ここは伊香保に残る「ハワイ王国公使別邸」の跡です。
今はアメリカの州となったハワイですが、明治31年までは独立の王国でした。
この地が気に入って当時の在日公使が別荘にしたのです。

純和風なのは既存の建物を購入したからですが、
ここにはハワイ風の建物はきっと似合わなかったでしょう。
2階からの眺めと風通しが良さそうです。

さぁ中に入ろう、と思ったのですが・・・
無情にも「本日は休館日」の張り紙が。
リサーチ不足でした・・・

仕方がないので説明文を写真に撮りましたが、

石段街の一番下まで来ました。少し上に関所跡が有りますので、
この付近の幅広い石段は江戸時代には無かった部分でしょう。
遥か上に泊った旅館が見えました。

伊香保にはいろんな文人が訪れていますが、有名なのは徳富蘆花でしょう。
徳冨蘆花記念文学館には等身大の写真があります。

生まれたのは明治元年、熊本県の旧家の末っ子でした。

明治31年、彼が31歳の時(・・・判りやすい)。
伊香保を初訪問し、ここか終生のお気に入りの地になり、代表作も出来て、

明治33年、『不如帰』を出版。これが大人気を博しました。
作品中の「千年も万年も生きたいわ!」というセリフが有名ですね。

明治40年、千歳村粕谷に転居。今の京王線の芦花公園駅辺りで、
トルストイに影響されて文字通りの晴耕雨読の生活だったと。

蘆花の伊香保の別荘を復元した建物です。

縁側からの眺めがいいですが、建っていた場所は石段中ほどの定宿、千明仁泉亭の中庭でした。

昭和2年、60歳のとき、
病気を押して、何が何でも伊香保へ行くとやってきて、
蘆花終焉の地は伊香保でした。

伊香保の最後はここに電車が通っていたというお話です。
渋川からの高低差524mを登山電車さながらに、カーブが連続しスイッチバックまで有ったという、鉄道ファンなら残しておいてほしかったと思う電車でした。明治43年に開業して、半世紀ほど走り続けましたが、昭和31年になって廃止されました。

今回乗った伊香保ロープウェイは温泉街のすぐ上の山まで、ところが・・・
その昔、伊香保温泉から榛名湖まで登るケーブルカーまで有ったとは!
戦時中一時中断し、戦後せっかく復活したのに、道路が良くなり、
マイカーなどに押されて利用者が減少し、ケーブルカーは昭和41年に廃止されました。
知らない事実がいろいろなのですが、
伊香保に電車やケーブルカーが有ったころにタイムマシンで行ってみたい!

伊香保温泉からの帰り、バスの中から、あっ電車だ!と写したのがこの一枚です。

温泉街の入り口に保存展示された車両でしたが、
瞬間的なタイムマシン?すぐに覚めた夢のような・・・