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37. ブランデンブルク門からヒトラーの地下壕跡まで@ベルリン

ベルリンの2日目、ブランデンブルク門にやってきました。
東西分離時代には「分断の象徴」でしたが、今は「ドイツ再統合の象徴」になりました。
丸い物見台ができていて、その横には大きな写真パネルが有ります。
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古いモノクロ写真は第2次大戦の直後のもの。
戦地から戻った兵士たちが手当てを受けている様子です。
ドイツの敗戦は1945年4月8日でした。
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「こういう時代もあったのだ」というメッセージを発しているのでしょう。
平和な世の中にあっても、戦争の惨禍を忘れないという。

物見台から旧東ベルリン側のウンターデンリンデン通りが見えています。
赤い傘の横がSバーンのブランデンブルク駅から地上に出たところです。
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振り返れば、少し台を登っただけなのにブランデンブルク門がよく見えます。
(これは簡単でなかなか親切な仕組みです)
そして、さすがに著名観光地、見物人はとても多いのです。
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4頭立ての馬車・・・こちらからは馬しか見えませんが後ろに馬車の箱が有ります。
馬と馬車は1806年にナポレオンがドイツを占領したときにパリに持ち去られたのです。
ナポレオン凱旋のが残っていますが、今は戻されて、ちゃんと門の上にあります。
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東側から西へぶらぶらと歩いてきた人々です。
分断時代には全く考えられない光景です。
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門の前では、様々なカラーのトラバントのツアーが!
カメラを向けると、注目された!と喜んで、手を振るドライバー。
何でも観光ネタになっているのです。東独時代の臭い排気ガスが残されました。
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また門をくぐって東側に出て、箱のようなものが並ぶ一角に来ました。
何だと思います?
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少し進むと箱は高くなり、深い谷間を歩くように。
実は、これは犠牲になったユダヤ人の記念のオブジェ。
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一本一本は膨大な数の犠牲者を現しています。
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この地下には、ユダヤ人犠牲者記念館が有ります。
ここも無料施設で、当時の反省を世界中に表明し、市民が学ぶ場になっています。
ここはテロ対策で荷物のチェックが有ります。
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ナチス時代の写真パネルです。
車に乗せられるユダヤ人。行先は・・・・恐ろしいところ。
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貨車に乗せられるユダヤ人。
罪もない人々が、無理矢理に、殺されます。
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犠牲者の顔写真です。子供もいました。
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人々が見ているのはユダヤ人の最後の手紙です。
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1942年頃の犠牲者が最後に残した手紙で、紙の無い状況で本の切れ端に、
イディッシュ語、ポーランド語、英語、ヘブライ語の4か国語で書いています。
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英文の内容を意訳してみます。

我々は今恐ろしい時を過ごしている。数多くの人々が労働キャンプに呼び出され、
それが本当に意味するのは、殺されることだとを知っている。
それが本当に働くことだったら、どんなにか良いことか。
周りにはすでに疲れはてて死にそうな人もいる。
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別の手紙です。

今生き残っても何の価値があるのか。
ワルシャワの故郷に帰れても、もう誰にも会えない。(もう誰も残っていない)
耐えて、持ちこたえる人生(life)は、何のために、誰のために?
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ドイツ占領下のリトアニアで1942年に書かれ、手紙の主は2年後にナチスに殺害された。

ユダヤ人犠牲者の家族の写真です。
何人かが生き延びましたが、大部分は犠牲になりました。
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並んだ靴が悲惨な出来事を現しています。
ここには掲載しない写真も多数ありました。
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若い人も、ドイツ市民も、旅行者も熱心に見学しています。
先ほどのトラバントツアーの若者は見たかな?
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見学を終えて地上に上がります。
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少し歩いて、別のスポットに来ました。
そこには案内看板があり、公園のようになったオープンスペースが有ります。
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昔あった建物の絵です。大きな建物ですが、その中にヒトラーの地下壕が有ったのです。
ユダヤ人虐殺の張本人、妄想からそれは発していました。
ドイツとヨーロッパ中を混乱させて、1945年4月30日、ここで自殺しました。
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(私は単独で来ましたが)ガイドツアーが行われていて、説明中です。 
周りは都心部ながら静かな住宅地、あまりにも忌まわしい場所なので、
建物は解体され、公園になっているようです。
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近くのMohrenstr.駅まで歩き、Uバーン2号線で一駅だけ移動します。
次回はポツダム広場とチェックポイント・チャーリーの巻です。

by ciao66 | 2015-08-15 07:54 | ドイツを巡る2015 | Comments(4)
Commented by ひろし at 2015-08-15 23:25 x
東ドイツ製の車、箱形スタイルでクラッシックカーに見えます。
後ろで走るピンク色の車もやはり観光用?再塗装でしょうが、東西の差が観光資源にもなっているのですね。

ユダヤ人犠牲者記念館の靴がたくさん並ぶ写真、悲く悲惨な光景が想像でき印象に残りました。




Commented by ciao66 at 2015-08-16 09:38
トラバントは東ドイツ時代の生きた化石でしょう。1957年から1990年の間ほとんど進歩がなかった!排ガス規制のため、今は歴史文化財として特別に許可を得た車両以外は走行できないそうです。デザインの箱型は1961年に出たトヨタのパブリカも似ている気がしますが、そちらは全く人気ないのに、トラバントは懐かしまれ、すっかり商売のネタになっていますね。

靴がたくさん並ぶ写真のインパクトはとても強く、当時の悲惨さを物語って余りあると感じました。
Commented by ciaomami at 2015-08-17 20:58 x
来週、名前を変えてこの時代を乗り切ったユダヤ人の少年の映画を見に行く予定です。皆、関心のある事柄かと思っていたのですが「興味が湧かない」と断られ一人で観に行く予定です。私も戦争映画を見に行こうを誘われたら断ると思います。知っておくべき事実なのですが暗いのは嫌って感じでしょうか。ガイドツアーに多くの若者がいて何だか嬉しいです。
Commented by ciao66 at 2015-08-17 23:10
『ふたつの名前を持つ少年』ですね。こう言う映画が有るのは知りませんでした。
先ほど予告編を見ましたが、仙台上映は来月!でも見に行きたいと思います。

ガイドツアーに多くの若者がいるのは、とても心強いことだと私も思いました。
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