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35. ベルリンの東西をバスで横断し、カイザー・ヴィルヘルム記念教会へ。

ベルナウアー通りから一日乗車券を使ってトラムの10番線に乗りました。
トラムの路線はほとんどが旧東ベルリン地区ですが、
広い道路の中央に立派な駅が有るのはトラムとは思えない感じです。
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きっちり区分された道路と線路を見ても、まるで普通の鉄道の様です。
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フリードリヒスハイン公園そばの電停で下車して、歩きます。
ここは小山があって、ガラクタ山と呼ばれているところ。
第二次大戦の終わった後、街のがれきで出来た山。
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広い公園でしたし、山も眺めはあまりなくて、歩き疲れました。
連接の200番バスが来たので、これでベルリンの西側を目指します。
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アレキサンダープラッツ駅のバス停で、100番の2階建てバスを発見して乗り換え。
ここが始発だったので2階の最前列を確保できました♪
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バスはカール・リープクネヒト通りを西へ行きます。
トラムの走るここはまだ東ベルリン側です。先に見えるのはマリエン教会。
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マリエン教会の向こうは赤の市役所。色が赤レンガなので赤なのです。
東西分離の前も、東ベルリン時代も、再統合後の市庁舎もここです。
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シュパンダウアー通りでトラムは右へ曲がります。バスはまっすぐ進みます。
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ベルリン大聖の横を通り過ぎました。ここはホーエンツォレルン家の墓所です。
その所領はブランデンブルク辺境伯領から拡大してプロシャ王国になり、
1871年にドイツ帝国が成立すると皇帝(兼プロシャ王)になり、
半世紀後の1918年に第1次大戦で負けて、王家は終わりました。
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シュプレー川の中州の橋を渡ればベルリンの中心地、ウンターデンリンデン通で、
左端にクレーンが上がっているのはベルリン王宮を復元する工事です。
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古くて立派な橋です。(光線の具合が悪く苦肉の策です)
2階建てバスの最前列は、日差しが強くて暑かったのです。
このあとしばらく地下鉄工事中で、いい写真撮れず。
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バスは、ブランデンブルク門手前から曲がって、旧西ベルリンの領域に入りました。
ここからはティーアガルテンと呼ばれる、かつては王家の狩猟場だった広大な公園です。
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旧西ベルリンの繁華街、<選帝侯が通る堤>という意味のクーアフュルステンダム通りに来ました。通称クーダムです。湿地帯だったところをかさ上げした通りだったようです。
正面の教会はカイザー・ヴィルヘルム記念教会です。
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ここで下車して、見学します。
見上げると第二次大戦での爆撃の跡が生々しいドームです。
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中ほどは大きく穴が開いたまま。
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投下されたのは普通爆弾ですが、ランドマークの爆撃の廃墟という点では、
広島の原爆ドームをも連想させる建物でした。
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建物の違うファサードです。こちらも穴だらけ。
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ここは戦争の悲惨さを伝える記念碑(入場無料)で、今は教会ではありません。
フレスコ画は美しく残っています。ちょっとビザンティン風の雰囲気でしょうか。
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ドラゴン退治の天使はミカエルでしょうか。
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天使の抱えるプレートにヴィルヘルム1世、プロイセン王、ドイツ皇帝と有ります。
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爆撃跡が生々しいのですが、美しい教会(跡)でした。
破壊された教会の代わりに、現在はお隣にモダンな礼拝堂ができています。
青い光が不思議な効果の礼拝堂のステンドグラスです。
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カイザー・ヴィルヘルムというのはドイツ皇帝のヴィルヘルム1世。
1871年の普仏戦争でフランスに勝って、その勢いでドイツ統一をした皇帝です。
旅の初めころに見たライン川のニーダーヴァルトの記念碑を建てたのはこの人でした。
宰相はビスマルクの時代で当時は日の出の勢いのドイツ。

ヴィルヘルム1世が亡くなったのは1888年。8並びで覚えやすい年です。
(画家ゴッホがアルルで絵を描いていたのと同じ年)
その30年後の1918年、孫の時代に帝国が無くなるとは思っていなかったでしょう。

(帝国崩壊後)
第1次大戦の戦後処理でヴェルサイユ条約が結ばれ、その巨額賠償金でドイツは対応不能になり、世界恐慌とヒトラーの時代が来て、ヨーロッパ中が大変なことになります。

次回に続く

by ciao66 | 2015-08-11 22:44 | ドイツを巡る2015 | Comments(4)
Commented by mamejiro19 at 2015-08-12 12:58
近代的な街並みの中にひょこっと現れるその教会、なんとも印象的ですね。確かに、広島の原爆ドームを思い出しました。昔の歴史を思い起こして、フレスコ画もなんだか皮肉ささえ思ってしまいます。
Commented by ciao66 at 2015-08-12 15:05
教会が壊されたのは第2次大戦の時ですが、ドイツとイギリスの空爆合戦で両国の市民は大変な被害を受けました。当時日本でもそうでしたし、同じようなことが今も世界の各地で続いているのは痛ましい限りですね。
Commented by ciaomami at 2015-08-14 11:24 x
痛々しい教会ですがそれ故に重さを感じます。内部は修復され綺麗で見ごたえがあった事でしょう。青い光のステンドガラスの礼拝堂も見ごたえあったでしょうね。マリエン教会前を走るトラックは"Francia"と書かれながらも国旗はイタリアやん!って笑いました。写真の色の問題なのかしらね?^^
Commented by ciao66 at 2015-08-14 12:39
"Francia"のトラックの国旗は何なんでしょうね。「あっ間違えている」と突っ込まれるのを期待してとか、あるいはイタリアのFranciaという会社なのか、写真の色が変色したのでは無いと思いますが・・。
教会の修復ぶりはイタリアに勉強したのか、ドイツの技術なのか、とても素晴らしいものでした。
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