昨年に四ツ谷用水跡を歩いて、その上流部分がまだ見ずに残っていて、暑さが和らいだ先日に行ってきました。出発地の八幡の文殊堂は雰囲気のある境内ですが、残念ながら崖崩れということで中には入れません。そのそばに有るのが・・・

四ッ谷用水の谷越えポイント、「聖沢掛樋」です。江戸時代にコンクリート製だったわけはなく、
当時は木製で1辺1.5mだったそうで、今では工業用水を通しています。

説明版です。

仙台は河岸段丘上に展開された城下町なので、広瀬川から水を取り入れるのは困難だったのです。そこで、伊達政宗が命じて作ったのが四ッ谷用水で、完成後は城下町の防火用水、生活用水、農業用水として利用されていました。仙台市のホームページからお借りした、江戸時代に四ッ谷用水が流れていた様子です。
今回は地図の③付近から上流部を歩きます。

広瀬川沿いに上流に移動しました。城下町に水を流すために渓谷沿いに用水は掘られました。左手は青葉山です。

下流方向の眺めですが、右手奥方向が仙台の街です。

黄色い丸印が聖沢掛樋の位置です。
これから広瀬川からの取水口だった赤い丸の地点まで向かいます。

コンクリートで蓋をされた用水でしょう。草が生い茂って向こうには行けません。

さらに歩いて、色づいた田んぼが見えてきて、郷六と呼ばれる農村地帯まで来ました。
ここは現代に開渠で残る四ツ谷用水の唯一の地点だそうです。
四角い池は工業用水の沈殿池です。さらに進むと・・・

広瀬川の見えるところに出ました。草が生い茂っていて接近不能でしたが、昔の取水口はこの付近だそうです。

航空写真でその位置を確認しましょう。赤い丸のところです。
その左に有る青い丸印のポイントは、スマホのグーグルマップで気づいたところですが、面白そうなので行ってみることに・・・

すっかり黄金色になった田んぼの脇を進みます。
街中では見ることが無い光景、ここまで来て見ることが出来ました。

不思議に湾曲したあぜ道、しかも幅が有ります。

「葛岡城跡」という表示がマップに出ていたのですが、現地に来てみても、案内板も無く何処なのかよく判りません。
畑仕事をなさっていた男性にお尋ねしてみると、正面に見えている緑の土塁がそうですよと!
なるほどそうだったのか、と納得です。農家の一軒が葛岡城跡だったのです。中世の館といったところでしょう。

帰宅後の調べでは、国分盛氏の家臣、馬場筑前入道清説(きよもり)の居城だったそうです。湾曲したあぜ道は城館の堀の跡だったのでしょうか。
そして、この大きな葉っぱは何でしょうと、ついでにお尋ねしたところ「郷六いも」と教えて頂きました。
あまり見かけることも無いような地場野菜だったようです。

調べたところ、異界妖怪伝承データベース 宮城縣史 民俗3(21巻)に「郷六いも」の記載が有りました。
・・・下愛子の老婆に芋をもらえなかった弘法大師は、今の大梅寺門前に来かかり、いよいよ腹が減ったので、とある家で一飯を請うと、その家の老婆は貧しいながらも親切にもてなしたので、大師はよろこんで、この家の芋だけうまい芋にした。これを郷六の弘法お授け芋といって仙台第一の美味と称される。
へぇ~知りませんでした。
ここで雨がパラパラ降りだしたのです。この少し先に有るはずの、現在の工業用水の取水口の見学は省略することにしました。