紀尾井町(きおいちょう)は、東京都千代田区の町名。2013年3月1日現在の人口は311人。
江戸時代は
紀州徳川家、
尾張徳川家、彦根
井伊家の屋敷が有った場所。

紀州徳川家の武家屋敷の一部が今の清水谷公園です。
ここで意外なものに遭遇・・・「大久保利通哀悼碑」です。
明治時代に付近に自宅を構えていた大久保利通は、この近くで暗殺されます。(紀尾井坂の変)

心字池。

この付近を通っていた玉川上水の石枡です。(道路拡幅工事で出土した。)

明治以降は、ここは番町と並ぶ山の手の一つとして緑多き優雅な佇まいの住宅街でした。
今では様子は変化して、紀尾井町の「井」の部分はホテルニューオータニです。
(清水谷公園から眺めたところ)

実は、仕事関係の研修会がこの近くであったので、お昼休みの散歩だったのです。
清水谷公園内の散策路はちょっとした山道でした。

上の写真の階段を登った付近も昔は紀州徳川家のお屋敷でした。今も残る石垣です。
文芸春秋の本社ビルもお屋敷跡、さらに・・・

箱根駅伝で良く登場する城西大学も同じ屋敷跡に有りました。
広い屋敷だったんですね。

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夕刻、研修会が終わって、紀尾井町の「井」の部分、ホテルニューオータニのお庭に侵入。
井伊家の御屋敷の時はどんな風だったのでしょう。

紀尾井町に昇る月は江戸時代も同じだったでしょう。

千代田区観光協会より拝借した江戸時代の地図です。
(グランドプリンスホテル赤坂(旧赤プリ)は
再開発計画のために今年の夏に解体されました。)

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江戸時代は上の古地図のようでしたが、
今の紀尾井町の「尾」の部分は上智大学です。
以前の散歩の記事
「江戸城外堀を歩く」から写真を再掲。
(真田掘側から見たところ)

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この日もう一つ寄り道して、洒落た建物、霞が関の法務省の庁舎です。

最後の一枚は、東京駅の新幹線ホーム。
一点消失の遠近法見本のように撮ってみました。