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13. ライン川の船から見る古城、ブドウ畑と美しい街

これから1時間のライン川の船旅です。
乗るのはアスマンスハウゼンからザンクトゴアールまで。
最上階の展望デッキに陣取りました。
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さきほどハイキング中に山の上からも見えていた城ですが、
ラインシュタイン城という名前でよく知られたお城。
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ここは中世のころは船の通行税を取る関所だったところ。
当時の持ち主はマインツ大司教だったが、その後点々と変わり
今では元オペラ歌手が持っているという。
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水色のラインが乗った観光船のルートです。
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ライン川の観光船は下りに乗るのがお勧めです。
下りは流水に乗っている分速く、上りは遅い!
おまけに進行方向は大体順光なので写真環境も良し。
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次々と現れる景色を眺める人々。
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小さな街が川沿いに点々とし、山の緑とブドウ畑が交互に現れます。
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「539」という標識は、距離を現しています。
何処からでしょう。スイスのボーデン湖から539kmです。
河口のオランダにはやはり500km位有るので、ちょうど真ん中辺り。
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ニーダーハイムバッハの街を通過します。
Bach バッハ=小川・・・ライン川に注ぐ小川が有るのでしょう。
(音楽家バッハは日本語では「小川さん」という訳です。)
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いいな~この景色♪
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ここは何処でしょう。教会の尖塔が美しい街です。
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次の寄港地、バッハラッハ に来ました。
三角屋根と丸い建物はシュターレック城。
今はユースホステルになっているところです。
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接岸しました。
船員が船から飛び降りてロープをかけます。
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乗船する人々。
こういうのを船から眺めるのも面白いのです。
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出航しました。
この浮桟橋、流線形なのだ!
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次に現れたプファルツ城はとても目立つ存在でした。
川の中に有ります。これなら通行税の取り立ても完ぺき!
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この景色もいいな~。
中には見ていない方もいますが・・・・お疲れなのか。
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乗り物との遭遇も面白いのです。
あっ列車だ!・・・やはり写すんですね!
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あっ、長い観光船だ!・・・また写します。
お城に、船に、そして右へ左へと移動も有り、
なかなか忙しいのです。
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ついにやってきました。かの有名なローレライです!
「ただの岩山」とかいわれますが、まさに岩が迫っています。
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人によっては期待ばかりが高くて、がっかりする方もあるそうですが、
ローレライ良いでは有りませんか。迫力が有ります。
写真では判りにくいですが頂上に旗が立っています。
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ローレライの急流を曲がると、姿を現すのがこのお城(Burg Katz)です。
ねこ城!なんでネコなのでしょう?
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猫の耳に似ていませんか?
今の持ち主は日本人だという話ですが、
そのお金持ち、さて誰なんでしょう。 
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調べたら判りました・・・お値段も書いてある記事はこちら
このお城、ナポレオンに一度破壊され、修復したそうです。

ねこ城を過ぎてすぐに、目的地ザンクト・ゴアールが見えてきました。
正面に見えるお城はラインフェルス城、下船後そこへ行きます。
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ここも美しい街です。間もなく接岸します。
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ロープを持って、よいしょ。
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こんな船でした。なかなかスマートなデザイン。
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時刻はもう午後1時少し前、景色を見ている間は忘れていましたが
乗船前から空腹なのでした、この船着き場でランチにします。
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次回に続く。
by ciao66 | 2015-06-30 17:07 | ドイツを巡る2015 | Comments(9)

12. ライン川のブドウ畑を見ながらハイキング

午前10時15分、ニーダーヴァルトの記念碑からハイキングは始まりました。
左手はブドウ畑、そのはるか下はライン川が流れています。
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ライン川の向こうはラインラント・プファルツ州
こちら側はヘッセン州。いい眺めです。

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ブドウ畑を間近にじっくり見る機会はあまり無く、
はるばるドイツに来て観察し・・・
成程こういう風だったのかと。

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グーグルマップから切り貼りしました。
地図の黄色いラインが実際に歩いたハイキングコースのルートです。
右から左へ行きますが、オレンジは鉄道、赤はリフト、水色は観光船です。

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歩いている左側が常に開けていて、ライン川の眺めがあります。
次第に景色が変化するのも面白く、とても気持ちのいいコースです♪

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ブドウの段々畑を振り返ります。
歩いている道はけっこう高度は有るのです。

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いいお天気で本当によかった♪

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少し景色が変化して、対岸は街では無く山々になりました。
抜いたり抜かれたりしながら、同じ道を歩くハイカーもいます。

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道の右手は森が続き、反対側はブドウ畑、
ちょうどその境目をずっと歩く感じ。
ハイキングの最後にはチェアリフトで降りる予定でしたが、
リフトへの分かれ道?には道しるべが無かったのです。

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前を行く人にどこま歩くのか、何人かに聞いてみたところ、
皆さんアスマンスハウゼンまで歩くとの返事、チェアリフトに乗らないのだ!
考えた末に、予定を変更して私も気持ちの良いこの道を行くことに。

野ばらも咲いていましたが、うまく撮れず。
名前は?の道端の花です。


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しばらく行くと、川がすぐ目の下に来て、対岸の風景はすっかり変わりました。
そして、お城が有ります♪
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なかなか絶景なのです。
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スタートから30分、ここで小休止。
観光船の出航はあと一時間・・・時間に間に合うか?
(その次の船は3時間後・・)
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山、また山・・・ブドウ畑はもうありません。
ここからは街も見えません。ライン川は良く見えます。
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続いて観光船が通ります。船はもちろん楽しいでしょうが、
今回ハイキングをしたのは、山の上からの眺めのほうが、
船からよりも視界が広がって、いい気持ちだろうと思ったのです。
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見えてきました。アスマンスハウゼンの街です。
船の時間は30分後ですが、ここから眺めた距離感では
多分20分あれば船着き場に行けるのでは?
下り坂だし、いざとなれば走る?
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綺麗な街です。アスマンスハウゼンはちょっと落ち着いた雰囲気。
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列車が通るので、ズームアップで撮ってみます。
瞬間技で貨物列車をキャッチ。
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川のほうにまっすぐ降りる長い階段が有ったのですが、
まだ時間は大丈夫そうと踏んで、
気持ちの良さそうな緩やかな下り坂を行きます。
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乗ろうと思っていたチェアリフトです。
実は切符はこの分も含めたセット券を買っていたのですが、
眺めのいい道を歩いたので、それが無駄になっても気になりませんでした。
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道はぐるっと迂回しながら教会の塔のほうへ
(グーグルマップで見ていたので方向感覚は判る。)
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小奇麗な家が並び、山の上までブドウ畑です。
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先ほど見えた教会が正面に来ました。
この道をまっすぐ下りればいいのです。
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踏切を渡ったところで、歩いてきた方向を振り返ります。
左手の山腹あたりから降りてきました。
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川沿いの道を行くと、楽しそうな、美味しそうなお店が並んでいます。
でも、船の時間が有るので、お昼ごはんは下船後ということに。
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踏切から少し距離があることは判っていました。
波止場は街の中心を過ぎ、はずれの辺り。
歩いていると、
道端に桐の木を発見しました♪ドイツの桐の木だ!
何処でも同じとはいえ、今年初めて見た感慨もアップします。
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KDラインの乗船場です。
流れに逆らわない浮桟橋です。
1時間15分のハイキングを終えて無事到着。
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出航は11時45分、その15分前でした。余裕は少しは有った?
切符を買って船を待ちます。続きをお楽しみに♪

by ciao66 | 2015-06-28 08:26 | ドイツを巡る2015 | Comments(6)

11. ブドウ畑を見下ろす空中散歩@ライン川

リューデスハイムのゴンドラリフトに乗って、これから空中散歩です。
いよいよ出発しました。ライン川と街が眼下によく見えます。
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進行方向は嬉しくなるような光景。ブドウ畑の中を行きます。
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下のほうを覗くと、これもブドウ畑のいい眺め。
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振り返ります。ライン川の中州の緑が綺麗です。
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だんだん高度は上がって、
先ほど通ったブレムザー城(ワイン博物館)が左手に見えています。
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眼下では、うねうねとブドウ畑の中の道が見えて、どこまでも続きます。
右手奥に小さく見えるのはニーダーヴァルトの記念碑です。
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頂上に到着です。
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ニーダーヴァルトの記念碑のそばに来ました
大きいので大迫力なのです。
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向う岸の街ビンゲンがよく見えます。
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ズームアップしてみると、お城が見えていますが、
帰りに時間が有れば、この日2個目となる城に寄ってみようという所。 
向う岸からこちらの眺めもいいだろうと思ったのです。
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こちら岸に戻って、
記念碑の一番上にいるのは女神、ゲルマニアと言ってドイツの象徴です。
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記念碑の直下に来ました。
像の大きさを下にいる人と比べてみてください。
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更に近づくと、精巧な彫刻が群像になっています。
皇帝ヴィルヘルム1世、宰相ビスマルク、帝国の将兵たち。
1871年のドイツ統一を記念して像ができたのです。
日本の明治維新とほぼ同時期というのも興味深いのですが、
ドイツはプロシャの力で統一されたと明示する群像です。

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天使?(羽が有るから多分)
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記念碑の謂れが書いてあります。
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どこまでも続くライン川。いいところです。
向うは上流、はるかかなたはスイスのボーデン湖。
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時刻はまだ朝の10時過ぎ、
これからライン川を望みながらのハイキングを楽しみます♪
by ciao66 | 2015-06-25 21:22 | ドイツを巡る2015 | Comments(8)

10. リューデスハイムの街歩き@ライン川

 この日は期待通りのお天気で、ガラッと気分を変え、終日ライン川の観光に充てます。
起点となったリューデスハイムの街は、フランクフルトから列車で1時間少々、
明るいブドウ畑のなかの美しい街でした。
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 ライン川巡りには観光船のライン川下りはもちろん外せないのですが、
もうひと捻りして、次のようなプランを考えました。

1.ライン川を望む丘の上のハイキングをして、
2.次は定番の観光船に乗り、
3.最後はライン川を望む古城に登るという、

ちょっと欲張りな計画・・・でも、一日有れば行けるでしょう。

ホテルの朝食は朝6時30分からオッケーでラッキーでした。
朝7時30分にはフランクフルトHbfに着いて、その10分後、
乗る列車のプラットフォームを確認して、切符も買って、準備完了です。
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乗るのはこれです。7時53分発。
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列車は快調に飛ばして、
ブドウ畑が美しいドイツらしい風景の中を行きます。
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ライン川が見えてきました!目的地はもうすぐです。
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9時7分、ほぼ定刻でした。リューデスハイムで下車します。
ぞろぞろと下りる観光客たち。
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駅はライン川のほとり、観光船はここから出るので、
ライン川では観光拠点として有名な街です。
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駅からライン通りにそっていくと、小さなお城が有って、
それがワイン博物館なのですが、
朝9時ではまだ閉まっているので、外から様子を見ます。
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ワイン畑です。
ここはラインガウと呼ばれる有名な産地なのだそうです。
遠景に乗る予定の丘に登るリフトがうっすら点々と見えます。
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いいアングルはこれだと、踏切に入りました。
歩いてきた方向を振り返ります。先ほどのお城が見えますが、
あれっ、その右手の道路上をミニ汽車がやって来ました。
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ぐるっと回ってこちらに来ました。
水色のかわいいミニ汽車です。
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今度は船!次々乗り物登場です。
この船に後ほど乗ることになります。
といっても、乗るのはここからではなく、ここではリフトに乗って、
ハイキングをしたあと、2つ先の船着き場に山から降りて、そこから乗ります。
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少し歩くと、街中に着きました。
角を曲がると有名な横丁、「つぐみ横丁」です。
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ワイン酒場がずらっと並んでいます。
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まだ朝早いので、全く静かです。
朝の散歩の観光客だけ。
昨夜の賑わいは如何ばかりか・・・。
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有名なところなのでワインを飲みたい気もしますが、
まだ朝なので、ここは見るだけにします。
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少し歩いて、市役所の有る広場、マルクトプラッツに来ました。
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面白い枝ぶりの街路樹が綺麗なところです。
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教会を発見したので入ってみることにします。
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中はこんな感じで、簡素ですが美しい教会です。
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静かなここで、一休みします。
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教会から出てみると、
私の後を追いかけるように、先ほどのミニ汽車にまた遭遇!
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洒落た看板の酒場を見て・・・
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青空に綺麗な花を見て・・・
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街歩きは30分ほどで終了して、
ニーダーヴァルト行きのゴンドラリフトの駅に到着です。
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次回に続く。
by ciao66 | 2015-06-24 21:11 | ドイツを巡る2015 | Comments(6)

9. ユダヤ博物館と欧州中央銀行 @フランクフルト

欧州中央銀行(ECB)の本店はフランクフルトに有って、
この大きな€マークは、テレビのニュースによく出てきます。

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これです。ユーロビルという名前!高いね~。
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欧州中央銀行はユーロ通貨の元締めですが、
フランクフルトが金融の中心になるには歴史が有って
ロスチャイルドの功績が大きいのです。
ユダヤ人のゲットーで小さなお店を開いていたロスチャイルド
(ドイツ語読みでは=ロートシルト)はドイツ諸侯への金融を行って財を成しました。

ユダヤ人ゆえに、さんざん迫害されていたのです。
ゲットーというのはユダヤ人隔離居住区です。
日曜日とキリスト教会の祝日にはゲットーの外へ出ることが禁じられ、
ゲットー全体が外側から鍵をかけられて閉じ込められました。
住む場所に制約を受け、さらに職業まで制限されていたのですが、
キリスト教徒は金貸しが出来ないので(今では大っぴらですが)
ユダヤ人には金融というチャンスは残されていたのです。

それゆえ努力もして、結果的にマネーパワーが付いて
18世紀初めにはただの両替商だったのが、
18世紀末、フランス革命の頃には大きくなって銀行にまでなった。

フランス革命の続きの戦争でナポレオンはヨーロッパ中を征服し、
フランス革命軍の砲撃でフランクフルトのゲットーは
1796年に下の絵のように壊れました。
狭くて劣悪な環境だったゲットーは再建されずに、
結果的にこれでユダヤ人はゲットーから解放されました。

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マイアー・ロートシルト(ロスチャイルド)は
ナポレオンやゲ-テと同時代人だったのです!
フランス革命の時期に相場で巨額の利益を上げます。
依然として貧しいユダヤ人も多かったなかで、
飛びぬけて豊かになった人が出現したわけです。
英仏などヨーロッパの国々もロスチャイルドから借りるようになり、
日露戦争では日本まで借りました。
世界的金融資本の誕生です。

妬みからユダヤ陰謀説なども出てきて、
その後、ナチスの弾圧ではさんざんな目にあっていますが
現在までちゃんと残っているわけです。

マイン川沿いの上品な建物が並ぶ通り
ロスチャイルドの邸宅跡は左手奥の白い建物です。

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裏手から見ると、目立たないようにしていたのか、意外に質素な建物です。
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邸宅跡は今はユダヤ博物館になっています。
邸宅だったことを示す展示物は全くなく、
ユダヤ人の歴史を主に展示しています。

これは、ゲットーの建物の模型です。
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貴重な写真が残されていました。

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フランクフルトのゲットーについては、「ユダヤ人ゲットー」大澤武男著(講談社現代新書)が参考になります。


アメリカ人のユダヤ人がドイツを旅する無声映画。
とても印象的でした。
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ユダヤ教の聖具でしょう。
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シナゴーグ(ユダヤ教会)の絵です。
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ここからは現代史。
フランクフルトの1933年、ユダヤ人の弾圧の始まり。
ナチスです。
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ナチスにユダヤ教会が放火されます。
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アンネ・フランクはフランクフルトの出身だった。
ナチスの弾圧を避けようとオランダに移住したのでした。
そこへも手が伸びて隠れ家に潜行しますが、
ついに隠れ家を発見されて強制収容所へ、
そこでチフスを患って15歳で亡くなります。
隠れ家には日記が残されていました。

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ナチスの時代のドイツの写真です。
家族の写真、連行するトラック。
ゆえなき迫害。
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ところで、知りませんでした。先ほど調べたところでは
ECBの本部ビルは最近引越ししたのです。
あの巨大な€マークは観光客の記念写真用のもの?
それとも、ユーロビルなので、ビルのシンボルなのか?

引っ越し先はグーグルで見つけました。緑の丸はレーマー広場で、
青のマークから赤いマークへ移った。
新しいビルの写真は→ こちら (一番上・中央の写真です)。

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時間は少し戻って、この日お昼頃に見た、
パウルス教会のそばの建物の渡り廊下です。
橋げたを下から支えるような人を発見!
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重そうです。何で俺がこれを支えるのか?
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つらそうな表情。
ユダヤ人を描いた像では無いでしょう。
でも、この像は迫害を受けた人にも重なって見えます。
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耐える人物像、どころではありません。

新しく引越ししたECBのビルは、グロスマルクトハレという市場の跡に出来ました。
ここは地下には第2次大戦中はナチスの忌まわしい施設があった場所で、
1万人ものユダヤ人を収容所送りにするために、一旦集合させた場所。
その記録を後世に残すため、ECBのビルに記念施設も出来るそうです。
詳しくはこちらの記事をご覧ください。

フランクフルトにもこういう施設が有り、建物が残っていたとは!
・・・多くの犠牲者に合掌です。

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夕刻、またマイン川に来ました。
大きな観光船が停泊していましたが、スイスのバーゼルの船!
ライン川を下ってここまで来て、オランダまで行くのでしょうか。

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橋の上からの眺めです。
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音楽がにぎやかで、皆さんお尻子こちらに向けて、何かを見ている様子です。
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ボート競走でした。
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橋を渡ると、フランクフルト最後の見学スポット、シュテーデル美術館です。
夕方5時過ぎなのになんだかすごい行列だ、と思ったらモネ展をしていたのです。
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知らない絵もいろいろありましたが大混雑でちょっと閉口。
ドイツ人もモネが好きなのだ!
特別展のモネの絵は撮影禁止だったので、
私の好きなボッチチェリを発見して撮りました。
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午後6時、まだ明るいのですが、早々に引き上げることにしました。
歩きまわって疲れたのです。最後の美術館がダメ押しでした。
この日の歩数は21,000歩!

ホテルのそばの気軽なところで夕飯にします。
お店の看板でお美味しそうなのを発見。
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これ下さいと指差して、しばし待ちます。
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中身をくるくる巻いて出てきました。かぶりつくと美味しいのです。
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スープも頼んで、これでオッケー。夕飯終了。
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次回は、ライン川へ行きます。
お楽しみに♪
by ciao66 | 2015-06-22 21:55 | ドイツを巡る2015 | Comments(4)

広瀬川、梅雨入りまえ

ドイツ編は一回お休みで、久しぶりの広瀬川散歩です。
赤い蛇イチゴ(たぶん)を発見しました。
色はいいのですが、美味しいわけでは有りません。
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日差しは強いが、イチョウの大木の影では涼しい風が吹きます。
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これ何だろう?
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水が少なく、岩や石が表れた広瀬川です。
この時期は清流度合いもちょっとダウン。
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もじゃもじゃと生い茂る夏草。
まだまだ伸びますよ、という勢いです。
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オニグルミの実がどっしり重そうです。
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タイミングが悪く、今年見ることのなかった、ネムノキ。
数輪だけ名残の花が残っていました。
間にあった!
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空を撮ってみます。
梅雨入り間近で、
青い色がちょっと薄くなったよう。
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間奏曲、広瀬川編でした。
次回はドイツへ。

by ciao66 | 2015-06-21 18:39 | 青葉山・広瀬川散策 | Comments(4)

8. ゲーテの家とゲーテ博物館@フランクフルト

ドイツでおそらく一番尊敬されている人物はゲーテ。
ゲーテが生まれたのは1749年、フランクフルトのこの家でした。
ゲーテ博物館の入り口ではゲーテが迎えてくれます。
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ゲーテの家の外観です。(クリーム色の建物。)
 18世紀の家ですが、第2次大戦で空襲にあって建物は粉々になったのです。
それを予想して、細部の寸法を取り、家具類も疎開していたので、
幸いなことに、内・外ともに完璧に復元されています!
正面の玄関からではなく、右隣りのゲーテ博物館の見学用入口から入ります。
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裏庭を通って、向うの塀を抜けると、

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ゲーテの家の裏庭です。

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裏庭から見上げます。建物は5階建て、L字型になっています。

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室内の様子。部屋は沢山あります。
貴族では無かったものの、市民階級としてはアッパークラスだったのでしょう。
ゲーテの父は帝室顧問官という名誉職、母はフランクフルト市長の娘だった。

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書斎です。

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ゲーテの机・・・一つ目。
読書や日記を書くときに使った机。

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ゲーテの机・・・二つ目。
詩を書いたり、小説を書くときに使った机。

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立ったまま仕事をするのが好きだったようです!
ゲーテ愛用の立ち机、とは説明書きは有りませんので、
そうと知らずにスルーしてしまう人が多い。

ゲーテは25歳という若さで
「若きウェルテルの悩み」を出版したのですが、
それはこの机で書いた!

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ゲーテはずっとこの家にいたわけでは無く、
16歳の時にはライプツィヒの大学に入学。
その後、19歳から25歳までは、
ここも含めていろいろな所にいて、そして・・

26歳になると、ヴァイマール公国に招かれて、
枢密院参事官という、君主の補佐役になり、
小説や詩を書きながら、行政の仕事もこなして、自然科学の研究もして、
ヴァイマールで82歳で亡くなるまで過ごしました。

写真はフランクフルトのそのころの絵図です。


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若い頃のゲーテでしょう。何歳かな?
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子供の頃(左端)この人形芝居遊びは、
のちの大作「ファウスト」につながった。
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青春時代の一コマ。
マイン川でアイススケートを楽しむゲーテ(左端)24歳。
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ゆがみのある窓ガラス。
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表通りは、グローサー・ヒルシュ・グラーベン
和訳すれば「大鹿堀」という不思議な名前。
昔の一番古い城壁あとに、鹿を飼っていた。
皇帝即位式ではみんなで分けて食べた。
ゲーテの頃には、
もう鹿もいなかったし、もちろん城壁もなかった。
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お隣の博物館のほうに移動しました。
一番有名なゲーテの肖像画です。
フランス革命の40年前に生まれ、
亡くなったのはフランス革命の42年後、82歳でした。
その82年間の間、ドイツではどのような出来事が有ったでしょうか。
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 1789年のフランス革命の終わった後には
ナポレオンの進軍がヨーロッパ各地であり
ドイツも一時はフランスの支配下になります。
 ナポレオン法典は広まり、自由主義への期待も高まったものの
ヨーロッパ各国では占領への反発も有ります。

 1812年のロシア遠征の失敗でナポレオンは失脚し、
その後はメッテルニヒが主導したウィーン体制で反動復古の時代へ。
ドイツではオーストリアとプロシャが主導権争いを展開していた頃です。
 1832年ヴァイマールの自宅でゲーテ死去。


 ナポレオンもゲーテのほぼ同時代人なのですが、
ナポレオンはゲーテの大ファンだった。
皇帝は「若きウェルテルの悩み」が愛読書!
7回も感動して読み返したという。

 ヨーロッパを思うままに支配したナポレオンもゲーテを尊敬していたのでしょう。
1806年にゲーテとナポレオンは面会しています。
ゲーテ56歳、ナポレオンは37歳、場所はエアフルトです。


この絵も有名な絵。37歳ころローマで。
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ゲーテは旅行好きでした。
「イタリア紀行」は有名ですがコロッセオにも行った。
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右の絵は誰だったでしょう。奥さんのクリスティアーネ?
(違うかも知れません)
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ゲーテの展示物の見学を終えて出口に向かうと、
そこは博物館が所属する財団の展示スポットになっていて、
何やら紙屑がいっぱい!
散らかされているわけでは無く、
芸術的に?散らかっている!
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これ何でしょう?と学芸員の方に聞いてみました。
答えはゲイの人たちのメッセージだそうです。
紙屑の山で何を表現したかったのか?
なんとなくプロテストしている感じは伝わりましたが・・・
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ヴァイマールにも、もちろんゲーテの家が有って、行ってきたのです。
旅行中盤あたりですが、後ほどご案内いたします。

次回に続く

by ciao66 | 2015-06-20 19:00 | ドイツを巡る2015 | Comments(4)

7. ドイツのパンは美味しい & ドイツへの国際電話

 次の目的地はゲーテの家なのですが、
お昼になったので先に近くのカフェでランチにしました。
ちょっと茶色いこのパンがとてもおいしかったのです。
このあとドイツでは何処へ行ってもパンは外れなしでした♪
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黒板にあったメニューのカフェごはんも美味でした。
焼肉、ジャガイモ、目玉焼き、サラダ・・・
持っていたミニ辞書で解読、半分はなんとか判りました。
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Tageskarte・・・「一日券」とも読めるのですが、
多分「この日の定食」だろうと、これを頼んで正解でした。
今調べたら、karteには券、メニュー、地図、いろんな意味があるようです。
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こんなお店で、てきぱきとよく動く店員さんが印象的でした。
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ゲーテの家の窓からそのカフェが見えます。
向うの木の生えているところです。
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 ところで、今回のもう一つのテーマドイツへの国際電話」ですが、

これはドイツから帰国後のひと騒ぎのお話しです

帰国してキャリーケースを開けてみたら、入れたはずのものがありません・・・(汗)。

モノ、とは貴重品、といってもお金の類では無く、SDメモリーカード!

写真のデータ入りです。

キャリーケースの蓋の網のところに入れたはずだったのに、

旅行の後半部分のは有ったのです。

途中でデータがいっぱいになって新しいのと入れ替えた。

前半部分が行方不明!

旅の思い出が・・・。記録が・・・。ブログの写真が・・・。

・・・取り替えなくていいように大きな容量のSDカードにしておけばよかったのに。

網からこぼれたのか? 

・・・ちゃんと袋に入れておけばよかったのに。

ドイツへ連絡して探してもらいましょう。心当たりのホテルに電話します。

小さいので掃除機に吸い取られたかもしれませんが、ダメもとです。

そして、メールは無視されるかも、電話がいいと考えたのです。


・・・電話の外国語は難しい!

ドイツ語は挨拶くらいしかできません。使うのは英語です。

こちらの状況を説明して、カードを探してもらうように、依頼しなければいけない。

これはハードルは高いのです。(私にとっては)

それで、いい方をあれこれ調べて。

忘れたは foget ではなく、この場合は left だとか、あれこれ。

ドイツへ電話を掛けました。SDカードをなんとか回収しようと。

ところが、話がなかなか通じません。

ドイツ人にとっても英語の電話はとっても苦手だったようです。

△○☆×□※△○×☆□※△○×☆・・・ドイツ語でぺらぺら返ってきます。

3分位お話しして、やっと話が通じました。

内容的には20秒で終わるお話しを、3分かかって。

お返事は・・・カードはありません。残っていません。

あえなく沈没・・・気を取り直して

ライプツィヒはダメなら別のホテル、ベルリンです。

ここも似たようなものでしたが話は通じて、

「ホテルにメールください。掃除担当に聞いてみて、メールで返事しますと。」

前のよりは応答はまともです。

(次の日、「あいにくでしたが有りません」と英語のメールで返事が来ました)


またまた沈没・・・気を取り直して

3っつ目の電話、ヴァイマールのホテルは、素晴らしい応答でした。

電話では無く、面と向かってお話しできるような感じで、すらすら応答が進みます。

前の2つのホテルの電話は何だったのだろうと。

この方は英語ペラペラだったのでしょう。(当方は決して、そうではありませんが)

結局、「残っていません」のお返事は変わらず。ここも同じ。

最後にもう一つ、ベルリンの空港にも掛けました。

(税関でキャリーケースを開けた)

空港さえ、初めの二つのホテルと似たような応答振りでした。

というわけで、国際電話の応答の練習?にはなったものの全滅でした。

あきらめていたら、数日後、ひょっこりSDカードが出てきました!!

レシートを突っ込んでいた紙袋の中から!!

ちゃんとカードだけ裸では無く紙袋に入れていたようです。

結果オーライですが、反省しきりでした。

というわけで、いつもと同じように、このブログが書けるというわけで、

本当によかったのでした。

ドイツにまでお騒がせしました・・・(汗)。

by ciao66 | 2015-06-18 21:18 | ドイツを巡る2015 | Comments(8)

6. レーマー広場の昔を想像する & パウルス教会で見たものは・・・

お昼過ぎのレーマー広場です。朝のうちはそうでもなかったのですが、大賑わい。
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結婚式でしょうか。市役所前に皆さん集まっています。
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朝のうちに写したレーマー(市役所)ですが、ここもやはり歴史スポット。
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天秤を持った女神は商業の神様でしょうか。
フランクフルトの地名は、フランク王国に関係があります。
ドイツとフランスの共通の前身だったフランク王国ですが。
フランク王国の名前はフランスのほうに引き継がれます。そして、
ドイツに残った数少ないその名残りの地名がここなのです。

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 1356年に神聖ローマ帝国皇帝の戴冠の地となったフランクフルトですが、
そのすぐ後1372年には「帝国自由都市」となり、皇帝直属という形式をとりながら、
実質的にはドイツの諸侯の支配から独立した都市となります。

このレーマー広場で、行われた皇帝戴冠の際の市民参加の祝宴の様子です。
市民たちが、ふるまわれたワインやお肉、ソーセージ等を食べ、騒いでいたのでしょう。

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今ではなかなか想像しづらい広場の光景ですが、
いい絵が残っていました。
この絵は、1764年に少年時代のゲーテが実際に経験した広場の祝宴の様子です。
皇帝はヨーゼフ2世、マリア・テレジアの長男です。
フランス革命の直前のタイミングで、
14歳のゲーテは何処にいるのでしょう?(絵はゲーテ博物館にあった)
登って見ている?それとも下にいる?

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戴冠式の後の正式な祝宴は市役所のホールで行われました。
中庭から螺旋階段を登って2階に上がります。
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これは、次の間でしょうか?
このお隣が祝宴会場だったカイザールームです。
カイザーは皇帝のこと。カエサルが語源だとか。
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中に入りました。歴代の皇帝がずらり並んでいます。
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どの皇帝も騎士のコスチュームを纏っています。
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当時の祝宴の様子でしょう。
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それほど豪華というわけでは無いのです。市役所のホールですから。
ここも戦災で壊滅状態だっところ。
残念ながら「新しい建物」という印象になってしまっていますので
歴史を感じるには、相当な想像力が必要で、ちょっと難しい感じでした。

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さて、時間はお昼前に戻ります。
レーマー広場から少し歩いたパウルス教会の前で面白いものに出会いました。
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セグウェイ!皆さん楽しそう。カメラを向けるとこちらに手を振る人も多数。
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行ってしまったかと思ったら、ここが目的地だったようです。
緑色の不思議な像がお迎えするここは何でしょう?
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 建物入り口わきの碑文です。さきほどのゲーテの少年時代から80年ほど時間は経ち、
すでにゲーテは亡くなっています。神聖ローマ皇帝はもういません。

ここで1848年にフランクフルト国民議会が開催された。
1789年のフランス革命から時代は進んで、各国で自由主義運動や市民革命が起こり、
ベルリンの三月革命や、マルクスが「共産党宣言」を書いたのも同じ年、
そういう時代です。

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中に入ってみました、建物は円形の不思議なスタイルです。
もとは、パウロ教会(パウルス教会)というルター派の教会でした。
そこを国民議会の会議場にしたわけです。
何か絵が書いてあります何でしょう。
この絵が気になりますが、少し置いておいて2階に上がってみましょう。

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 ここが議場だったようです。でも、歴史的には長続きしませんでした。
バラバラだったドイツ統一を巡って、
大ドイツ主義と小ドイツ主義がここで議論を戦わせ、
結局まとまらないまま、20数年後にはプロシャの軍事力による統一となって、
オーストリアはドイツからはみ出されて、
1871年に統一国家としてのドイツ帝国になります。

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とはいえ、国民議会がここで初めて開催された、という歴史的な場所なのです。
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穴の開いてしまった建物。第二大戦後の写真でしょう。
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 1階に戻りました。これは議員たちでしょう。
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下のほうの人はちょっと様子が変です。
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ブタまで登場して!
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テーブルの下では何をしているんでしょう?
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椅子に座っていた学芸員の方?に聞いてみました。
何故ブタや動物たちがここにいるのか?
答えは・・・

議員たちは上のほうでふんぞり返っている。
下のほうで裸でいるのは一般庶民。
ブタたちも庶民のこと。
・・・結局これはアイロニーだそうです!

ドイツ人、ユーモア精神に富んでいる!
国民議会が初めて開かれた歴史的建物に
この皮肉たっぷりの絵は、
むしろ余裕があるというべきかもしれません。

ここは私がフランクフルトで一番気に入ったスポットかもしれません。


こんな丸いかたちの建物です。

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次回に続く。


by ciao66 | 2015-06-16 21:38 | ドイツを巡る2015 | Comments(11)

5. フランクフルトの大聖堂の塔に登ってみる

朝9時半、フランクフルトの大聖堂です。塔に上る前に堂内を見ることにしました。
私と同時に到着したのは、20人ほどの中国人のご一行です。
皆さんにぎやかに写真をぱちぱち。
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 もう少し静かにして、と思うのですが、そんなことにはお構いなしに、
同時に10人くらい?がお話し中、しかも結構大きな声で、話し合っています。

 私もカメラを構えて見学していましたが、
10分ほどすると、集団は立ち去って、とても静かな堂内に戻りました。
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嵐の後のような静けさで、
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ゆっくり鑑賞します。
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主祭壇右手の小さな入り口(板絵のようなレリーフの脇)を入ると、
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小さな部屋が有ります。これが歴史上重要な場所、
ドイツの皇帝選挙の場所だったのです。意外に小さい部屋だったのでびっくり。
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 ドイツの皇帝の名称は神聖ローマ帝国皇帝・・・中世の時代です。
神聖ローマとはいかにも不思議なな名前ですが、西ローマ帝国崩壊のあと、
ローマ帝国の後継者を任じていたのがドイツの皇帝です。

 もともとはローマの教皇から任じられた皇帝という、体裁でしたが、
ドイツは当時は封建諸侯が分散支配していましたので、皇帝にたいした実権はなく、
名誉職の様なものです。日本の中世の権限のない足利幕府のよう??

 皇帝選挙の投票権者は7名、
司教が領主を兼ねていた3人、マインツ大司教、トリーア大司教、ケルン大司教、
世俗諸侯が4人、プファルツ、ザクセン、ブランデンブルク、ボヘミア。

 1356年のカール4世の金印勅書でフランクフルトが選挙の場と決められたのです。
(戴冠式もこの教会で行われました。)

・・・というわけで、やはり、歴史を感じるスポットなのでした。

ここのピエタ像です。
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さて、堂内の見学を終え、塔に上ることにします。
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頂上の眺めです。
マイン川が手前から向こうに流れています。
この先でライン川に合流するのでしょう。
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向こうには金融街のビル群、そして手前のほうには・・・
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 市の中心広場であるレーマー広場が見えます。
三角屋根が三つ並んだレーマーという建物が市庁舎。レーマーはローマ人の意味。
大聖堂は広場に近いものの、少し離れた位置です。
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少し角度を変えてみると中世の街と現代の街の二つが不思議に重なります。
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北東方向です。
クレーンのアームの中ほど、曲線の外観の建物の並びが古い城壁と、ユダヤ人街の跡。
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 降りようとしたら、下のほうで女性2名の声がします。
声のトーンは日本語かなと思ったので、すれ違う時に話しかけたら、韓国語で返ってきたのです。
今まで思ったことはなかったものの、二つの言葉は似ているのか、と思った瞬間でした。
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 塔から降りてきて、切符売場の人に何段だったか尋ねたところ、
ドイツ人も冗談好きです「どうぞもう一度登って数えてみてください」と。
でも、教えてもらったのです。片道328段!

 さすがにちょっと疲れました。レーマー広場で一休みすることに。
三角屋根の市庁舎の左に赤い傘があるカフェを発見。
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カフェに入りました。人のいない写真は間が抜けたような・・・。
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被写体が現れて・・・(笑)。左はドイツの民族衣装?の店員さん。
顔立ちは東洋風でした。右は普通のお客さん。
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 市庁舎の2階のカイザールームは午後からの開館でしたので、後で来ることにして、
先に歴史博物館に行き、窓口でムゼウスウーファーチケット(€18)を購入。
(フランクフルトの多数の見どころで通用するお得なチケットです。)

博物館の展示物で印象的だったこの模型は第2次大戦前のフランクフルトの様子です。
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 そして、第2次大戦直後のフランクフルトの様子です。
街はめちゃめちゃに破壊されています。
今の街はがれきを集めて再建された街だということがよく判ります。
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日本の終戦直後も同じような光景でしたが、
ドイツでは石づくりの建物がすっかり破壊されるほどの空襲だった。
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博物館の展示物です。
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 神聖ローマ帝国皇帝の冠です!凄いと思って・・・
よく説明を見ればレプリカでした。
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 本物は何処に?・・・いっときはナチスに奪われたものの、今はウィーンに有るらしい。
 なるほど最後の神聖ローマ皇帝はハプスブルク家のフランツ2世でしたから。
フランツ2世は1806年にローマ皇帝の称号を自ら放棄し、単なるオーストリア皇帝(同じ人だがフランツ1世)となった。フランス革命の直後、ナポレオンの怒涛の時代に終止符を打ったわけです。

 西暦911年に始まった神聖ローマ皇帝の制度が、中身はともかく、延々と1806年まで続いたというのも凄いですね。

次回、皇帝戴冠の祝宴の場所、ゲーテの見た皇帝戴冠は・・・に続く。

by ciao66 | 2015-06-13 20:38 | ドイツを巡る2015 | Comments(8)