昨日の散歩であれっと思ったのです。
つい先日まで有った魯迅の下宿跡の建物が有りません!

綺麗に更地になっています。
以前有った建物はぼろぼろになって
傾いて今にも壊れそうでしたから・・・。

石碑は残っていました。

2021年に「(仮称)魯迅記念広場 」というものになるそうです。
そういえば少し前に河北新報の記事が出ていました。

少し前まで有った建物はどんなだったでしょう。
昔撮った写真を探して再掲しました。これは春に撮ったもの。

冬の様子です。建物が傾いている様子がよく判ります。

これは今の写真ですが、ここは広瀬川の崖の上の眺めのいいところです。
もし広場になれば・・・

ちょうどいい広瀬川のビュースポットになるでしょう。
右手のケヤキが大きく茂った辺りが魯迅の下宿跡です。写真は対岸から春に撮ったもの。

2019年3月3日の河北新報の記事の抜粋です。
「仙台市は、近代中国の文豪、魯迅(1881~1936年)が留学時代に暮らした青葉区米ケ袋の下宿跡地を買い取り「魯迅記念広場(仮称)」として整備する。完成は2021年3月の予定で、足跡をたどる案内板などを設置し、魯迅ゆかりの地を後世に伝える。
市公園課によると、広場を整備するのは東北大医学部の前身、旧仙台医学専門学校で学んだ時代の下宿「佐藤屋」跡地。敷地は423平方メートル。東北大片平キャンパス西側にあり、眼下に広瀬川を臨む。(中略)魯迅が下宿した当時の建物は現存しないが、跡地はゆかりの地として名高く、魯迅を尊敬する仙台の中国人留学生、中国人観光客らが数多く訪れる。
魯迅は1904年から1年半、旧仙台医学専門学校で学んだ。佐藤屋に下宿したのは数カ月だけだったものの、下宿を営んだ旧仙台藩士の佐藤喜東治氏から3代にわたり、魯迅の子孫との交流が受け継がれた。(後略)」
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壊れそうになっていた建物も雰囲気が有って良かったのですが、1904年といえば明治37年のこと、今から100年以上も前!魯迅が住んでいた建物だとずっと勘違いしていたのですが、当時の建物はだいぶ前に建て替えられていたのでした。
おまけは魯迅の胸像ですが、そぐそばの東北大学片平キャンパスに有ります。
ここには魯迅が当時学んだ階段教室が今もちゃんと残されています。