天平時代の昔、全国に建立された国分寺の1つだった陸奥国分寺ですが、奥州藤原氏の滅亡とともに、荒れ寺となり、その後、伊達政宗が再建した建物が今も残っています。

天平時代の伽藍はもう残っていないので、陸奥国分寺「跡」というわけです。
樹齢200年の銀杏がみごとに黄葉していました。

ここは、古くは宮城野、木ノ下は万葉集にも詠われ、正宗による再建後には芭蕉も訪れた地でもあります。

松尾芭蕉の句碑。 「あやめ草 足に結ばん 草鞋の緒」

風流人の芭蕉は旅のわらじ2足を貰って、あやめ草を足に結んで、曽良と二人でおくの細道を歩いて行ったのでしょう。

この季節、ここはちょっとした紅葉の穴場で、


創建された当時は、18の伽藍、七重塔、300の僧坊、3000人の僧という規模を誇ったという、かつての大伽藍が偲ばれます。