていたことに驚いてそれはよく覚えているのですが、
ゆかりの場所が今も残っているとは聞かなかったような。松山以外から来た
クラスの仲間がわたしの他にもいたのですけれども。
Commented by ciao66 at 2025-04-14 08:34
milletti_naokoさん、私がずいぶん前に道後行ったときには、湯築城は影も形もなく、
動物園の下に眠っていたとは、不思議な感じもします。
中世の山城が残っているのは、たいてい街はずれの郊外が多いのですが、
こんな街の真ん中に有るのはとても珍しいように思います。
武将たちも道後の湯に入っていたのでしょうね!

漱石の1番目の下宿であった愛松亭の敷地に、
漱石の2番目の下宿(愚陀仏庵)の倒壊した再現建物が、最近まであったので、
愚陀仏庵と愛松亭が混同されやすい状況だったように思います。
両方をうまく整理した情報は少なく、いろいろ調べてやっと判りました!
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