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第6話:出島は歴史の玉手箱

(2012年3月28日その3)
 出島にやって来ました。近年復元工事がだいぶ進んでいます。
江戸時代には海に囲まれて扇型の島だったのですが、明治時代に周りを埋め立てられ、
昔の姿をイメージするにはちょっと想像力も必要です。
 左手が出島、右手は本土側。
想像する姿は、奥に見えるビルのところは全部海でオランダの船が泊まっていると・・・。
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元々は対岸の川沿いにあるビルのところに橋が架かっていました。
「甦る出島」計画で、いずれビルを撤去して肝心の橋は再建されるそうです。
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出島には江戸時代の建物以外も有ります。
明治期の洋館「旧長崎内外クラブ」です。グラバー氏の息子が関わっていたそうです。
背景の建物が邪魔ですが・・・。
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同じく明治期の建物、旧出島神学校です。明治11年。
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幕末期に建造された旧石倉の建物です。幕末に出島が居留地に変わったのち、
坂本龍馬率いる海援隊が取引に訪れたハットマン商会の倉庫!!
『海援隊商事秘記』には、1867(慶応3)年9月、長崎・出島のオランダ商人ハットマンから
ライフル銃を約1300挺購入した、と記されている。
・・・龍馬も出島を訪れていた!かもしれません。
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シーボルトのお庭が有りました。医者でありながら植物研究者でもあったシーボルトですが、
当時もチューリップは植えられていたのか?
「ふふぉんしぃほるとの娘」(吉村昭)にも出島は再々登場していました。
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(シーボルトについて)
19世紀初頭、商館の医師だったシーボルトは
市内に診療所や鳴滝塾を作って蘭学教育を行った人物です。
商館のオランダ人たちは出島の外には外出禁止だったにもかかわらず、
シーボルトは幕府の信頼を得て、診療と教育のための外出を特別に許可されました。

日本女性の楠本滝の間に娘・楠本イネをもうけ、稲は後に医師となりました。
禁制の日本地図を持ち出そうとして、国外追放処分となった「シーボルト事件」は有名です。
シーボルトは日本に大きな貢献もしましたが、
隠された本当の目的はオランダ政府の命による日本の内情探索だったようです。
蘭学塾の塾生のレポートもその目的に大いに役立ちました。

錆びついた拳銃です。出島から出土しました。出島のガイドさんの話では・・・
オランダ人のカピタンは本当は武装解除されて、
武器は幕府の奉行所に取り上げられていたそうですが、こっそり隠し持っていたのでしょう、と。
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その武器が出てきたのはココ。発掘調査中です。
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この付近の建物の時代設定は、商館医シーボルトたちが活躍した19世紀初頭の出島で、
左手はカピタン部屋、右手は蔵などです。
背景には海と船を描いた大きな「だまし絵」でも有ればいいのに、と思ったのですが。 
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カピタン部屋の室内。館長の部屋だけに立派です。
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会食風景の再現模型。
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ガイドさんの話では、床だけは当時あった建物の「ほんもの」の床だそうです。
へぇ~。
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想像力を働かせる歴史資料です。
幕末期の出島の様子。
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古地図。
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現在の航空写真。周囲はすっかり埋め立てられています。
一番下は長崎県庁の建物。県庁のあるところは江戸時代は奉行所で、
すぐそばから出島を監視していました
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江戸時代の出島の絵図。周囲はすべて海でした。
赤枠の範囲が上の航空写真が写っている範囲です。絵には奉行所も有ります。
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カピタン部屋2階からの眺め。余計な背景はイメージで消し江戸時代の海を思い浮かべましょう。
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1636年出島が出来たときはオランダではなくポルトガル貿易の時代。
その当時の出島の護岸石垣↓。キリスト教を警戒してポルトガル人を閉じ込めたのですが
島原の乱なども有り、影響を恐れた幕府により1639年ポルトガル人の出入りを禁止、
一方、オランダは島原の乱鎮圧への協力が幕府の評価に繋がります。
1641年、オランダの出島になって、以後200年にもわたり出島は海外との窓になります。
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水門と呼ばれた海側の門です。ここから荷揚げをおこないました。
海だったところは今は国道が走ります。出島電停から撮った写真です。
(背景に昔の奉行所=今の長崎県庁が見えていました。)
ちょっと色の薄いアスファルトが昔の出島だった部分。
色の濃いアスファルトは当時海だった部分です。
水色か水玉模様に塗ってもらえれば想像しやすいのですが・・・。
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出島は見どころが多い「歴史の玉手箱」のようなところでした。
紹介しきれないところは、甦る出島!のサイトをどうぞご覧ください。
このサイトのクイズで貰える、川原慶賀が描いた絵、『唐蘭館絵巻(一)蘭船入港図』ですが、
望遠鏡を覗いて蘭船を眺めるのはシーボルト、背後の日本人女性はお滝と子供のお稲、
ではないかと想像されています。

時刻は12時40分、出島電停から乗車してランチに向かいます。
妻が出島のガイドさんに情報入手しました。
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思案橋で降りて、大浦けいの石碑を見てから、目当てのお店に行きます。
大浦けいは茶貿易で儲けた女傑ですが、龍馬に出資をして支援しました。
後に陸奥宗光になる陸奥陽太郎がその交渉にあたったのです。(下関編でまた登場します。)
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長崎卓袱の浜勝に到着。
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長崎に来たら食べたいと思っていた卓袱料理ですが、
これはランチ用のミニしっぽくです。「おたくさ卓袱」・・・美味しくいただきました。
「おたくさ」はシーボルトの妻のお滝さんのことです。
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妻が選んだのは「玉手箱」というネーミングのお弁当。これもgoodだったと。
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ランチの後はまた電車に乗って
着いたのは浜口町電停。電車が建物の中を通る面白いスポット。
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次回は浦上界隈です。
by ciao66 | 2012-04-11 14:54 | 九州はるばる | Comments(8)
Commented by トムソーヤ at 2012-04-11 20:59 x
出島の周りが埋め立てられビルばかりで、ciao66さんの解説がないと、確かに分かりませんね。
プラタモリのように、ciao66さんの想像力とちょっとした遺跡で、出島とその時代が浮かび上がってくるみたい。
大きなドームでも作って中に入れたら良いかもしれませんね。
卓袱料理、美味しそうですね。これは食べ損ねました。

Commented by ciao66 at 2012-04-11 21:21
出島の背景にだまし絵が欲しいと思ったのですが
トムソーヤさんの発想、「ドーム出島」はそれを飛び越えたものですね。
ドームの内側にはもちろん海の絵が描かれるのでしょうが・・・
ドームには時々オランダ船が現れたり、夜には夜景になり、季節の変化もし、
長崎だから雨も降ったりもする。(ドームにつき偽物の雨です)
・・・想像をして楽しんでみました(笑)。
Commented by ciaomami at 2012-04-12 00:22 x
背景が邪魔、余計な背景のコメントが面白かったです(笑)
あぁ~ここにあのビルがなければ・・・って心底思われたのでしょうね?!^^
防波堤というのでしょうか?川の縁の瓦が乗っかった塀が素敵ですね。
ハットマン商会の倉庫もいい味をだしてます。
カピタン部屋の室内もそうですが、和洋折衷、古今折衷で
統一感がなく融合出来てないのが日本の文化なのかも知れないと思いました。
Commented by ciao66 at 2012-04-12 07:03
川の縁の瓦が乗っかった塀が意外に低いのですが、ただの飾りだったのか
川を隔てた奉行所からよく見えるようにしていた(監視していた)のでしょうか。
 ハットマン商会の倉庫は再現されたものだそうですが、
昔からそこに有ったようないい味を出していました。
他のカピタン部屋などは、映画のセットのごとき雰囲気も有ったのですが・・・。
 カピタン部屋の室内は錦絵からの再現かと思うのですが、オランダ人の注文で?日本人大工が造ったんだな、という感じがしたのです。
・・・出島は妻もとてもお気に入りのスポットでした♪ 背景を除いて(笑)。
Commented by 変愚院 at 2012-04-12 08:40 x
奥様との「九州はるばる」の旅、いつもながらの美しい写真と詳しい説明で毎回、楽しみに読ませて頂いています。

たしかに「昔の姿をイメージするには想像力も必要」ですが、特に今回の「出島」編は色んな資料を駆使して紹介されていて、昔日を彷彿とさせます。

それから、卓袱料理が本当に美味しそうで涎が出そうでした(笑)。
Commented by junnote at 2012-04-12 12:13 x
小学校でも中学校でも、歴史の授業で必ず習う「出島」は
今こんな姿をしているのですね。
時代と共に埋め立てられビルが建ち姿を変えてきたけれど、
昔の様子に思いをはせながらの街歩きはおもしろいですね。
近年は復元の方に向かっているというのも興味深いです。
Commented by ciao66 at 2012-04-12 18:11
変愚院様、晴れが続いた今回の旅行でしたので、写真は撮りやすかったのです。
腕よりはお天気頼み・・・「長崎は今日も晴れ」と歌の文句を変えないと(笑)。

出島資料に出てくる幕末に撮られた写真や絵図は、地形の変遷がとても興味深くて飽きないものでした。

卓袱料理は長崎ならではのもので、このミニ版でも充分楽しめました。
Commented by ciao66 at 2012-04-12 18:23
junnote様、出島の復元は最近目覚ましく、目玉となっているカピタン部屋などは
平成18年になって出来たそうです。
発掘作業中の場所に近々再現される予定建物も有り、
国道に削られたところも道路移転させる大工事が計画されていて
少しづつ元の姿を取り戻しているようです。
5年後くらいに行って見ると様子がだいぶ変わっているかもしれませんね。
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