カテゴリ:ドイツを巡る2015( 44 )

42. 森と水の景色を走るトラム68番線と世界遺産の「博物館島」

 旅の最終日にやってきたのは、のどかな雰囲気の森の中を行くトラム!
雑誌『ナショナルジオグラフィック』の『世界のトラムベスト10』という記事で見た、ベルリンの68番線です。
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68番線に乗るには、ベルリン中央駅からSバーンで南東に30分ほど、
ケーペニック駅で下車し、駅前から乗ります。
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トラムはしばらくケーペニックの街中を行き、
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橋を渡りました。
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グリューナウ駅から先はのどかな景色が表れます。
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緑一色の静かな住宅地を抜け、
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家もまばらな別荘地帯に入りました。
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気持ちのいい緑の中を行きます。一番後ろの席が特等席のようです。
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ワイドスクリーンだ!これはいいです♪
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冒頭の写真です。トラムが走る場所とは思えない森の中を行きます。
木々に遮られてよく見えませんが横には水辺が有ります。
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30分ほどで終点のアルトシュメックヴィッツに到着しました。
少し周りを散歩してみます。
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静かな雰囲気のある街でした。
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橋がかかっているところは湖でしょう。
のんびりしたところでした。
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全く観光客は来そうもないところ何がいいのだろう?と思われたかもしれませんが、
私は満足だったのです。

 次はベルリン中心部の雑踏に戻り、ベルリンに来た人は皆が来るのでは?
というスポットにやってきました。博物館島です。

シュプレー川の中州に一杯博物館が集まっているというので世界遺産なのです。
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ギリシャ神殿風の建物は旧国立美術館です。
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 ペルガモン博物館は工事中で入口は変更されていました。
さすが一番人気だけあって大行列です。100人位居たでしょうか。
30分くらい待って入れました。
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イシュタール門です。バビロニアの紀元前560年頃のもの。
ドイツの帝国主義時代に持ち去ったものでしょう。
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ミレトスの市場の門です。ローマの遺跡で紀元100年頃のもの。
ミレトスの場所はエーゲ海沿いですが今はトルコ領。
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これもバビロンの遺跡から持ってきたものです。
紀元前604~562年ころ。
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同じものを大英博物館で見たのですが・・・
人頭有翼牡牛像です。アッシリアの狛犬のようなもの。
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博物館の改修工事で肝心のペルガモンの大祭壇は今閉鎖中でした。

建物の中に閉じ込められて窮屈そうな遺跡、元のところに戻してあげたい。
ドイツは手放す気はないでしょうが・・・。

最後にちょっとだけトラムに乗って、フリ-ドリヒシュトラーセ駅に出て、
ベルリン中央駅で荷物をピックアップして、TXLバスで空港に向かいます。
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パリ行のエールフランスです。ベルリンから日本に直行便がないのです。
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 ベルリンの新空港は出来たのに開業ができない不思議な事態が何年も続いています。
工事に欠陥があって、その修復も何度もやり直して、大変時間がかかっていると。
新空港が開業すれば恐らく直行便は出来るのでしょうが、まだ何時のことか判らないそうです。

それはともかく、ベルリンの空を飛び立ちました。
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パリに到着して乗り換えです。フランスらしい空港のロビー。
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JALで羽田に向かいます。
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ドイツ旅行記はこれでおしまい。
ながながとご愛読いただき、コメントの投稿も頂戴し、有難うございました。
やっとひと段落です。

次回からはいつもの仙台編に戻ります。

by ciao66 | 2015-08-28 22:34 | ドイツを巡る2015 | Comments(10)

41. ユダヤ博物館からフンボルトハイン公園の高射砲跡まで

次に来たのはベルリンのユダヤ博物館、ここではユダヤ文化の展示が面白かったのです。
独特な形のユダヤの文字、謎解きの様な説明、右から左に読むのは日本と同じ!
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ユダや博物館の最寄り駅、U1号線 HalleschesTor で降りて、
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高架下の涼しい川沿いの道を行きます。
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Uバーンの古い高架線が不思議な雰囲気。
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Linden通りの並木道を北へ歩いて、午後1時頃に到着。
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ユダヤ博物館に入りました。
ヨーロッパではキリスト教が支配的で、地域全体そのイメージが強いのですが
少数派であるユダヤ人の文化はちょっと異質な雰囲気で、
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ちょっと素朴さも感じられるユニークなものでした。
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展示室は上に下に、行っては戻り、とっても広くて、体力勝負です。
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火にくべられる中世のユダヤ人の絵。
少数派ゆえ、大変だった。
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ユダヤ人街の写真です。
どこの国でもゲットーに住むことを強制された場合が多かったのです。
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シナゴーグの礼拝堂の写真でしょう。実物は見たことが有りません。
キリスト教の教会は見る機会が多いのに・・・。
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冒頭の写真です。絵解きでヘブライ語のお勉強・・・少しだけ解読出来ました。
青いDに似た文字は、メムという名前の文字で、発音は「ム」と読む。
その下にある3文字の単語、文字は右から左に読むのでムで終わると判ります。
マジムというのがヘブライ語の水。=wasser(ドイツ語)と水の絵で判読。
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文字は21文字しかない。しかもみんな子音。母音は適当にあてて読む!
とても変わっていますね。但し補助的に母音を表す記号もあります。
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ここまで来るともう判りません・・・。文字のデザインはユニークで、
ハングルにも少し似ているし、アルファベットにも似ている。
文字の下の点々が母音の記号らしい。
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いきなりゲーテの登場です。(さすがはドイツなのです)吹き出しの文章によると、
ゲーテはユダヤ文化について称賛し、相当高い評価をしていた。
独 Die Juden sind ja auch Menschen. Viele bewundern mich gar sehr.
英 Jews are people ,too. Many admire me a great deal.
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気に入った絵を一枚。
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☆のマークのように鋭角に曲がるように配置された展示室は、彷徨ったユダヤ人を暗示しているかのようでした。
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歴史的な写真も多数有りました。
ドイツ議会議事堂の炎上の写真です。このあと暗黒の時代に。
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シナゴーグに放火されたときの写真です。
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50分で見学は終了し、歩き疲れたので博物館のカフェで一休み。
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このあとU6号線で移動して、オラニエンバーガー通りのシナゴーグに来ました。
ナチス時代に放火されて破壊され、再建されたのは最近のこと。金色のドームです。
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見上げます。
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入場しました。よく聞くと再建されたのはドームだけで、シナゴーグ全体はまだ未完成。
苦難は続いているようです。礼拝堂を見学したかったのですが・・・。
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ドームの上は撮影禁止ですよということで、階段から、天井を撮ってみました。
パッチワークのような不思議な天井!眺めもよかったのですが、ご紹介できません。
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旧東ベルリン名物のテレビ塔とシナゴーグのドーム。
空に浮かぶ二つのボール!
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午後5時、まだ陽が高いので、もう一つ行くことにしました。
Sバーンでゲズントブルネン駅で下車して、目指すはフンボルトハイン公園。
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山のようになった小路を上がると・・・
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落書きがちょっと恐ろしそうなところ。
実はここはナチスの高射砲の跡です。
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一番上まで来ました。反対側にもう一つ有ります。
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眺めはいいのです。
あまりにも頑丈で壊せなかったという代物です。
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山から降りて、全体像が見渡せる跨線橋に来ました。
樹木が砲台跡に生い茂っています。
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berliner-unterwelten(ベルリンの地下世界)という団体が砲台の内部を探検するツアーをしています。案内地図はそこのを拝借しました。私のように高射砲跡に登るだけならツアーで無くとも大丈夫です。

公園にはバラ園が有って、綺麗に咲いていました。
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トルコの移民達が多い一角の様です。
お一人お話しができましたが、英語が少ししか通じませんでした。
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ゲズントブルネン駅からノルトバーンホフに戻って夕食タイムです。
午後7時、前日のお店が気に入ったのでまた来ました。ビールが美味しかった。
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アジアな色彩が綺麗なお料理はチキンでした。
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次回はこの旅行記の最終回です。
by ciao66 | 2015-08-22 22:27 | ドイツを巡る2015 | Comments(10)

40. ドイツ連邦議会議事堂のドームに登って、ドイツ技術博物館に行く

翌日の朝、予約してあったドイツ連邦議会議事堂のドームに来ました。
向こうに見えるのは昔は王家の狩猟場だったというティーアガルテンです。
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ここに来るには、ベルリン中央駅で南側出口を出て、
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シュプレー川の橋を渡り、
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朝の公園散歩をしながら到着しました。石造りの立派な建物です。
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時刻は朝8時、行列しているのは予約済の人の様でした。
ウェブサイトで予約した時に返信されたメールとパスポートを持参します。
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10分ほど待って、荷物検査のあといよいよ入場です。もちろん入場料無料です。
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エレベーターを降りて、ドームの中に入ります。
先を行く人たちがスロープを歩いています。
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とってもいい眺めです。
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お天気もいいし♪
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冒頭の写真です。回りながら次々と変化する景色。
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あの建物は何だろうと、チェックしながら。
イヤホンガイドは日本語版が無いので、英語版を借りました。
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ドイツ国旗の向こうにベルリン中央駅が見えます。
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だいぶ上まで来ました。見下ろすのも面白い。
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ドームの頂上に到着です♪
眺めはぐるぐる回っていたので先ほど紹介したのと同じ。
もう一度見るのですが。
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また、ぐるぐる回りながら降りて行きます。
階段よりもうんと楽ちんで、視界が変化するのが面白かったのです。
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朝早い時間でしたので、西側の公園側の景色はいいのですが、東側の中心市街地方向は逆光でうまくいきません。目で見る分には問題なしです。
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降りてきました。ドームの全景です。
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議事堂の公式サイトはこちら。(見学予約はこちらから)

少し歩いて、ブランデンブルク門に来ました。
前の日よりもお天気でスカッとした雰囲気。
日によってイメージが違います。
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Sバーンのブランデンブルク門駅です。
議会の内部見学を行うコースが有りましたが、所要時間が長いのでパスしました。
代わりにこの写真で済ませることに。
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 昔の様子を描いた絵も有りました。1894年に建物が出来たのですが、その後ナチスの時代には、議事堂は1933年に放火されて、そのあと議会は開かれることがなかった。
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ナチスは犯人は共産党だと決めつけて大弾圧して、次にその他の政党も弾圧されて、ナチス以外の政党はなくなり、更には一般人までが自由や基本的人権を失った国になった。(議事堂の火事はナチスの自作自演の可能性が強い)

1945年のドイツ敗戦後、東西分離時代は壊れたままで、東西ドイツ統一後8年かけた大改築をして、1999年に議会はボンから引っ越ししてきた。

・・・・・・・・

電車が来ました。
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1つ目のポツダム広場駅でUバーン2号線に乗り換えです。
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Uバーンの車内で突然始まったトランペット吹き!
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乗り出す乗客たち、面白いひとときでした。
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U2号線の車両です。銀座線の色に似ていますね!
Gleisdreieck駅で下車しました。
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建物の上に飛行機が乗っているのは、ドイツ技術博物館です。
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入場しました。空の関係がここは面白いのです。
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昔のルフトハンザ機です。
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陸のコーナーはSLが多数なのですが、電車やバスは少ない。
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おもちゃの様な電気機関車ですが、
博物館にあるということは実際に使われた?
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私の感想としては、機関車の転車台などは屋外に残っていてそれは面白かったのですが、交通系・技術系の博物館としてはミラノのダ・ヴィンチ博物館が一番充実していると思ったのです。2番目がロンドン交通博物館です。(私の好みと独断で)
休憩を兼ねて博物館のレストランで食事にします。
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やっぱりドイツはソーセージ、というわけで・・・美味しかった♪
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次回に続く。
by ciao66 | 2015-08-20 22:11 | ドイツを巡る2015 | Comments(6)

39. ニコライ教会からアレクサンダー・プラッツまで@ベルリン

ここはベルリンで一番古い教会といわれるニコライ教会です。
アートに並べられた彫像は、教会では見かけない配置ですが、今はここが博物館になっているためでしょう。ベルリン2日目でミュージアムパスを初めて使うことになりました。
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外観はとても古さを感じさせます。1230年という中世のベルリンの姿。
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第2次大戦でここも破壊され、1984年になって再建されています。
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ニコライ教会の内部です。教会風の長椅子では無い椅子が並んでいますが、
今はコンサート会場などに使われているようです。
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見事なパイプオルガン。2階席の間近から見ることができます。
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2階席から身廊を見下ろします。
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ここには音楽コーナーがあって、ここでは実はそれが一番良かったのです。
素敵な教会音楽を聴きながらゆっくり休むことができました。
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ニコライ教会の前には、クマの像が立柱の上に有ります。
ベルリンの紋章を抱いたクマですが、クマはベルリンの象徴なのです。
ドイツ語のクマはBär(ベーア)ですが、Berlinのberは似ているのです。
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前の日にバスで通過したベルリン大聖堂が見えてきました。
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橋にあった東ドイツ時代の名残です。
綺麗に補修されています。上にいるのはマルクス?
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シュプレー川を行く遊覧船です。
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河畔にある公園に来ましたが、ここにも東ドイツ時代の名残が有ります。
マルクスとエンゲルスの像が!ちゃんと残されていました。 
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左がマルクスで、右がエンゲルス、ここには市民が見物に次々と来ていました。
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ベルリン市役所付近を歩いています。前日バスで通ったところです。
赤いパイプは地下水の排水パイプで、ベルリン全体が湿地帯のためよく見かけます。
不格好なものを街のアートに変えている!
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同じところからの眺めです。見上げるのはテレビタワーで東ベルリンのシンボル。社会主義の時代を思わせるレトロな雰囲気なのですが、ソ連風のデザインが私の好みでは有りません。教会はマリエン教会ですがイベント中で入れませんでした。
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次に来たのはアレクサンダープラッツのデパート「ガレリア・カウフホーフ」です。
広場を眺めるカフェで一休み。
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東ベルリンの中心地でしたが、今もにぎわっています。
デパートは東ドイツ時代からあって、ちょっと庶民的なところ。
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上から眺めていると面白いのです。
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カフェはセルフサービスで勝手が判りませんでしたが、人の様子をちょっと眺めていて、
同じように真似をすれば大丈夫でした。
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このデパートに来たのは目的があって、リクエストされたクマの人形を買うため。
本命のシュタイフがやっぱりいいねと思って、この中から一つ選びました♪
日本で買うよりもうんとお得だったので、他のお土産品も全部ここで調達。
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ホテルに帰ることにして、トラムの路線図を見ていると、アレクサンダープラッツからノルトバーンホフまで一回の乗りえで行けることを発見。前日に続きトラムに乗ります。
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線路もプラットフォームも電車と同等の設備では有りませんか。
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ホテルに帰って、フロントでお薦めのレストランを尋ねたところ。
カジュアルならここ、アジアですが安くて美味しいですよ。
と言われてきたのがここ。
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鶏肉入りのサラダです。見た目にも爽やかで美味でした。
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近くのディスカウント店で買ったビールはシェッファーホッファー -Schoefferhofer、
僅か1ユーロ位、ホテルに持ち帰ります。
ドイツ風ながら日本のビールにも近い印象で、これも良かったのです。
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旅は残り一日半になりました。

次回は「ドイツ連邦議会議事堂のドームに登って、ドイツ技術博物館に行く」です。
by ciao66 | 2015-08-19 17:04 | ドイツを巡る2015 | Comments(6)

38. ポツダム広場からチェックポイント・チャーリーまで@ベルリン

 次に来たのは新しいビルが林立しているポツダム広場です。
東西分離時代はベルリンの壁の隣りでした。壁は写真の向うから中央のバス付近まで来て、そこから右へ曲がっていました。右端の遠景は東側というわけです。
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右手はポツダム広場のビル街。
土手の下を鉄道(=DB南北幹線)の線路が通っています。
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赤い看板が立っていて、150ⅿ矢印方向に歩いていきます。
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東ベルリン時代にあった監視塔が保存されています。
塔の下にいるのはそこを保存・管理している人でした。
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 サーチライトが有り、周りを見渡し、逃亡者がいないか見ていた。
2人セットの監視人は顔見知りでは無い組み合わせにし、相互に監視された。
管理人が英語で説明してくれますが、判ったのはそれくらい(汗)。
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下から見上げます。他の場所では解体されて、残っている数少ない監視塔だそうです。
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ここで絵葉書を1枚買ってお別れして次のスポットへ。絵葉書は掲載しませんが、
占領時代の議事堂からアメリカ兵がポツダム広場を見下ろすというレアな写真でした。


次に来たのは、街中に保存されたベルリンの壁です。
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観光バスがそばを通ります。
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 向うのビルは今も使われていますが、ナチス時代のもの。今は連邦財務省の建物で、
ナチス時代は帝国航空省でした。頑丈に造られていたので、空襲でも壊れなかった。
 
 保存された壁のこちら側は、悪名高いナチスのゲシュタポと親衛隊の本拠地でした。
今は、「テロのトポグラフィー」という展示施設で、ここも入場無料です。
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壁の向こうの空に浮かぶのは観光用の気球・・・ミスマッチな現代の風景。
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「テロのトポグラフィー」の屋内展示施設です。
ナチスの行為をテロとして捉えているわけでしょう。トポグラフィーとはあまり聞きなれない言葉ですが、地勢・地形・地勢図・微細構成などの意味でした。
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 ナチスが支配した時代、公衆の面前で女性が髪を切られています。何があったのでしょう。ユダヤ人と親密な関係になったドイツ人女性は、髪を公衆の面前で刈られ、町を引き回された。
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首から看板を吊り下げ、引き回しされるという。
人々への抑圧の一つの手段だった。
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皆同じ行動をしている。見ていると怖いですね。理性は何処へ?
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1944年のアウシュビッツで撮られたナチスの親衛隊の写真です。そこで行われていた残虐な行為と、この笑い顔。人間について考えさせられる写真ではないでしょうか。
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ドイツ敗戦後、アメリカ軍がゲシュタポや親衛隊を捉まえて護送しています。
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ゲシュタポのメンバーが占領軍に逮捕された時の写真です。
ゲシュタポというのはナチスの秘密警察でした。
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歓迎された占領軍。
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ここはテロの中枢であった場所。だからこそ、ここで記録を残しているのでしょう。
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先ほど遠景で見えていた、財務省の庁舎です。もとはナチス時代の帝国航空省の建物。
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 少し歩いて、賑やかなところに来ました。
気球はここから乗るようです。トラビのツアーも同じところでした。
多彩な観光需要に応えるのがベルリン流です。
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 さらに行くと、アスファルト道路の上に点々と敷石が有る所に来ました。
これは壁があった場所に、しるしを残してある所です。
左が東ベルリン、右が西ベルリン。
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壁があった時のことを想像してみましょう。
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 ちょうどお昼時、ここでランチにします。ピザでしたが、ごく普通の味でした。
今看板を見るとベルリン名物のカリーブルスト(カレー入りのソーセージ)が有ったのに、残念なことをしました。次回行く機会が有れば食べてみたい。
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さらに歩いて、チェックポイント・チャーリーに到着しました。
東西分離時代の国境検問所です。当時の姿が再現されています。
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 観光客が当時の兵士の格好をした2人と記念写真です。これで何ユーロするのかは知りませんが。1945年には、この検問所から南(写真向う側)はアメリカの管理地区、手前はソ連の管理地区でした。
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 当時の看板「あなたはアメリカの管理区域を離れつつある。」も残されています
東ベルリンに入るための(ドイツ人以外の)外国人専用の検問所でした。
この写真の背景は東ベルリン側、1961年、看板の背後には大きな壁が出来ました。
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ソ連兵の写真が、ここから向こうがソ連占領地区です、という意味です。
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同じ看板の反対側はアメリカ兵です。そこから向こうはアメリカ地区でした。
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ここは観光客がとても多いスポットで、観光バスも数秒ごとに!通過していきました。

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ここで1冊の本をご紹介。
「ベルリン物語 都市の記憶をたどる」 (平凡社新書)  川口マーン惠美著
ドイツの現代史を気楽に読める本でお薦めです。ベルリンに焦点を当てながら、
ドイツ人のものの考え方や、ドイツ全体の歴史についてもよく判ります。
これを読んでベルリンに行こうと思ったくらい。

次回はこの続き、「ニコライ教会からアレクサンダー・プラッツまで」です。
by ciao66 | 2015-08-17 08:06 | ドイツを巡る2015 | Comments(4)

37. ブランデンブルク門からヒトラーの地下壕跡まで@ベルリン

ベルリンの2日目、ブランデンブルク門にやってきました。
東西分離時代には「分断の象徴」でしたが、今は「ドイツ再統合の象徴」になりました。
丸い物見台ができていて、その横には大きな写真パネルが有ります。
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古いモノクロ写真は第2次大戦の直後のもの。
戦地から戻った兵士たちが手当てを受けている様子です。
ドイツの敗戦は1945年4月8日でした。
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「こういう時代もあったのだ」というメッセージを発しているのでしょう。
平和な世の中にあっても、戦争の惨禍を忘れないという。

物見台から旧東ベルリン側のウンターデンリンデン通りが見えています。
赤い傘の横がSバーンのブランデンブルク駅から地上に出たところです。
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振り返れば、少し台を登っただけなのにブランデンブルク門がよく見えます。
(これは簡単でなかなか親切な仕組みです)
そして、さすがに著名観光地、見物人はとても多いのです。
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4頭立ての馬車・・・こちらからは馬しか見えませんが後ろに馬車の箱が有ります。
馬と馬車は1806年にナポレオンがドイツを占領したときにパリに持ち去られたのです。
ナポレオン凱旋のが残っていますが、今は戻されて、ちゃんと門の上にあります。
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東側から西へぶらぶらと歩いてきた人々です。
分断時代には全く考えられない光景です。
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門の前では、様々なカラーのトラバントのツアーが!
カメラを向けると、注目された!と喜んで、手を振るドライバー。
何でも観光ネタになっているのです。東独時代の臭い排気ガスが残されました。
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また門をくぐって東側に出て、箱のようなものが並ぶ一角に来ました。
何だと思います?
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少し進むと箱は高くなり、深い谷間を歩くように。
実は、これは犠牲になったユダヤ人の記念のオブジェ。
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一本一本は膨大な数の犠牲者を現しています。
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この地下には、ユダヤ人犠牲者記念館が有ります。
ここも無料施設で、当時の反省を世界中に表明し、市民が学ぶ場になっています。
ここはテロ対策で荷物のチェックが有ります。
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ナチス時代の写真パネルです。
車に乗せられるユダヤ人。行先は・・・・恐ろしいところ。
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貨車に乗せられるユダヤ人。
罪もない人々が、無理矢理に、殺されます。
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犠牲者の顔写真です。子供もいました。
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人々が見ているのはユダヤ人の最後の手紙です。
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1942年頃の犠牲者が最後に残した手紙で、紙の無い状況で本の切れ端に、
イディッシュ語、ポーランド語、英語、ヘブライ語の4か国語で書いています。
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英文の内容を意訳してみます。

我々は今恐ろしい時を過ごしている。数多くの人々が労働キャンプに呼び出され、
それが本当に意味するのは、殺されることだとを知っている。
それが本当に働くことだったら、どんなにか良いことか。
周りにはすでに疲れはてて死にそうな人もいる。
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別の手紙です。

今生き残っても何の価値があるのか。
ワルシャワの故郷に帰れても、もう誰にも会えない。(もう誰も残っていない)
耐えて、持ちこたえる人生(life)は、何のために、誰のために?
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ドイツ占領下のリトアニアで1942年に書かれ、手紙の主は2年後にナチスに殺害された。

ユダヤ人犠牲者の家族の写真です。
何人かが生き延びましたが、大部分は犠牲になりました。
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並んだ靴が悲惨な出来事を現しています。
ここには掲載しない写真も多数ありました。
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若い人も、ドイツ市民も、旅行者も熱心に見学しています。
先ほどのトラバントツアーの若者は見たかな?
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見学を終えて地上に上がります。
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少し歩いて、別のスポットに来ました。
そこには案内看板があり、公園のようになったオープンスペースが有ります。
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昔あった建物の絵です。大きな建物ですが、その中にヒトラーの地下壕が有ったのです。
ユダヤ人虐殺の張本人、妄想からそれは発していました。
ドイツとヨーロッパ中を混乱させて、1945年4月30日、ここで自殺しました。
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(私は単独で来ましたが)ガイドツアーが行われていて、説明中です。 
周りは都心部ながら静かな住宅地、あまりにも忌まわしい場所なので、
建物は解体され、公園になっているようです。
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近くのMohrenstr.駅まで歩き、Uバーン2号線で一駅だけ移動します。
次回はポツダム広場とチェックポイント・チャーリーの巻です。

by ciao66 | 2015-08-15 07:54 | ドイツを巡る2015 | Comments(4)

36. Uバーンで東へ戻り、フリードリヒ通りの「涙の宮殿」へ

クーダムからはこんどは東に向けてUバーンの1号線で移動です。
地下鉄なのですが高架で走る区間が多いのが1号線、
行ったり来たりしながらも、違うルートでベルリンの様子を見ることができます。
窓に描かれた模様はブランデンブルク門の絵でした。
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古い地下鉄なので、なかなか風情があります。
走っているのはほとんどが旧西ベルリンの範囲ですが
ちょっと庶民的なエリアです。
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終点はワルシャワシュトラーセというところで、ここは旧東ベルリン。
壁の落書きで有名なベルリンの壁のあるのがここです。電車の中からチラッと見えたのですが、歩くのはつかれたのでそちらには行かずでした。
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トラムの10番線に乗ってすぐのところ、東ドイツ時代の名残の街並の有る所です。
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いかにも社会主義時代という光景が、そのまま残っています。
どうも保存されているようなのですが、ここから見るだけで十分。
ずっとこんな建物が並んでいて、あまり楽しそうなところでは有りません。
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モノクロにするとますますその時代の雰囲気に。
この幅の広い通りは、カール・マルクス・アレー
昔の名前では無く、今現在の地名です。
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ベルリンの壁が崩壊する直前、1989年7月のこの通りの様子です。
東ドイツの軍隊のパレードをするメインストリートだったのです。
今もその時代の空気を感じるタイムカプセルのような通りでした。
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ワルシャワシュトラーセに戻り、今度はSバーンに乗ります。
先を行く自転車を担ぐ女性、あっ電車が来たと
電車に向かってそれっと担ぎながら走っていきます。
担ぐだけでも大変ですが、走るとはすごい。か弱そうなのに・・・。
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Sバーンのフリードリヒシュトラーセ駅に来ました。
ここは街の中心部です。
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フリードリヒシュトラーセ駅前にあるのが、ここも無料施設の「涙の宮殿」です。
とても変わった名前ですが、壁があった時代にはここは国境検問所だったところです。
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トランクが並んでいます。一体何でしょう。
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東ベルリンを出て、西側の親類の家に行くといってここを通過して
実際は戻らずにトランク一つを持って脱出した人々の記録です。
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トランク一つ一つに説明文が付いています。
持って行った大事なものは、エミールと探偵の本、写真の子供の本でしょう。下の男性は大人になった今の姿でしょうか。8ミリカメラはお父さんがいれたものだった。
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もう一つのトランク。人形を持って脱出した子供の物語です。
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Uバーン6号線は南北に中心部を縦断していて、
壁があった時代には、フリードリヒシュトラーセ駅は東ベルリンの領域でした。
検問所を通過できるのは西側の人が主で、東の人はここから先には行けないので、
ここで涙の別れをしたというので、「涙の宮殿」なのです。

東の人も特別に許可を貰って、西を訪問できるわずかな機会が有りましたが、
その人が逃亡の疑いが無いかどうかは厳重にここでチェックされていたのです。
それをかいくぐってトランク一つで逃亡した。

ベルリンのため息が出るようなスポットの数々。
でも、記録を残し、それを見て知っておくことは大事なことなのでしょう。
市民が熱心に展示物を見ています。
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ウィキペディアに 幽霊駅 という興味深い記事が有ります。
Uバーン6号線は東の領域を走る間はこの駅にだけ停り、残りの通過駅は幽霊駅として、
誰も乗り降りできない状態で閉鎖されていました。

フリードリヒシュトラーセから北へ2駅先のノルト駅です。
ホテルには昼頃チェックインしてあったのですが、ここから5分ほどのところ。
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泊まったのは旧東ベルリンの住宅街の一角に有る ホテル&アパートメンツ ツァーレンホフ ベルリン ミッテ ここに3泊します。
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☆☆☆のホテルなので高級さは有りませんが、ホテル内はロシア風の金ぴかの内装で統一されていて、フロントで聞いたところロシアの皇帝の親類?がオーナーらしい。
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こんな小さい部屋ですが、ホテル代の高いベルリンにしては、立地もよくてコストパフォーマンスに優れたホテルでした。(壁の写真はロシア皇帝一族らしい)
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ダイニングルームです。朝食の内容は豊富でした。
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次回はベルリン2日目、旅行記は終盤ですが、もうしばらく続きます。

by ciao66 | 2015-08-13 06:27 | ドイツを巡る2015 | Comments(8)

35. ベルリンの東西をバスで横断し、カイザー・ヴィルヘルム記念教会へ。

ベルナウアー通りから一日乗車券を使ってトラムの10番線に乗りました。
トラムの路線はほとんどが旧東ベルリン地区ですが、
広い道路の中央に立派な駅が有るのはトラムとは思えない感じです。
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きっちり区分された道路と線路を見ても、まるで普通の鉄道の様です。
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フリードリヒスハイン公園そばの電停で下車して、歩きます。
ここは小山があって、ガラクタ山と呼ばれているところ。
第二次大戦の終わった後、街のがれきで出来た山。
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広い公園でしたし、山も眺めはあまりなくて、歩き疲れました。
連接の200番バスが来たので、これでベルリンの西側を目指します。
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アレキサンダープラッツ駅のバス停で、100番の2階建てバスを発見して乗り換え。
ここが始発だったので2階の最前列を確保できました♪
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バスはカール・リープクネヒト通りを西へ行きます。
トラムの走るここはまだ東ベルリン側です。先に見えるのはマリエン教会。
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マリエン教会の向こうは赤の市役所。色が赤レンガなので赤なのです。
東西分離の前も、東ベルリン時代も、再統合後の市庁舎もここです。
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シュパンダウアー通りでトラムは右へ曲がります。バスはまっすぐ進みます。
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ベルリン大聖の横を通り過ぎました。ここはホーエンツォレルン家の墓所です。
その所領はブランデンブルク辺境伯領から拡大してプロシャ王国になり、
1871年にドイツ帝国が成立すると皇帝(兼プロシャ王)になり、
半世紀後の1918年に第1次大戦で負けて、王家は終わりました。
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シュプレー川の中州の橋を渡ればベルリンの中心地、ウンターデンリンデン通で、
左端にクレーンが上がっているのはベルリン王宮を復元する工事です。
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古くて立派な橋です。(光線の具合が悪く苦肉の策です)
2階建てバスの最前列は、日差しが強くて暑かったのです。
このあとしばらく地下鉄工事中で、いい写真撮れず。
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バスは、ブランデンブルク門手前から曲がって、旧西ベルリンの領域に入りました。
ここからはティーアガルテンと呼ばれる、かつては王家の狩猟場だった広大な公園です。
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旧西ベルリンの繁華街、<選帝侯が通る堤>という意味のクーアフュルステンダム通りに来ました。通称クーダムです。湿地帯だったところをかさ上げした通りだったようです。
正面の教会はカイザー・ヴィルヘルム記念教会です。
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ここで下車して、見学します。
見上げると第二次大戦での爆撃の跡が生々しいドームです。
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中ほどは大きく穴が開いたまま。
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投下されたのは普通爆弾ですが、ランドマークの爆撃の廃墟という点では、
広島の原爆ドームをも連想させる建物でした。
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建物の違うファサードです。こちらも穴だらけ。
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ここは戦争の悲惨さを伝える記念碑(入場無料)で、今は教会ではありません。
フレスコ画は美しく残っています。ちょっとビザンティン風の雰囲気でしょうか。
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ドラゴン退治の天使はミカエルでしょうか。
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天使の抱えるプレートにヴィルヘルム1世、プロイセン王、ドイツ皇帝と有ります。
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爆撃跡が生々しいのですが、美しい教会(跡)でした。
破壊された教会の代わりに、現在はお隣にモダンな礼拝堂ができています。
青い光が不思議な効果の礼拝堂のステンドグラスです。
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カイザー・ヴィルヘルムというのはドイツ皇帝のヴィルヘルム1世。
1871年の普仏戦争でフランスに勝って、その勢いでドイツ統一をした皇帝です。
旅の初めころに見たライン川のニーダーヴァルトの記念碑を建てたのはこの人でした。
宰相はビスマルクの時代で当時は日の出の勢いのドイツ。

ヴィルヘルム1世が亡くなったのは1888年。8並びで覚えやすい年です。
(画家ゴッホがアルルで絵を描いていたのと同じ年)
その30年後の1918年、孫の時代に帝国が無くなるとは思っていなかったでしょう。

(帝国崩壊後)
第1次大戦の戦後処理でヴェルサイユ条約が結ばれ、その巨額賠償金でドイツは対応不能になり、世界恐慌とヒトラーの時代が来て、ヨーロッパ中が大変なことになります。

次回に続く

by ciao66 | 2015-08-11 22:44 | ドイツを巡る2015 | Comments(4)

34. ベルリンの壁@ベルナウアー通り(続き)

1963年、西ベルリンの市民が東側を覗いている様子です。
壁の向こう側の人に手を振っています。
壁の向こうは親子・兄弟・お友達・・・・。
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ベルリンの壁記録センターという博物館がベルナウアー通りにあって、
入場無料で市民や観光客に公開されています。
そこで見た写真の一部をご紹介しましょう。

1953年6月17日、壁ができるまだ前です。
市民の自由を求める運動は戦車によって弾圧されてしまいました。
東ベルリンの市民は自由を求めて西側に逃げ出しました。
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1961年8月13日、東ドイツは壁を作って東側と西側の自由な通行を遮断しました。
市民の脱出を止めたかったのです。
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ベルリンに出来た壁の地図です。
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ベルリンの壁記録センターの展望台からの眺めです。
一部分保存された壁がここから見ることができます。
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ベルナウアー通りの壁際を行く人。
昔の姿はこんな感じだった、と再現されたかのように感じます。
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ベルリンの壁記録センターの展示物です。
壁際でボール遊びをする子供たち。
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1966年、東側に教会が建っていました。
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1980年、壁の改修工事です。大きな壁に変えています。
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1985年、邪魔になった教会は東ドイツ政府により爆破されました。
監視ルートや、バリアのゾーンに教会があったのです。
西側から撮った写真です。
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1990年、ベルリンの壁は崩壊します。
その直後の写真でしょう。
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ここでビデオ放映されていたものを再現してみましょう。

少し戻って、1989年9月4日のライプツィヒでの自由を求める市民デモです。
1953年には戦車でつぶされましたが、この時は市民の勝利に終わります。
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自由を、自由を・・・。
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1989年10月9日、ライプツィヒの市民のデモは大規模なものになり、
ついに運動は東ドイツ中に波及します。
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それから1か月後の1989年11月9日
市民パワーに押されるようにして、東ドイツ政府の発表です。
政府の報道官 「市民の旅行は自由になります。」
聞いていた記者 「それはいつからですか。」 (・・・いい質問をしました。)
政府の報道官 「直ちにです。」  (・・・よく判らないまま適当に答えてしまった)
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ゲートを開けろ、ゲートを開けろ!
国境検問所の前です。テレビを見ていた市民が駆けつけます。
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戻ってくるからね。と警備員に言いながら国境を超える市民たち。
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ベルリンの壁が崩壊した瞬間です。
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壁の上に上がる市民。
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どんどん増えて、すっかりお祭り騒ぎに。
誰も壊れることはないと思っていた壁が壊れた!
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次の日、市民が壊して穴の開いたベルリンの壁です。
ちょっと危ないですね。
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ベルリンの壁記録センターから角度を変えてみると、壊された教会の跡が見えます。
丸い建物がそうです。
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教会があったことを記念する和解礼拝堂なのですが、
ここでボランティアをしているという日本の学生に出会いました。
(今回の旅行中、日本人と話したのはこの時だけ。)
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記念の像です。
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教会が建っていた場所を示す地面のラインです。
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ベルリンはその激動の歴史にかかわるスポットが多いし、
今を生きる我々にとっては興味深い所が多く、展示も行き届いているので
街全体が現代史の博物館のようなものだと思ったのです。
ベルリン編は全部で10回ほどの掲載になる予定です。

次回の「ベルリンを東から西へ100番バスで横断する。」に続く。
by ciao66 | 2015-08-10 08:47 | ドイツを巡る2015 | Comments(2)

33. ベルリンの壁@ベルナウアー通り

DBのストライキのせいでベルリンに着いたのはお昼ころ、
ホテルから歩ける住宅街の一角、ベルナウアー通りに来ました。
保存されたベルリンの壁のこちら側は旧東ベルリン、壁の向うは西ベルリンでした。
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棒の隙間を抜けて旧西ベルリン側に出ました。
昔は通れなかったと思うと不思議な感覚です。
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壁の旧東ベルリン側に戻りました。今では芝生の広がる「壁公園」ですが、
当時は緩衝地帯といって、塹壕があり、監視通路があり様々なバリアがありました。
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鉄の棒は壁の跡を示しています。
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壁の地図です。ぐるっとベルリンを取り囲んでいた。その一部です。
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当時の様子を伝える写真が立っています。
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それを見ている市民や観光客です。

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突然に「ベルリンの壁」が出来たのは1961年8月13日でした。
東ドイツ政府が作ったのですが、その時は「壁」はまだ鉄条網の状態でした。
子供がいつもの遊び場に行けないといっているようです。
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壁は次第に変化していきました。
1963年には、忍び返し付きの塀に変わり、逃亡を防止する監視塔まであります。
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それでも逃亡をする人は後を絶たなかったので、
1983年には何重にもバリアがある、幅の広い緩衝地帯が出来ていました。
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このラインは後ろの壁だったところ。
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監視ルートの跡。
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壁の一番上側は丸くなって人が越えられない構造に。
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壁のすぐ後ろ側には家が建ち並んでいました。
壁に向かって開いていた窓は逃亡防止のためふさがれ、その後
壁の緩衝地帯の拡大で家は取り壊されます。
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ビジターセンターという建物に入りました。当時の様子をビデオで流していて、
その中で登場した国境パトロール中の車。侵入者があったのか急行中、恐ろしいですね。
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ベルリン中にこんな壁がぐるっと。Ost(オスト)は東側のこと。
旧市街の中心部を意味するMitte(ミッテ)地区は東ベルリンでした。 
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ビジターセンターからの眺めです。
今は壁の有った通りにトラムが走ります。
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左端にベルナウアー通りという標識が見えます。
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ビジターセンターを終えて出てきました。
近づくと圧倒的な迫力の塀です。
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壁を超えようとした犠牲者の十字架でしょう。
壁の形からはまだ初期の頃と思われます。西側から撮ったのでしょう。
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壁を超えようとして犠牲になった人々の写真です。
この左右にずらっと並んでいました。
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1989年11月10日のベルリンの壁の崩壊でやっと自由に通行ができるようになった。
壁が出来たのが1961年なので、壁があった期間は28年間。壁の崩壊からすでに26年、
今は壁公園として市民や観光客が当時を振り返る場になっています。
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この青空と、美しい街並。そばに残る当時の記録の数々。とても不思議な感覚です。
壁があった当時、世界中の人々はそれが無くなるとは、想像が出来ないでいました。
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次回はこの続編です。
by ciao66 | 2015-08-09 09:34 | ドイツを巡る2015 | Comments(4)