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8. フロイト博物館とシューベルトの生家に行く

建物の外には旗が4本並んでいます。
この旗は、「ここはウィーンの歴史的建造物です」というサインですが、
訪問者には判りやすく格調も高い目印です。
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ウィーンの有名人は数多いのですが、精神医学者のフロイトのその一人、
ドア脇の呼び鈴の中からフロイト博物館のベルを探して、鳴らします。

階段を上がって・・・
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このドアを開けましょう。
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 ここはフロイトが実際に診療をしていたという部屋なのですが・・・
がらんとした中に、ベッドの模型のようなものが置いてあります。
有名な「寝椅子」の代わりでしょうか、本物は別のところにあるとか。
そのわけは後ほど・・・
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当時はこうだった、という写真でしょう。
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住居と診察室の両方を兼ねた家だったのですが、この部屋はどっちの部分なのか・・・。
ここは想像力が必要なところのようです。
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 フロイトはユダヤ人でしたので、47年間暮らし続けた家でしたが、
ナチスの手をのがれるために、1938年にロンドンに亡命しました。
それで、部屋の中が「がらんどう」なのは納得です。
多くの物はフロイト博物館(ロンドン)に有るそうです。
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でも、こちらのお部屋には家具がちゃんと有りました。
ソファーは待合室の椅子?
これで少しは昔の姿を偲ぶことができます。
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窓から見える裏庭ですが、これはフロイトのいた当時と同じ眺め?
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ワンフロアの図面ですが、結構広いお部屋。
これ全部だったかどうかは?ですが。
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見学を終えて、階段を降りて、建物の(共用部分の)ホールです。
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振り返って建物を下から見上げます。
白抜きの大きなFREUD(フロイト)の看板が、とても判りやすいのですが、
ひょっとして目立ちすぎかも・・・。
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ここは、例えればファウルチップのような?博物館だったかもしれませんが、
ロンドンの方も機会が有れば見たいものです。(ロンドンの様子はこちら。)

またD線に乗って、今度向かうのはシューベルトの生家です。
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途中で、人々が乗り降りしているのを撮ってみたり、
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別の停留所のフランツ・ヨーゼフ駅前でも撮ってみたり、
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10分ほど乗ってAlthanstrasseで降りました。
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 グーグルマップの写真ですが、これは旅の前に調べで準備してあったものです。
右下からトラムのD線が上に走り、右上のAlthanstrasseで下車。

紫色のマークにシューベルトゆかりの教会が有り、
赤いマークがシューベルトの生家、黄色いマークは「魔王の家」です。
これから順に回ります。
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シューベルト教会(リヒテンタール教会)が見えてきました。
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後ろ側から近づきます。
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教会はツインタワーです。
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白を基調にした優雅な教会。
少年時代のシューベルトが聖歌隊をしていたのはここでした。
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天井画です。
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後ろ側を見上げるとパイプオルガンが有ります。
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 ここは美しい、素晴らしい教会でした。
教会をあとに、シューベルトの家に向かいます。
シューベルトもこの道を通ったことでしょう。
歩行者専用の路地にある面白い階段を上がっていきます。
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 シューベルトの生家の前に、立ち寄ったのは近くに有る「魔王の家」。
18歳の時に「魔王」を作曲したという家ですが、住んでいたのは、
1801年から1818年の間で、シューベルトが4歳から21歳までの間です。

 今ではなんと、シューベルト・ガレージという自動車修理工場になっています。
外観はちゃんと保存されている気配なのです。
ここだけ道路よりも建物が出っ張ったままなのは、周りの建物が変わったのでしょう。
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さて、こちらがシューベルトの生家です。
これ全部ではなくこの一部で、白壁の家の2階部分、今見えている窓がそうです。
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2階廊下からの建物の眺めです。
(このアングルが見栄え良がいいためか、良く紹介されていますが、
写っていない手前の道路に面した側がシューベルトの生家です。)
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  部屋に入りました。豊かな家庭ではなかったので、とても質素な部屋です。
 シューベルトの父は小学校の先生で、当時は小さなこの家が昼間は校舎(教室)なのでした。
 シューベルトは4歳までここに住んでいて、その後、先ほど見た「魔王の家」に引っ越します。
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シューベルトの顔。
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シューベルトのピアノ。
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シューベルトの眼鏡。
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台所のあとのようです。まさに前々世紀のような?雰囲気。
何もないので様子はさっぱり判りませんが。
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家からの眺めです。昔もこんなだったか?と思ったのですが、
当時と様子はすっかり変わっているかもしれません。
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戸外の中庭に有った井戸です。
多分シューベルト一家もここを使っていたのかと思われます。
トイレもこの並びに有りました。(鍵をお借りして、使わせていただきましたが。)
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シューベルトの伝記なども読んで行きましたので、
ここでシューベルトが暮らしていたかと思うと、感慨深いものが有りました。

続きは、この日の夕刻の散歩の記録です。
ベートーベンの散歩道と、ウィーンの森から見下ろす夕焼け。


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by ciao66 | 2017-10-18 19:46 | オーストリア2017 | Comments(0)

7. 軍事史博物館とベルヴェデーレ宮殿に行く

ここはウィーンの軍事史博物館ですが、ここに来てみるまで、こんな建物だとは思ってもいませんでした。ここが元々は武器庫だったとは、驚きです。
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まるで王宮のような金色の輝き。
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大きなドームに美しい絵。
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絵画以外の部分は、ちょっとオリエンタルなデザインです。
絵が無ければモスクのドームに似ています。
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アールの天井が美しいのですが、
展示部分は、エントランス部分のようには豪華ではなく、普通の感じです。
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さて、展示を見て見ましょう。
軍事博物館というのはちょっと珍しいジャンルです。

歴史的にオーストリア帝国は軍事的にはあまり強い国では無かったのです。

でも、オスマントルコに攻められた1683年には跳ね返しました。
有名なウィーン包囲(2次)です。丸い砲弾はその頃のもの?
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それからほぼ100年後の1757年、
オーストリア継承戦争で負けっぱなしだったマリアテレジアが、
初めてプロイセンに勝ったコリンの戦いの時の戦利品でしょう。

相手はフリードリヒ2世の時代です。その時の記念碑があのグロリエッテでした。
その後またプロシャにはやられっぱなしになるのですが・・。
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フランス革命(1789年)のあと、ヨーロッパ中がナポレオンに占領され、オーストリアも同様でしたが、そのころ使われた始めたのが気球です。
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その天才ナポレオンも、結局は全ヨーロッパを敵に回して、負けて島流しになってしまいます。
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その後、ウィーン体制の平和な時代になったかと思ったら、次は革命の時代。
パリの2月革命がヨーロッパ中に波及して、オーストリアでも大変なことに。
内戦があちこちで起こります。
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その後、平和な世紀末の時代を経て、飛行機の飛ぶ時代になって、第一次大戦がはじまります。これはアルバトロスB2というドイツの飛行機です。
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その第一次大戦の引き金となったのがサラエボ事件です。

1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公と妻のゾフィーは、ボスニアの州都サラエボで銃撃されました。

このサラエボ事件の1カ月後、オーストリア=ハンガリーはセルビアに宣戦を布告し、それが第一次世界大戦の端緒となりました。

その時フランツ・フェルディナント大公夫妻が乗っていたのがこの自動車です。
軍事史博物館で一番の見るべき展示物はこれでしょう。

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運転席です。
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銃弾の貫いた跡が生々しく残っている車体。
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残されたフランツ・フェルディナント大公の服です。
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当時の報道写真などを纏めた記事のリンク。↓

サラエボ事件から100年 第一次世界大戦の引き金となった暗殺を写真で振り返る

偶発事件から起こったというところが、危なっかしいですが、

今でも似たり寄ったりかもしれず、そんなことが起きないことを祈りつつ、

風格ある建物を振り返ります。
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30分ほどの駆け足見学でした。ホップオン・ホップオフバスにまた乗ります。
建物の真ん前まで付けてくれるので、これは助かりました。
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公園のようなところを抜け、次に向かうのはすぐそばに有る・・・
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ベルヴェデーレ宮殿です。到着しました。
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女性のような、羽の生えた馬のような・・・不思議な像です。
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建物に入りました。窓の形が独特です。
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昔はオイゲン公の宮殿でした。
オイゲン公は、オスマントルコが攻めてきたときに活躍した英雄ですが、
いまでは美術館になっていて、
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クリムトの「接吻」が有ります。うまく写せませんでしたが・・・。
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クリムトの遺作「The Bride」(未完成)。ぼやけてしまいましたが・・・。
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この庭はみごとでした。ベルヴェデーレ、美しい景色という意味の言葉通り。
視線の向こうはウィーンの旧市街。大聖堂の塔も見えます。
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ここも30分ほどの駆け足で見て、またホップオン・ホップオフバスに乗ります。
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こんどは最前列を確保。
やはりここが一番眺めがいい!
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オペラ座の前で、トラムD線に乗り換えて中心部を縦断し、
中心市街地の北側に出てきました。
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次回はフロイト博物館とシューベルトの家の周辺です。


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by ciao66 | 2017-10-15 21:25 | オーストリア2017 | Comments(4)

6. シェーンブルン宮殿をパノラマバーンでぐるっと一周する

ここはシェーンブルン宮殿。丘の上のグロリエッテというところ。
宮殿はとても広いのでミニトレインでここまでやってきました。
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 時刻は宮殿に到着した朝の8時20分に戻ります。
黄色い色はあの女帝マリア・テレジアが好んでいた色。
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まだ朝早くて、光線の具合が今ひとつで、おまけに建物はとても巨大なので、
思ったようには綺麗に撮れませんでした。
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 ここはウィーンパスが使えて、宮殿全体を見ることができます。
前の日に見た、旧市街の王宮よりはぐっと華麗ですが、建物内は撮影禁止なので、公式サイトから何枚かお借りして、見た時の記憶を呼び起こしましょう。

順不同ですが、まずはゴブリンの間。
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黄色のサロンです。
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宮殿内の鏡の間では、
6才の神童モーツァルトが見事な演奏を披露しましたが、写真は見つけられず。

 そして、ナポレオンの間。
ナポレオンの天下の時には、宮殿が占領されていました。
 当時は王室は郊外に避難しているという状態で、
音楽家ハイドンの家も砲撃で危ない所だったと。
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大ギャラリー。
ナポレオンの失脚後に開催されたウィーン会議のとき、舞踏会はここで行われました。「会議は踊る」という言葉で有名ですね。
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 日本語のオーディオガイドを聴きながら、見学は1時間少々で終えました。
 
 う~ん。結局うまくご紹介できなかったようですが、まぁすごい所でした。
あとで公式サイトを覗いてみてください。


写真は宮殿の横にある庭園です。
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 さて、ここからは撮影オッケーのところ。
次に向かったのは「馬車博物館」です。
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何頭いるのでしょう?
こんなに馬の数は必要ないと思うのですが・・・8頭立て。
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金の馬車。なんだかディズニーの世界のような。
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乗っていたのはこの人たち。
マリア・テレジアとその家族です。
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少し時代は下がって、この白いドレスは誰のでしょう。
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答えはエリザベートの花嫁衣裳でした。娘の大公女マリー・ヴァレリーが保管していたそうで、良く保存されていたものです。

そして、エリザベートの馬車はこれです。
形は優雅ですが黒塗りなんですね。ちょっと渋い感じ。
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そして、皇帝フランツ・ヨーゼフと皇后エリザベートの服です。
皇帝はいつも軍服が多かったようですが、ちょっとミスマッチな雰囲気も。
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 20世紀に入るとすでに馬車の時代ではなくなり、宮廷には自動車が用いられるようになりました。745馬力で時速は90km、当時としては、これでも凄かったのでしょう。
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全部で30分ほどの見学時間です。詳しくは先ほどのリンクをご覧ください。

 馬車博物館の前のマークは「シェーンブルン・パノラマバーン」というミニ汽車の停留所で、30分毎に走っています。
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ルートはこんな感じで、見どころを回りながら宮殿内をぐるっと一周する。
疲れずに回るにはこれが一番!
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やってきました。
車掌さんがウィーンパスの裏側のバーコードをピッとしたら、それで切符はオッケー。
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宮殿の美しいお庭も見ながらのんびり行くと、見えてきた建物はパルメンハウスという大温室で、次の停留所は間もなくです。
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この温室と動物園の2つを、ささっと見て、
30分後のパノラマバーンに乗るという「早回り」ができるでしょうか。
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ヨーロッパ最大の温室ですが、それほど見たいものもなく、
すぐそばの動物園に移動します。
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皇帝フランツ1世(=マリア・テレジアの夫)が趣味で?造った、世界最古の動物園。
まだ見たことのないパンダを、果たしてウィーンで見ることができるでしょうか。
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あっ、居ました・・・でも寝ています。
起きるまで待っているわけにもいかず、
これでは姿を見たような、見ていないような・・・・。
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素早い「早回り」は終了。パノラマバーンが巨木に囲まれた道を通ってやってきたのは、グロリエッテという丘の上の記念碑です。
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はるか向こうにスタート地点の宮殿が見えます。
テクテクと歩く人たちをしり目に、楽ちんここまででやってきました。
(もっとも、歩いて楽しむのも、いいのでしょうが・・・)
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冒頭の写真です。見上げるように撮ったのですが、
実は、離れた場所でないとこのグロリエッテはうまく写らないのでした。
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奥の手で公式サイトからお借りしました。これで全体像が良く判ります。
建物直下では、建物の陰と明るい空のコントラストが大きく、撮影は難しかったのです。
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 展望テラスの端から中央部を見ていますが、先のドアにはカフェがあるはずと思って
行ってみると「ここから入れません」というようなドイツ語が書いて有り、
ぐるっと回り道する羽目に・・・。
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やれやれと、はるばる反対側に回り、ほぼ一周して建物中央部のカフェに入りました。
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眺めのよさそうな、ここでランチする予定だったのです。
向こうは問題の?閉まっていたドア。
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朝しっかり食べたので、お昼は簡単に、ブラットブルスト(=ソーセージ)とパンです。
ケチャップが飛び散って大変なことになりましたが・・・お味はまずまず。
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 池ごしの宮殿とウィーンの市街地です。塔が見えていますがシュテファン大聖堂です。
距離は4kmくらいあるでしょうか。
 宮殿の後ろ側は小さな川(ウィーン川)が流れ、建物の立地は谷間のところ。
眺めのいい、このグロリエッテの方が良さそうに思ったのですが・・・。
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 グロリエッテの屋上に行くのはウィーンパスが使えたのですが、すっかり忘れていました。階段で昇るのには大変そうなので、忘れていて良かったのかも。

 この日はウィーンの郊外を南へ北へと、あちこち回る予定でしたが、
今のところ、宮殿見学を昼過ぎに終わらせるという、ほぼ計画通りの進行状況です。

宮殿前からホップオン・ホップオフバスに乗ります。これもウィーンパスが使えるのですが、直行の公共交通機関がない移動にはピッタリです。
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乗り込みました。2階建てバスなので眺めは抜群。
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 展望はいいものの、日差しが強く、明るすぎて、途中の写真は写しづらかったのです。
ハウプト・バーンホフ(中央駅)の近くを通って、間もなく目的地に到着です。
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ちょっと穴場の?博物館です。
どんなところか、次回をお楽しみに。


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by ciao66 | 2017-10-13 20:20 | オーストリア2017 | Comments(4)

5. 夕刻のウィーンの街歩きはバスとトラムに乗って

ここはウィーンの最古の教会、ルプレヒト教会。
薄暗い空間に浮かび上がるようなステンドグラスの雰囲気が素敵です。
でも実は・・・
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 ステンドグラスを綺麗に写すために、露出をかなり控えめに調整したのでした。
実際の堂内の明るさはこんな感じ↓だったのです。
ロマネスク様式でしょうか、アール(曲線)が美しい堂内でした。
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 外壁は古い石の存在感が有ります。
冒頭の写真と窓の並び方は同じなので、
内外がイメージしやすいでしょうか。
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 西暦740年の創立ですが、今残る建物も1270年ころ出来たもの。
手前の白い部分は、何でしょう。ちょっと違和感のあるものがくっついている感じ。
塔に登れば面白そうですが、それはおそらく駄目でしょう。
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反対側はツタの有る外壁でした。
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ツタの有る側からは展望が有って、
眼下の広場は賑やかなシュヴェーデンプラッツ、向こうのビルとの間はウィーン運河、
近所の落書きの有った外壁は、ここが台地の端だという立地に関係が有りそうです。
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 シュヴェーデンプラッツからトラムでリンク(=環状道路)を半周してオペラ座方向に向かおうと思っていましたが、見たいところを一か所思い出したのです。

 そこへはわずか400mくらいですが、夕刻でもう足が疲れていましたので、72時間乗り放題切符を使って、ホーアーマルクト広場から「1A」というバスルートで行くことにしました。乗るのは一停留所分だけです。
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 バス停にはちゃんと次のバスが来る待ち時間が表示されていて利用しやすいのです。
着いたバス停(上の写真)で、地元の人に道を聞いて目指したのは、マリア・アム・ゲシュターデ教会。

 ウィーンで2番目に古い「岸辺のマリア」という意味のこの教会ですが、その堂内の様子です。信者席と内陣の中心軸が少しずれていて、祭壇が真正面ではなく少しずれています。でも座ってみれば不思議に違和感ないのです。
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 何故ずれているのか、その謎解きは・・・(どの本だったか忘れたましたが、それによると)昔あった城壁がここで折れ曲がっていて、その跡にこの教会が建てられたと。
教会横手の道路の石畳のカーブが雰囲気が有りました。
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また、先ほどの「1A」バスに乗って、ショッテンリンクでトラムに乗り換え、リンク沿いにオペラ座の方向に戻ります。
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ここで降りてみようと思ったのは、オペラ座の少し手前、ウィーンの市庁舎ですが、
これは市庁舎とは想像がつかないようななかなか優雅な姿です。
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市庁舎とはリンクを挟んでその斜め前に有るのが
エリザベートの銅像の有るフォルクス庭園です。
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 エリザベートの人気からでしょう、人は写ってませんが、実は結構な見物人の数・・・私もその一人ですが。
真っ白な座像でした。夕刻5時頃なのでちょっと光量が不足し、撮るには苦労したのです。
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この日の予定はこれで終了。見るところは予定通り見ましたが、
最後に一つ残ったのは、食べること!

オペラ座の前まで、またトラムにちょっとだけ乗り、
王宮の建物内にある「アウグスティーナー・ケラー」に来ました。
あの、アウグスティーナー教会のお隣で、アルベルティーナとの間の地下に有ります。
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ケラーというのは「ビールを貯蔵する地下室、ビールを飲ませる地下酒場」です。
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 オーダーしたビールについてきたのは、
Brezel(ブレーツェル)という面白い形をしたパンです。
日本ではプレッツェルというらしいのですが、
人の手を胸の前でx型に重ねて十字を組んだ姿とか。
(ラテン語の「腕」が語源、聖職者が腕を胸の前で交差させ、お祈りする仕草との説)
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ビールも、ここがケラーだという期待を裏切りらないものでした。

メインはオーストリアの伝統料理 Gulasch「グラーシュ」。
ソーセージ、目玉焼き、酢漬けのキュウリがのったウィーン独特のグラーシュ
=「フィアカーグラーシュ」です。
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センメルというオーストリアのパンから作った団子、
「Semmelknödel(センメルクヌーデル)」も中に入っていました。

グラーシュはもともとはハンガリーの料理なので、
多民族国家であったハプスブルク帝国らしさを感じるお料理でしょう。
栄養バランスも良く、美味しかったのです。

おまけに、
お値段合計で、€19.8+チップ€1=€20.8 は、とてもリーズナブルでした。

食事を終えて、オペラ座の横を通って、
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正面に出て、
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トラムⅮ線に乗りました。
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Ⅾ線で、ハウプト・バーンホフ(中央駅)に出て、泊まっていたホテルに預けていたスーツケースを受け取り、今度はそこからU1で一駅、ケプラー・プラッツから徒歩5分にあるホテルカロリンに引っ越しです。(写真は翌朝撮ったもの)
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こんな部屋でした。ここに3泊します。
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着いたのは午後7時頃、ちょうど夕暮れ時、部屋の窓からの眺めです。
ハウプト・バーンホフのお宿よりは一駅だけ遠いのですが、あまり利便性は変わらず、
立地は庶民的エリアですが、とてもリーズナブルなところ。
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 気楽そうに書いていますが、旅行中懸案が何もなかったわけではなく・・・

 足の親指の爪に少しヒビが出来ていて、裸足では歩きにくかったのですが、
伸縮包帯でカバーして、靴さえ履けば問題なしで、毎日のように約2万は歩いて、それでも大丈夫だったのは幸いでした。

 翌朝の様子です。ここは朝食の内容がいいとの口コミも当たりでした。
果物とゆで卵(写っていませんが)が有ると栄養バランスが取れて嬉しいのです。
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一泊あたり€67.8(朝食・税込み)でした。

今回から予約サイトを変えホテルズドットコムにしたのですが、そこで10泊予約をすれば、次の1泊分はタダになる、というのが魅力でした。でも、お値段が税別で表示されているので注意が必要、ウィーンでは消費税と宿泊税で合計13%プラスになります。

次回はシェーンブルン宮殿の巻です。


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by ciao66 | 2017-10-11 06:04 | オーストリア2017 | Comments(6)

4. ウィーンの街歩きはペーター教会のオルガンコンサートから

シュテファン大聖堂のあとは、街歩きの時間になりました。
グラーベンの通りを観光用のフィアカーが行きます。
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この通りは中世は堀だったので、こんなに道幅が広いのでしょう。
青いオブジェが不思議に街にマッチしていました。
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 グラーベンにはこんな塔がにょきっと立っています。(光線の具合で路地から写す。)
ペストの流行が収束した感謝の記念柱。ペストといえば中世を連想しますが、
これを造ったのはマリア・テレジアの祖父で、1693年のことですから
すでに中世ではなく、近世といわれる時代の初めころの出来事でした。
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 グラーベンから横丁へ入り、「ここは抜けられそうかな?」と
ちょっと探検みたいに、こういうアーケード歩きも面白いのです。
ガラスの天井が素敵でした。
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 グラーベンの先まで来ると、直角に曲がってコールマルクト通りが始まり、
王宮巡りの出発点だった、ミヒャエル門が真正面に見えて、
ほぼ街を一周したことになります。
でも、王宮には戻らずに別のところへ・・・
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 ペーター教会での午後3時のオルガンコンサートに行く予定だったのです。
まだ20分前ですが、休憩を兼ねて中で待っていればいいでしょう。
ここは外観もなかなか素敵な教会です。
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美しいバロックの堂内ですが、ピンクの大理石が柔らかく調和を保っていて、
先ほどの大きな大聖堂よりも、ずっと心休まるような空間になっています。
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卵型のドームが下に降りてきて、そのまま堂内の平面に投影される、
このシンプルさがいいのです。
ウィーンで私の一番の好みの教会がこのペーター教会でした。
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 オルガンコンサートが始まりました。
始まりはバッハの「 トッカータとフーガ ニ短調 BWV 565
(↑クリックすると音が出るのでご注意ですが、
以下2つのリンクも同様。聞きながらどうぞ。)

低音のパイプオルガンの響き、チャララ~ン♪で始まる、おなじみの曲です。
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演奏はすべてバッハの作品でしたが

6つのトリオ・ソナタ 2番ハ短調 BWV 526.2」は、
まるで天上から降りてきたような音楽、という印象で、

幻想曲ト長調 BWV572」は、 
バッハ23歳の若いときの作品という割には、ちょっと渋い感じで素敵でした。

さて、30分ほどのコンサートを終えて、街歩きの再開です。
ペーター教会を別のアングルから撮ってみました。
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 路地歩きが面白いのは意外性が有るからで、
自分の好きなように歩くというのがいいのです。

 またパッサージュを見つけて入ります。
ここは間違いなく通り抜けできそうなところ。
6フロアくらいの高い天井の上のガラス窓が素敵です。
ここを抜けて・・・
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 ちょっと変わったものを発見。珍しく木造の建物で、
石の建物に「へばりつくように」して建っている!
何に使っているのか?謎ですが
色彩が不思議に周囲にマッチしています。
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こんな中世からありそうな石畳の路地が続いて、
ここを曲がってしばらく行くと・・・
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 Judenplatz(ユダヤ人広場)です。これはちょっと変わった形の記念碑で、第二次大戦の際にナチスに殺害された65,000人のオーストリアのユダヤ人のために造られました。
 現地の英文説明によればアクセスできない図書館あるいは本棚ということらしいのですが、残念ながらピンときません。ネットで探してみた別の解説では、「知恵」「記憶」「記録」をも意味しているとか・・・。
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 1938年にはナチスによる「水晶の夜」事件によって、ウィーンのシナゴークの90%以上が破壊され、7500人のユダヤ人の商店と住居の破壊と、91人のユダヤ人殺害が起きました。
ここにはユダヤ人などが虐殺された45か所の強制収容所の名前が書かれています。
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 この記念碑の下には、シナゴーグの破壊された跡が有って、発掘後保存されているのですが、この建物にある ユダヤ人広場博物館 の地下から見ることができるそうです。
私がウィーン滞在中は、残念ながらユダヤ教の祭日と定休日が連続していて、
見ることがで見ませんでした。
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 ベルリンとフランクフルトではユダヤ博物館に行ったので、違いもみて見たかったのですが、ウィーンパスが使えるといっても、すべて見るわけにもいきませんので、ちょうど良かったのかもしれません。(3日間の観光で充分にその元は取りました。)

広場の端から振り返ります。
通行人もご覧のように少なく、静かな落ち着いたところでした。
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ぶらぶら歩いているようでも、一応の目的地はあるわけです。
次に向かっているのは、ホーアーマルクト広場ですが、そこは・・・
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ウィーンがまだローマ人の街ヴィンドボナであった当時からの古い古い広場。
167年にはローマ皇帝マルクス・アウレリウスもここに来たという。
ローマ遺跡の博物館が有りますが、行ったときには改装工事中で閉館だったようです。
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ホーアーマルクト広場の端にアンカー時計を見つけました。時刻はちょうど午後4時ですが、
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12時にしか仕掛けは動かなかったようです。
さっさと下をくぐって・・・
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 古い街の雰囲気は残っているのですが、
ちょっと物騒な落書きの有るスポットに来ました。
でも、昼間は大丈夫でしょう。この階段を上がって・・・
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次回は、
ウィーン最古の教会というルプレヒト教会から始まります。


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by ciao66 | 2017-10-08 16:57 | オーストリア2017 | Comments(2)

3. シュテファン大聖堂とカプツィーナー教会に行く

 ウィーンのシンボル、シュテファン大聖堂にやってきました。
北塔に登って見ると屋根のタイル模様が良く見えます。
ハプスブルク家の紋章と似ていますが、双頭の鷲ではなく、
ウィーン市の紋章(胴体は白十字)と、オーストリアの国章(胴体が紅白二色旗)です。
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 ハプスブルクの双頭の鷲の紋章はないのか、グーグルの空中写真で確認しましょう。
反対側(=南側)の屋根にちゃんと有りました。
1・8・3・1の数字は謎なのですが。
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北塔から西方向に見えるタイル模様です。
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下から見上げる。
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広場を見下ろします。はるか向こうはウィーンの森。
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塔の真下を覗きます。おぉ怖い。高さ68ⅿでした。
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北東方向の景色。
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 南の方の景色は南塔に登らないと見えません。(エレベーターなし)
北塔に登るのにウィーンパスは使えず・・・€5.5。(エレベーター付き)
観光した3日間でウィーンパスが使えなかったのはここの塔だけでした。

下界に降りてきました。まだ堂内です。
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宝物館ではパスが使える、というわけで、エレベータに乗って見学。写真は撮れません。
でも、螺旋階段から降りてくる途中の眺めはいいのです。
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パイプオルガンの後ろ側がよく見えます。
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 ちょっと変わったアングルの風景。
1782年にモーツァルトとコンスタンツェの結婚式がここで行われ、
モーツァルトの葬式が1791年に行われたというのですが、
建物が壮大過ぎて、その様子はちょっと想像しにくいのです。
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こんな天井の細工物も良く見えました。
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 さて、また下界に降りてきて、シュテファン大聖堂の見学はもうおしまい。
ここは「見学」と言って差支えがないくらい、
建物は壮大ではありますが、残念ながら荘厳さは感じられません。

 宗教の場という雰囲気は、少なく
ストレートな物言いだと、俗化しているという感もしたのです。
ミラノの大聖堂やパリのノートルダム寺院では、そうは感じませんでした。

ちょっと残念です。シュテファン寺院。
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 朝早い時間だと、少しは違ったのでしょうか。
込み合っていて、たまたまそう感じたのかもしれません。
外に出て振り返ります。
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少し時間は戻り、
ここへ来る途中のショッピング街のケルントナー通りです。
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賑やかなところはさっさと通過。
面白そうな建物は写しますが。
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さらに時間は戻って、ランチした直後。 
カプツィーナー教会の外観です。
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祭壇です。
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この教会の地下にはハプスブルク家の霊廟が有ります。
一番の大物は、マリア・テレジアの墓。お墓もぐっと壮大です。
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 Maria Theresia ハプスブルク=ロートリンゲン朝の皇帝フランツ1世の皇后にして共同統治者、オーストリア大公(在位1740~1780)兼ハンガリー女王(在位は同左)兼ボヘミア女王。 彼女は「皇帝」ではなかったが、夫のフランツ1世はお婿さんで、ハプスブルク帝国の実権は彼女に有り、実質的な「女帝」 だった。

側面のレリーフも美しい。
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 マリア・テレジアのお隣にはほかのに比べてちょっと質素な棺が有ります。
マリア・テレジアの長男、ヨーゼフ2世(在位1765年~1790年)です。
父フランツ1世の死後皇帝に即位しましたが、母と在位期間が15年間重なっているのは、母存命中は共同統治のため。
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 その急進的改革ゆえ「民衆王」「皇帝革命家」「人民皇帝」などのあだ名がある啓蒙専制君主ヨーゼフ2世は、
マリア・テレジアの死により単独統治を開始、農奴解放を行ったり、プラーターの狩猟場を市民に開放したりしましたが、抵抗勢力に阻まれた政策も多かったと。

 ウィーンにおけるモーツァルト(1756年~1791年)の雇い主が彼なのですが、必ずしも厚遇されたわけではなかったようです。アントニオ・サリエリ(1750年~1825年)が宮廷楽長として牛耳っていましたので。

 モーツァルトの葬儀が簡素に行われ、結果モーツァルトの遺体の所在が不明となったのは、貧乏のせいとか言われていましたが、そうではなくヨーゼフの改革の一環だったのでしょう、「葬儀簡素令」のためだったそうです。

次の棺は誰でしょう。

 マリー=ルイーズ(1791年~1847年)です。
前回も登場しましたが、彼女はちょうどモーツァルトが亡くなった年に生まれています。

 フランス皇帝のナポレオン(1769年~1821年)に19歳で政略結婚させられ、1810年から4年間はフランス皇后となるも、ナポレオンがエルバ島に流され1814年に失脚。

 同じ年に(復権したハプスブルク帝国の力で)パルマ公国の女王に収まって、波乱万丈だったわけですが、女王としてはなかなか善政を敷いたようです。場所はイタリア、外国人の女王にしては、珍しく慕われた。

マリー・ルイーゼ ナポレオンの皇妃からパルマ公国女王へ」(塚本哲也著)
なかなか面白い本でした。
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マリー=ルイーはフランス語の読み方、ドイツ語の読み方ではマリア=ルイーです。
本名はLudovika(ルドヴィカ)ですが、ルイーズはフランスで付けられた名前だったのでしょう。

フランツ2世の娘、ナポレオンの妻、
ナポレオンとの間の子供(ライヒシュタット公)もいました。
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こちらの3つ並んだのは誰でしょう。
真ん中のは最後の大物皇帝フランツ・ヨーゼフ
手前はもちろん皇后エリザベート、右奥は長男ルドルフです。
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フランツ・ヨーゼフの説明版。
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 即位したのは18歳の時、1848年。先ほどのマリー=ルイーゼの亡くなった翌年ですが、その頃はウィーン体制も動揺しだして、ヨーロッパ激動の時代の最中、共産党宣言が出て、フランスでは2月革命が有り、それが各国に波及した大変な時期でした。

 長男のルドルフはマイヤーリンクの心中事件で亡くなり(1889年)
妻のエリザベートは暗殺され(1898年)
後継者にした甥のフランツ・フェルディナンドも有名なサラエボ事件で暗殺(1914年)
(第一次大戦のきっかけ)

 それでも70年以上の長きにわたり、ずっと重荷を背負ったように在位し、
第一次大戦の最中であった1916年に亡くなった苦労人の大物皇帝でした。

 最後の棺は誰でしょう。

 つい最近まで存命だった、オットー・フォン・ハプスブルク(1912年~2011年)。
最後の皇帝カール1世(2年だけの在位)の長男がオットー・フォン・ハプスブルクで、1918年のオーストリア帝国の消滅時には皇太子だった人。
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ヨーロッパ諸国の統合構想を1923年に示したのはクーデンホーフ=カレルギーですが、それを引き継いだのがオットーでした。(これが現在のEUにつながります。)

1989年の汎ヨーロッパ・ピクニックで、東ドイツ市民がハンガリー・オーストリア国境を越え、亡命を果たすのに中心的役割を果たし、これがその年に起きたベルリンの壁崩壊に発展することになります。
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次回はウィーンの街歩き編です。


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by ciao66 | 2017-10-05 17:38 | オーストリア2017 | Comments(6)

2. ハプスブルク家の王宮を巡る

 朝9時過ぎ、ハプスブルク家の王宮巡りは「銀器博物館」から始まります。
第一次大戦後にオーストリア帝国は解体され、王宮は博物館になりました。
50か所以上のスポットが見放題のウィーンパス (=3日間€89.1)を使用します。
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有名なのはウィーン郊外にあるシェーンブルン宮殿(=夏の離宮)ですが、
本来の宮殿はこちらの旧市街の王宮。

銀器博物館には美しい絵皿や、
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フランス製の金の燭台の数々・・・
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銀器博物館はメイン部分だけでさらっと済ませて、

その次は、SISI MUSEUM(シシーミュージアム)と
KAISER APARTMENTS (皇帝家族の居室)です。
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残念ながら一番肝心なこの2か所は撮影禁止なので
公式HPの Hofburg Vienna から10枚を抜粋しました。

シシーというのは愛称で、エリザベート皇后のこと、
最後の大物皇帝だったフランツ・ヨーゼフの妃です。
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 エリザベートはバイエルン公爵家の公女で15歳の時、
皇帝と自身の姉とのお見合いが有り、
それについて行ったところ、彼女の方が皇帝に見初められ、
本来の相手であった姉をさておいて皇帝から求婚されました。

 しかしながら結婚後は
元来が自由で家庭的な雰囲気の中で育ったので、
エリザベートは厳格なウィーンの王室になじめませんでした。

 皇帝の母ゾフィーと対立し、というよりも戦いを放棄して?宮廷から逃げ出し、
療養を名目にして旅へ逃避。
エリザベート専用の列車が有って、それが再現されています。
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 エリザベートは乗馬が好きでハンガリーと肌合いが合い、
オーストリア帝国の傘下に有ったハンガリー王国では絶大な人気で、
王室からは逃避したものの、
ハンガリーの大幅な自治権を認めることとなった
オーストリア・ハンガリー二重帝国への変化には彼女も一役買いました。

 持ち物なども展示されていて、最後は暗殺の場面。
スイスに旅行中に「誰でもいいから」という犯人に殺害されました。
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続いて、The Imperial Apartments の部分です。

フランツ・ヨーゼフ(在位1948~1916)の執務室。

 エリザベートの写真が机の上に有ります。
とても愛妻家だったが妻とはすれ違いの生活。
彼はとてもまじめに仕事をした皇帝で、毎朝5時から執務をこなし、
週2回は謁見を行いましたが、帝国内の誰でも謁見の申し出を行うことができました。
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 これが一番有名な部屋でしょう。エリザベートの体操室兼美容室。
その美貌とウェスト50cm、体重50kgという体型を維持するために、
毎日エクササイズにいそしんでいた。
吊り輪や梯子段にぶら下がったりしていたのでしょう。
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バスルームやトイレもちゃんと保存されていました。
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リビングルーム。
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ベルグルの間。
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 アレキサンダーの間はナポレオン戦争後のウィーン会議(1814~1815)の際、
ロシア皇帝アレキサンダーが宿泊し、
のちにはカール1世(=本当の最後の皇帝。在位1916~1918)の居室になりました。
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ダイニングルーム
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 9時過ぎに始めて、日本語のオーディオガイドを飛ばさずに聞き、
ここまでの見学時間は1時間ほど、
詳しくは、先ほどのリンク Hofburg Viennaからどうぞ。

ここからは撮影オッケーでした。行列に並んで入場したのが、
10時から始まっていたスペイン乗馬学校の朝の調教見学です。
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ワルツに乗った名馬のステップはちょっとだけ見て、
あまり変化がなかったので途中で退出。
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 続いて王宮宝物館です。
写真は神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフ2世の王冠(1602年)で、
ルドルフはオーストリア大公、ハンガリー王、ボヘミア王を兼ねました。
(=ハプスブルク帝国)
1806年の神聖ローマ帝国解体の後にはそのままオーストリア皇帝の王冠になりました。
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バプテスマのボウルと洗礼ボウル (16世紀)
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戴冠式のマント。
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写真は撮ったものの・・・調べがつかず?
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 マクシミリアン1世(在位1508年~151年)。
「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」
の言葉が示すとおり、
ハプスブルク家は婚姻により領土を拡大してきたましたが、
その最も成功した例はマクシミリアンの時代でした。

  • 自身の結婚によりブルゴーニュ自由伯領とネーデルランドを獲得し、
  • 子の結婚でイベリア半島の大部分とナポリ、シチリアを獲得し、
  • 孫フェルディナントはハンガリーとボヘミアの王位を継承しました。(wikipedia)
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     ここで、フランス革命とナポレオンの激動の時代の歴史をおさらいです。

      女帝といわれたマリア・テレジア(在位1740~1780)の娘たちは
    各国に政略結婚させられます。
    一番有名なのはマリー・アントワネット。
    フランスのルイ16世に嫁ぎ、フランス革命で断頭台に消えました。

     時代は少し下がって、写真は、ヨーロッパ中を支配したナポレオンに
    政略結婚で嫁いだマリー・ルイーズです。
    ナポレオンはヨーロッパ中を支配しましたが、
    それはイギリスとロシア以外のほとんどでした。

     オーストリアも占領されましたが、
    王女を差し出して、嵐を逃れようとしたわけです。

     当時の皇帝はフランツ2世(在位1792~1835)でしたが、
    ナポレオンの圧力で神聖ローマ帝国を廃止して、
    オーストリア帝国(=やはり実態はハプスブルク帝国ですが)になりました。

     その後ナポレオンはロシアでの戦いで負けて、
    失脚して有名なウィーン会議開催(1814年~1815年)になり、
    メッテルニヒ宰相の主導により
    「会議は踊る」と言われながらもヨーロッパの戦後体制を決定し、

    マリー・ルイーズは当時ハプスブルク帝国傘下だった
    パルマ公国(イタリア)の女王になります。
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     その後の第一次大戦から第二次大戦にかけても大激動で、
    ハプスブルク帝国の解体のドラマが有るのですが、
    それは翌日のシェーンブルン宮殿等の際に併せて記載します。

     王宮見学を始めて2時間ですが、まだ王宮見学は午前中いっぱい続きます。
    一旦建物の外に出て、ヨーゼフ広場にやってきました。
    騎馬像はヨ-ゼフ2世(=マリア・テレジアの子)です。
    王家は似た名前が登場して紛らわしいのです。背後は国立図書館プルンクザール。
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    国立図書館プルンクザールの建物に入りました。
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    図書館にしてはとても豪華絢爛です。
    これも権威の象徴だったのでしょう。
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    こんどはアウグスティーナー教会です。
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    王室関係者の結婚式はここで行われました。
    フランツ・ヨーゼフとエリザベートもここで。
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     遠景はアウグスティーナー教会ですが、手前は宮殿内のアルべルティーナという部分。
    アルべルティーナは、マリア・テレジア女帝の愛娘マリー・クリスティーネ女大公の夫君で、現在は収集された品をもとに美術館になっています。
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    アルべルティーナの豪華なお部屋。
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    ここにはデューラーの絵が多くあって楽しめました。
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    さて、3時間にわたる王宮見学を終えて、ちょうどお昼時になりました。
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    近くの有名なカフェ・ザッハーに行こうと思ったら、
    観光客風の行列で・・・進まず、ここはギブアップしましたが、
    ザッハートルテは「激甘」と聞きますので、敬遠したのは正解かもしれません。
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    すぐ近くのカフェ・モーツアルトにしました。
    仙台にも同名カフェが有りますが、ここに因んでつけたのでしょうか。
    ここも行列が有りましたが、それは短くて、少し待てば入れました。
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    さすがに有名な古いカフェです。雰囲気が有ります。
    地元人御用達という雰囲気で、観光客比率は先ほどよりも低そう。
    こういうところの方がいいのです。
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    オーダーしたのは、ウィーン名物のヴィーナー・シュニッツェル。子牛のヒレカツです。
    レストランではなくカフェだったからでしょうか、ボリュームは控えめで丁度良し。
    意外なことにピラフ付きでした。
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    カツレツにしてはあっさりした感じで美味しかったのです。

    食後のコーヒーはウィーンではこれでしょう、というメランジェにしました。
    エスプレッソにミルクを加え、その上からミルクの泡を乗せたという、
    カプチーノみたいなもの。 
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    次回も有名どころが続き、
    カプツィーナー教会とシュテファン寺院です。
    (それを済ませたのち、気ままな街歩きに。)


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    by ciao66 | 2017-10-03 22:32 | オーストリア2017 | Comments(4)