ここはウィーンの
軍事史博物館ですが、ここに来てみるまで、こんな建物だとは思ってもいませんでした。ここが元々は武器庫だったとは、驚きです。

まるで王宮のような金色の輝き。

大きなドームに美しい絵。

絵画以外の部分は、ちょっとオリエンタルなデザインです。
絵が無ければモスクのドームに似ています。

アールの天井が美しいのですが、
展示部分は、エントランス部分のようには豪華ではなく、普通の感じです。

さて、展示を見て見ましょう。
軍事博物館というのはちょっと珍しいジャンルです。
歴史的にオーストリア帝国は軍事的にはあまり強い国では無かったのです。
でも、オスマントルコに攻められた1683年には跳ね返しました。
有名なウィーン包囲(2次)です。丸い砲弾はその頃のもの?

それからほぼ100年後の1757年、
オーストリア継承戦争で負けっぱなしだったマリアテレジアが、
初めてプロイセンに勝ったコリンの戦いの時の戦利品でしょう。
相手はフリードリヒ2世の時代です。その時の記念碑があのグロリエッテでした。
その後またプロシャにはやられっぱなしになるのですが・・。

フランス革命(1789年)のあと、ヨーロッパ中がナポレオンに占領され、オーストリアも同様でしたが、そのころ使われた始めたのが気球です。

その天才ナポレオンも、結局は全ヨーロッパを敵に回して、負けて島流しになってしまいます。

その後、ウィーン体制の平和な時代になったかと思ったら、次は革命の時代。
パリの2月革命がヨーロッパ中に波及して、オーストリアでも大変なことに。
内戦があちこちで起こります。

その後、平和な世紀末の時代を経て、飛行機の飛ぶ時代になって、第一次大戦がはじまります。これはアルバトロスB2というドイツの飛行機です。

その第一次大戦の引き金となったのがサラエボ事件です。
1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公と妻のゾフィーは、ボスニアの州都サラエボで銃撃されました。
このサラエボ事件の1カ月後、オーストリア=ハンガリーはセルビアに宣戦を布告し、それが第一次世界大戦の端緒となりました。
その時フランツ・フェルディナント大公夫妻が乗っていたのがこの自動車です。
軍事史博物館で一番の見るべき展示物はこれでしょう。

運転席です。
銃弾の貫いた跡が生々しく残っている車体。
残されたフランツ・フェルディナント大公の服です。

当時の報道写真などを纏めた記事のリンク。↓
サラエボ事件から100年 第一次世界大戦の引き金となった暗殺を写真で振り返る偶発事件から起こったというところが、危なっかしいですが、
今でも似たり寄ったりかもしれず、そんなことが起きないことを祈りつつ、
風格ある建物を振り返ります。

30分ほどの駆け足見学でした。ホップオン・ホップオフバスにまた乗ります。
建物の真ん前まで付けてくれるので、これは助かりました。

公園のようなところを抜け、次に向かうのはすぐそばに有る・・・

ベルヴェデーレ宮殿です。到着しました。

女性のような、羽の生えた馬のような・・・不思議な像です。

建物に入りました。窓の形が独特です。

昔はオイゲン公の宮殿でした。
オイゲン公は、オスマントルコが攻めてきたときに活躍した英雄ですが、
いまでは美術館になっていて、

クリムトの「接吻」が有ります。うまく写せませんでしたが・・・。

クリムトの遺作「The Bride」(未完成)。ぼやけてしまいましたが・・・。

この庭はみごとでした。ベルヴェデーレ、美しい景色という意味の言葉通り。
視線の向こうはウィーンの旧市街。大聖堂の塔も見えます。

ここも30分ほどの駆け足で見て、またホップオン・ホップオフバスに乗ります。

こんどは最前列を確保。
やはりここが一番眺めがいい!

オペラ座の前で、トラムD線に乗り換えて中心部を縦断し、
中心市街地の北側に出てきました。

次回はフロイト博物館とシューベルトの家の周辺です。
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