東日本大震災から間もなく10年になろうとするこの時期、震災遺構となったJR仙石線「旧野蒜駅」に行こうと思ったのです。
写真は新しく出来た野蒜駅のほうです。

被災した旧線路は廃止され、山手のほうに線路を移動して付け替えられました。

駅前には山を切り開いてできた新しい住宅団地が出来ています。

新しい線路と駅舎から降りてきました。海のほうへ振り向くと・・・

平地に新しい住宅が出来ていますが、この辺りまで津波が来たところでしょう。
古い線路と震災遺構「旧野蒜駅」は写真の右手奥辺り。

震災遺構「旧野蒜駅」です。もう電車が来ることはない駅舎。
震災のときはがれきでいっぱいでしたが、今は綺麗に片付けられています。

がたがたになったプラットホーム。

倒れてしまったポールはそのままにしてあります。
右手奥にあるのが駅舎の跡で、

今は東松島市の震災復興伝承館となっています。中に入ってみましょう。

震災のときから止まったままの時計です。ピカピカすぎてピンとこないかもしれませんが、
地震が発生した2時46分を記録したまま、針はピタッと止まっていました。

当時の仙石線の電車は大変なことになりました。でも乗客は誘導され避難して無事だったようです。
当時の野蒜の街の様子です。津波が引いた後の写真ですが、町はめちゃくちゃに。
津波で流されてしまった町の航空写真です。東松島市だけで1000人以上が亡くなりました。宮城県全体では1万人以上になります。

復興が終わった今の姿です。町は山を切り開いて写真の一番上のほうに移動しました。駅も線路もそちらに移動しました。

東名運河です。松の木は残っています。

旧駅舎から伸びていた線路跡を見に来たら、自転車専用路が出来ていました。
上手い利用方法を考えたものですが、柵が有ってまだ供用開始にはなっていないようです。

グーグルマップで見ていて、気になった「おさとう山」に来ました。旧駅舎から新駅舎に行く途中です。看板が有ります。

震災の10年以上前から、私設の避難場所を30mの標高の山に作ったという佐藤さんでしたが、
実際にここで70人以上の命が救われました、素晴らしいの一言です。

「おさとうやま」に登ってみると、頂上にちゃんと小屋が建っていて、
お目にかかれるとは思っていなかったのですが、ちょうど佐藤さんがいらっしゃいました。
「いつ津波が来るかもしれないので、いつでもここは開けてあります」
これには頭の下がる思いでした。

最後はちょっと鉄道うんちくを・・・帰りの電車は、ディーゼルの発電機と、蓄電池とを組合わせて、モーターを駆動する、「HB-E210系気動車」。モーターで動くので電車とも言え、ディーゼルエンジンを積んでいるのでディーゼルカーとも言える、ハイブリッド車両なのでした。

なぜこのような車両が有るのか不思議だったのですが、仙石線と東北線を直通で走る仙石東北ラインの場合、交流区間(東北線)と直流区間(仙石線)にまたがるので、普通の電車では走れないため、特別に作られたようです。冒頭の写真も同じです。