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江戸城外堀を歩く(前篇:牛込見附~牛込堀~新見附掘~市ヶ谷)

ここはJR飯田橋駅。中央線・中央総武線の線路が眼下に通っています。
右手は今に残る江戸城外堀の石垣。
NHKの「ブラタモリ」で放映された「江戸城外堀を歩く」を、その「うんちく」を確認しながら実際に自分で歩いてみようというわけです。
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レトロな雰囲気のJR飯田橋駅西口です。
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電車からいつも見える外堀を牛越橋の上から見下ろします。
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航空写真。(縮尺を変えられます。地図にも替えられます。)

「牛込橋」は江戸城外堀に架かる橋で、西側・向こうに見えるのは新宿区の神楽坂です。
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反対方向・東側は千代田区富士見で、昔は旗本の武家屋敷が並んでいたところ。外堀の内側はすでにお城の中なのです。
そこに残るのはお城のような石垣・・・ではなく現代に残った江戸城の石垣です。
まずは石垣見物から始めましょう。
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石になにやら文字が見え、「阿波」と書いてあります。
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石垣は幕府の命によって阿波の徳島藩が「お手伝い普請」で造ったのです。
石垣だけではなく外堀も全国の大名を総動員して、人力でたったの3か月間で造られたと。
三代将軍家光の時代。幕府の力は凄かったのでしょう。
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ここは牛込見附という江戸城の門で、
この大きな石は阿波の蜂須賀家がここまで船で運んできた御影石だそうです。
今は石垣だけですが、当時は石垣の上に渡り櫓という建物が有りました。
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江戸時代の状況を説明版で見ましょう。
鮮明な写真はこちらをどうぞ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ushigome-Mon.JPG
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番組では牛込見附の構造がどうなっているのかよく判らなかったのですが。
オレンジ色のラインが江戸時代の石垣の形です。
一直線で入らないように敵を迎え撃つために、ふたつの門を直角に配置した「桝形門」という形式。今は無くなってしまった正面の石垣が有ったのです。
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無くなった石垣は今は道路になっています。ダンプと向こうの白い車の間。
番組ではタモリさんが女子高生に発見されて黄色い声が上がった場所です。
左手方向が牛込橋。右手が江戸城内。
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途中ですが今度は"外堀と鉄道の深~いカンケイ!"の話題です。
話は江戸・明治と並行して進みます。
線路と石垣・・・外堀の中を走る電車、というのは興味深い存在なのですが、
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明治時代に中央線は、外堀をうまく利用して、それに沿うようにして造られたというわけです。
外堀に架かる橋と立体交差しているので踏切は当時からなく優れものだった。
(黄色い中央総武線の電車の位置が昔の牛込駅・・・後述)
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そして、近くに明治時代の遺構が残っていて、このピザ屋さんと薬局がその場所です。
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中央線は昔私鉄の甲武鉄道として開通し、今の飯田橋駅は無く、始発駅は牛込駅(今は無い)であった。
ここがその駅舎が有った場所で、店舗入口脇のカーブを描いた石垣は当時の駅舎のものが残っているのです。
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甲武鉄道の石垣はこれです。
平らに積まれた西洋式の積み方は明治時代に入って鉄道技術が伝えられてからのとのこと。
この丸い石垣から外堀の土手に沿って遊歩道が有ります。
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これから外堀の土手の上を歩いて市ヶ谷・四谷方向へ行きます。
外堀公園散歩・・・ちょっとお天気悪しですが。
とても静かで気持ちのいい散歩道です。
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外堀を見下ろしながら、通りゆく電車を眺めながら行きます。この付近は牛込掘。
今残っている外堀は全長4Km。牛込掘~新見附掘~市ヶ谷掘~真田掘~弁慶掘。
昔は14kmもあったのですが大部分は埋め立てられてしまい、ここの4Kmだけが開発を免れて残ったというわけです。
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転がっている石は??
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法政大学のキャンパス。タモリさんが久保田アナと登って景色を見たのはココ。
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この辺りはかつて紅葉川と呼ばれる谷筋だった場所で、ここの土を掘り、谷筋を平地にしたり、土手を盛ったりしました。
正面は新見附橋です。江戸時代には無かった橋で、見附も当時は無かった。
お堀の向こうとこちら側で高さが違うのがよく判ります。お城側が高かった。
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外堀の江戸時代の状況図。
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釣り堀になった新見附堀の水面下に東京メトロの有楽町線と南北線が走っていて、さらにこの他に、
この水面下に市ヶ谷留置線(りゅうちせん)という車輛の点検や修理などのための巨大施設があります。
非公開施設なのですがブラタモリの番組ではしっかり見学して
タモリさんが「ふぁ~~ん」と、昔の地下鉄の警笛の物まねをしていたところです。
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間もなくJR市ヶ谷駅。
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ここは市ヶ谷見附なのですが、牛込見附と違い石垣は残っていません。
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JR市ヶ谷駅。右手の橋は何故か閉鎖されて通れず不思議な存在でした。
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この不思議な橋が気になり、記事掲載後にグーグルアースの市ヶ谷付近を調べましたところ、謎は解明、昭和4年(1929年)開通の「市ヶ谷水管橋」と判りました。
閉鎖されているわけでは無く、大きな水道管を渡すために架けられた専用橋だったのです。


次回「四谷駅かいわい、真田掘編」に続く。
by ciao66 | 2012-01-28 22:21 | 東京散歩 | Comments(8)
Commented by junnote at 2012-01-29 10:27 x
ciaoさんはきっとブラタモリが好きだと思ってましたー(^_^)
でも実際に歩いてしまうところがさすがです!
テレビで見たところだーと楽しく見ました。
Commented by ciao66 at 2012-01-29 10:48
実はブラタモリは昨年11月にjunnote様に頂戴したコメントで教えてもらって、それからずっと見ています♪
それまでその存在を知らず残念でしたが、とても面白い番組ですね。
続きをお楽しみに。
Commented by はなみずき at 2012-01-29 15:15 x
ブラタモリ、私も大好きでみています。
牛込駅の駅舎があった場所などは、よ~く
みてました。
 それにしても、ciaoさんは、タフですね。
Commented by Clearwater0606 at 2012-01-29 16:45
楽しそうな散策でしたね。石垣に刻まれた文字、興味深いですねえ。
Commented by ciao66 at 2012-01-29 17:04
はなみずき様、牛込の名前は調べましたらやはり牛に縁があるようです。
大宝律令で「神崎牛牧(ぎゅうまき)」という牧場が設けられたのがそのはじめとか。
のんびりしたところだったのでしょうね。
Commented by ciao66 at 2012-01-29 17:05
Clearwater0606様、石垣の文字は素敵なカーブを描いているように思いました。
石に刻んだ文字はずっと後世まで残るんですね。
Commented by トムソーヤ at 2012-01-29 23:02 x
ciao66さん

いつの間にか、飯田橋近辺にきていたのですね。
東京在者より詳しいみたい。
月に1度は、もう少しさきの神楽坂に行きますが、ここも雰囲気の良いところです。
Commented by ciao66 at 2012-01-30 07:06
トムソーヤ様、
神楽坂は以前何度か行ったことが有りますよ。わが娘の以前の家が赤城神社や毘沙門天の近くだったので・・・。http://ciao66.exblog.jp/3353342/ 
詳しいのはタモリの受け売りがほとんど・・・少しは調べましたが・・(汗)。 
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