ペンギンの足跡Ⅱ:関西うろうろ
2023-07-27T16:41:23+09:00
ciao66
旅行記を中心に記載します
Excite Blog
11. 阪急宝塚線とモノレールに乗って、JAL で仙台へ飛ぶ
http://ciao66.exblog.jp/33263444/
2023-07-27T15:40:00+09:00
2023-07-27T16:41:23+09:00
2023-07-20T18:59:09+09:00
ciao66
関西うろうろ
時間は少しさかのぼって、阪急電車の大阪梅田駅では、
屋内なのにプラットホームが濡れていまが、傘のしずくでしょうか。宝塚線の急行に乗って、最前列に陣取り 大阪梅田を出発しました。
半世紀以上変わらぬ光景?新淀川の長い鉄橋を渡ります。
次の停車駅十三(じゅうそう)で、三方向に線路が分かれます。
5年前からホームドアが有るようです。梅田から14分の乗車で空港最寄りの蛍池駅に到着。ここでモノレールに乗りかえです。空港までは一駅だけ。冒頭の写真です。胡座式モノレールなので、レールの上には何もなく、展望がいい!
まもなく到着というところ。ターミナルビルの連絡橋が見えます。仙台行のゲートは一番遠い!20番です。この日は予想以上にスムーズにいって、
モノレール到着後、保安検査の時間も入れて、搭乗ゲートに到着するまで20分間。
JL2213便の機体にはJ-AIRと有って、子会社が運航しています。
雷雨のせいで若干遅れています。
でも、乗り継ぎの電車には間に合うでしょう。
飛行機は小さい機種で、エンブラエル190でした。
滑走路までゴロゴロと移動して、飛び立ちました。あいにくの天気ですが下界はよく見えます。
翼の上に見える山は六甲山でしょう。
これからぐるっと左回りに旋回をして次第に向きを変えていきます。遠くに大阪湾が見えたあと、機体は南を向いて大阪の市街地が見えてきました。
180度以上回旋して、翼の上あたりに大阪空港が見えました。
その上は、池田、箕面、豊中、吹田あたりでしょう。雲の上に出ました。しばらくこのまま雲の上ですが、
仙台着陸前には、揺れながら雷雲の中を通過して・・・
仙台空港に着陸すると、やはり雨でした。ここで仙台空港アクセス線に乗り換え、仙台駅に戻ります。たった2日間ながら、充実した、気分転換もできた旅になりました。
コロナの経過報告です。
二人ともまだ薬を飲んでいますが、とりあえず順調に推移していて、
希望的観測では、週末には薬が要らなくなりそう?
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10. にょきにょきと伸びた大阪梅田を見る
http://ciao66.exblog.jp/33254410/
2023-07-21T19:22:00+09:00
2023-07-21T19:45:33+09:00
2023-07-17T12:36:52+09:00
ciao66
関西うろうろ
大阪梅田ツインタワーズ・サウスの12階からでした。にょきにょきと伸びた大阪梅田の、
お向かいはツインタワーズ・ノース(阪急)ですが、
下のほうだけは昔のビルのデザインで、まるで昭和の遺産のよう?
上のほうを見上げて、やっと全貌が解ります。
展望台のあるツインタワーズ・サウスは、
元の阪神デパートのビルが、建て替えられたもので、
散歩もできそうな、広い展望広場で、
眺めもなかなか良いところでした。
ついでに南側の展望です。
いつも間にかビルだらけになっていました。ツインタワーズ・サウスから降りて、大きな歩道橋でお向かいへ。
下のほうだけ見ていると昔と同じような光景ですね。歩道橋から、先ほどまでいたサウスタワーを見上げます。
下のほうは昔のビルの形がそのまま残っています!
今も9階までは阪神デパートですが、懐かしい昔の姿はこちらをどうぞ。昔のデパートの様子も!こちらは大阪駅のビルで、サウスゲートビル、こちらは大丸が入っています。
大阪駅に行ってみましょう。ブラタモリで放映していたのはこのあたりでしょうか?
ここは昔の大阪駅の高架下そのままの光景です。
通路に微妙な段差があちこちに!タモリさんの好きな「高低差」です。
もともと梅田は「田を埋めた」軟弱地であったと、
地下水くみ上げの影響で昭和の高度成長期に地盤沈下が起こり、建物は不同沈下した。
梅田の地名の由来は、大阪の人なら皆知っている?有名な話でしたが・・・。
地上ではまだ工事中で雑然としていましたが、番組ではこの「うめきた」の開発地で、
最新技術で軟弱な地盤に建築中の、地下20mのビル工事現場にタモリさんが潜入していました。
ブラタモリを見ていなかった方はこちらをどうぞ。(ポイントを上手く纏めています)。
次に来たのは大阪駅のノースゲートビルの大きな吹き抜けです。ここで、空の雲行きが怪しいなと思っていたら、突然降りだし、
蜘蛛の子を散らすように、だれもが走ります。土砂降り状態に!It's raining cats and dogs!
この旅初めての雨ですが、旅の最後でよかったのです。次回は最終回です。
阪急宝塚線とモノレールとJALで仙台へ ☆☆☆ 蛇足の?乗り物編
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9. 第一楼でランチしたあとは、阪神電車で・・・
http://ciao66.exblog.jp/33254295/
2023-07-19T15:31:00+09:00
2023-07-19T15:35:28+09:00
2023-07-17T12:21:24+09:00
ciao66
関西うろうろ
HKさんが、神戸ならここがお勧めという老舗です。
オフィスビルのような雰囲気の格調のある建物は、中華料理店らしくはないかも・・・。料理はいきなり大皿の盛り合わせから始まり・・・
イセエビ、ズワイガニ、クラゲ、アワビなど、
お味ももちろんいいのですが、これだけでもボリュームたっぷりです。
次に登場したのは、海ツバメの巣のメレンゲ仕立て。
どれが海ツバメなのか?透明なのがそうでした。続いて、エビのケチャップソース炒めが来て、北京料理といえば、北京ダックでしょう。
丸ごと来たら大変だと思ったら、
春巻みたいな形で登場しました。
普段あまり頂かないような食材が続いて、ふかひれの姿煮です。続いてアワビのオイスターソース煮込み。
今度はおなじみの春巻きです。他にも蒸し魚とか、牛の煮込みなど、
こちらは水餃子です。デザートは桃饅頭、だけではなくプリンとメロン、これでおしまい。 いいお店で、ゆっくりしながら、本格的な中華料理をいただけました。
でも、これ以上は食べられません。満腹で饅頭はお持ち帰りということに。
HKさんには、散歩と食事を合わせてほぼ6時間!お付き合いを頂き、
楽しくお話もできました。次は季節がいい時にして六甲山へ?
またお会いできることを楽しみにしています。どうも有難うございました。
さて、三宮からはJRと阪急・阪神どれでも大阪に出られます。
今回は何年振りかわからないくらいの、阪神電車で行くことに。
懐かしい地下ホームは昔の昭和の雰囲気を残していました。
やってきたのは山陽電車の車両でした。
相互乗り入れしていますから姫路から大阪梅田まで直通です。前に向いてゆっくり座っていけるのはいいですね!大阪梅田の地下ホームに到着です。
乗ってきた電車は、すでに姫路行きに表示が変わっています。
やはり阪神の車両ではないのが何となく違和感が・・・。横に並んでいた阪神の車両を撮りました。
やはり似合っているのはこの色と形の電車ですね!次の目的地は、ブラタモリに登場した、大阪梅田ツインタワーズ・サウスの展望台です。
元の阪神デパートのビルが、建て替えられた!
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8. 神戸の大邸宅だったところ、相楽園に行く
http://ciao66.exblog.jp/33243770/
2023-07-15T17:00:00+09:00
2023-07-15T17:00:30+09:00
2023-07-14T14:19:57+09:00
ciao66
関西うろうろ
サイロのような?塔が有りますが、これは何でしょう。こちらが入り口です。お城の門のようではありませんか!
個人の住宅だったところなのですが・・・Googleマップで見てみましょう。ずいぶん大きいですね。マップ計測では東西の長さ155m、
面積は約20,000㎡で、坪数では6,000坪=サッカーコート3個分です。
中に入ってみると、大きなソテツがあって、樹齢400年以上という楠もあります。冒頭の写真と同じ建物です。正面に3つ入り口が有るのは馬車の車庫で、
上の階は厩務員の宿舎、右手のほうは馬がいるところ(馬房)です。
下はレンガ造りで、上のほうは木造で、馬房は上まで吹き抜けの建物、なかなかいいデザインです。
この建物は旧小寺家厩舎といって、建築家河合浩蔵の設計で1910年に竣工したもので、
国の重要文化財の指定を受け、設計図もちゃんと保存されていると。
ところで、丸いタワーは何だったのでしょう?階段と望楼を兼ねたのかも?この建物を外から見ると・・・
長い塀がアクセントになって、大きな木に囲まれて、とてもいい雰囲気ですね。説明板が有りました。持ち主だった人物は、元神戸市長の小寺謙吉氏、
明治43年に出来た建物が、震災でもよく残ったものです。
厩舎としても、とても巨大ですし、美しいですが、民家に有った厩舎自体がとても珍しいものでしょう。
日露戦争の少しあと、明治43年(1910年)にまだ馬車が走っていた。
そのあと自動車の時代になりますが、そろそろ過渡期だったでしょう。
代わりに?小さい家が移築されていました。
旧ハッサム住宅、もとは北野町に有ったそうですが、
ペンキが剥げていてちょっと残念な姿に。(重要文化財)震災で家のなかに落下した煙突を展示してあります。
神戸の煙突は良く落ちる?筈はなく、震災を後世に伝えるためです。
次はお庭を見ましょう。ここは昔のお屋敷の様子が見られるところ。
現在見えている高い建物(兵庫県庁の)は当時に無かったでしょうが・・・。
ここで赤い矢印に注目です。何があるのでしょう?
大きな灯篭を見ながら、洞窟を抜けていくと、そこに見えたのは、先ほど池の向こうから見えていた、とても珍しいもので、
もとから屋敷に有ったものではないという。
そもそも、舟屋形とは何なのか?説明文によると
これは江戸時代の姫路藩主の川御座船で、内外はすべて漆塗りの豪華仕様になっており、
それを参勤交代で使っていた!そして、これが日本に残る唯一の川御座船!(重要文化財)船の側面に回ると、雨戸で覆われています。貴重な漆が劣化しないためでしょう。雨戸を外すと・・・その全貌が! 写真は月間神戸っ子のサイトからお借りしました。
飛び石を渡りながらHKさんと優雅なお庭を回遊します。
さすがに歩き疲れました。このあずまやで一休みします。
緑に囲まれて、いい風が吹いていたような・・・。 ところで、立派な門と厩舎と塀は残っていますが、
(これに対応するような)とても立派だったはずの、
母屋は第2次大戦で焼けてしまったようです。
どんな大きさで、どんな建物だったのか、ネット上では情報は見つけられず。
今となっては謎の家を、想像してみましょう。池の向こうに有ったはずの大邸宅を・・・。
場所はレストランや結婚式場のTHE SORAKUENという建物のあたりかと。
お屋敷の持ち主だった小寺家の人々はどんな人物だったのか・・・
大きな厩舎を作った元神戸市長小寺謙吉氏の先代は、小寺泰次郎氏でした。
彼は幕末生まれの三田藩士で、藩主の九鬼隆義や家老の白洲退蔵に見出されて藩政改革に参画し、
藩の作った貿易商社にかかわり、明治維新後は、神戸の不動産業と金融業で成功した人だったようです。
小寺謙吉氏の代になり、経済情勢の変動で事業に失敗して、土地は1941年に神戸市に売却されました。
一族の詳しい説明はこちら (ページ中ほど、「小寺家の人々」)
次回は、神戸といえば中華料理でしょう? 第一楼に行ってランチをします。
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7. 神戸で北野町の隠れスポット?を歩く その2
http://ciao66.exblog.jp/33236218/
2023-07-13T19:43:00+09:00
2023-07-13T20:56:42+09:00
2023-07-12T17:21:43+09:00
ciao66
関西うろうろ
朝ドラのモデルになった、フロインドリーブ氏は実際は別のところに住んでいた!
立派な風見鶏が有るところがドラマ向きです。 以前ここに来た記事はこちら 。
今回はお隣の異人館、「萌黄の館」に行きます。
ここは明治36にアメリカ総領事ハンター・シャープ氏の邸宅として建築され、
その名のとおり、萌黄色の外壁に包まれています。2階のベランダが特徴的で、
下から見上げてみます。萌黄色のポールがリズミカルですね。入ってみましょう。こちらは2階です。館の持ち主は昭和19年に神戸電鉄社長だった小林秀雄氏に移っており、
内装はその頃のものです。
こちらは子供部屋です。暖かい暖色系がいいですね。2階のベランダからは神戸の街が一望できます。
ちゃんとガラス張り!なので、サンルームみたいな感じでしょう。
屋根の形をした、萌黄色の窓のフレームがとてもアートですね!
小物にも注目しましょう。階段の手すりです。
梅のデザインのように見えて、学芸員?に聞けば、アラベスク模様ですと。
アラビア風と考えると、中東に在りそうな杏子やアーモンドの花かも?1階に下りてきて、ステンドグラスです。やっぱり花柄!と思ったのですが、
これだけは小林さんが嵌めたもので、家紋の橘だそうです!
建物の残りは全部が明治時代のまま、内装と家具は小林邸当時の昭和のもの!応接室は立派な暖炉ですね。出窓もおしゃれです。
ここは色彩感覚のとてもいい家でした。次にお庭へ行きましょう。斜めになったレンガの塊!これ何でしょう?
阪神・淡路大震災で、煙突が上から落ちてきて、ここに転がった!!
そのまま残しておくことで、当時の様子を伝えています。
お庭の大きなクスノキです。剪定も大変ですね!少し長いですが、学芸員解説のよく判る動画がありました。それによると・・・
・ここは明治の素晴らしい建物と昭和の神戸らしい上質な暮らしが解るところで、
家具は小林さんが置いて行ったものだと。
・ベランダは南方系様式の特徴で、下板目張の外壁は寒い北米の様式で、
それを一つの建物に併存させた建物は珍しいが、
建築家ハンセルによるもので、彼は神戸で多くの異人館を建てた。
・そして、動画によると小林家は今もここの持ち主だそうです!
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すぐそばに、もう一つの明治の遺構がありました。(後ろに萌黄の館が見えます)
ジャーデン・マセソン商会のレンガ造りの門柱です。
かつて港の近くの旧外国人居留地に建っていたものですが、
なぜかここに 移されて保存されていました。
門柱だけあっても?と思いますが、いやむしろ貴重なものなのでしょう。
坂本龍馬が長崎で鉄砲を輸入したグラバーはこの代理店でした。
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有名スポットはいったんおいて、
ここからはHKさんのご案内で、隠れた北野町のスポットへ!
神戸らしく、世界各国の教会がここには有りました。
異人館だけではない北野町です。
一番上が萌黄の館で、これから順に坂道を下って、左下方向へ行きます。
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まずは、真っ白な教会ですが、総大理石の寺院!これは何処のでしょうか?
とても珍しいもので、インドのジャイナ教です。バグワン マハビール スワミ ジェイン寺院 という長い名前のところ。
屋根がとても凝っていますね。金色のボールが乗っかっています。入り口のドアです。細かい装飾が素晴らしい!中に入ってみると、簡素な部屋で、誰もいません。
「不殺生・非暴力」を旨とする厳格な菜食主義で、
農業や畜産業は不殺生の戒を破るため、商人と金融業者が多くて、(それで神戸に有る!)
現在インドに約400万人の信者がいるそうです。
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その近くに有ったのが、関西ユダヤ教団のシナゴーグです。
ヘブライ語で書くと、 הקהילה היהודית של קנסאי קובה, יפן ドアは閉まっておりました。
ベルリンで見たユダヤ博物館とシナゴーグの記事はこちら。ヘブライ語の解説?もあります、。@@@@@@@@@@@@@@@@@@
教会巡りの最後がこちらの、1935 年に建てられた日本初のモスク。
ステンドグラスの窓と 2 つの尖塔が有ります。
ドアが開いていたので入ってみると、見学させてくれました。ミフラーブがあってくぼみがメッカの方向を示しています。
右手にある電光掲示板はお祈りの時間が書いてあるのだと。
その前にはお祈りの案内、アザーンが流れるそうです。
イスタンブールで聞いたのはとても音楽的でしたが、
神戸に流れるアザーン、どんな風なのか聞いてみたかった。
黄色く映っているのは光線の加減でしょう。イスタンブールでいろいろ行ったモスクのうち、イエニ・ジャーミーの記事です。
このとき礼拝にちょっとだけ参加した!
ほかにも珍しい教会があったようですが、このくらいにして次へ行きます。
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モスクと順序は逆でしたが、もう一つ見た異人館がシュウエケ邸でした。
萌黄の館の建築家 ハンセルの自邸として建設され、現在はシュウエケ邸として居住されている!
今も現役で建物に居住中というのはすごいですね。
一部分だけ特別公開するときも有るそうですが、普段は非公開で、中は見ることができませんでした。北野町周辺の街歩きはこれで終了、でもまだ行くところが有ります。
次回は相楽園という神戸の大邸宅の跡へ!
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6. 神戸で北野町の隠れスポット?を歩く その1
http://ciao66.exblog.jp/33228809/
2023-07-11T18:45:00+09:00
2023-07-11T20:25:19+09:00
2023-07-09T19:53:16+09:00
ciao66
関西うろうろ
時間は少し戻って朝8時過ぎ、三宮のメインストリート、フラワーロードです。
植栽がきれいで垢抜けしていますね。向こうに小さく見えるのは六甲山ですよ。三宮駅に近づきました。
JRは「三ノ宮駅」、阪急と阪神は「神戸三宮駅」ですが、
神戸市地下鉄は「三宮駅」みな少しづつ名前が違います。神戸市地下鉄で一駅先の新神戸駅へ行きますが、
谷上という駅名は、その次の駅ですが六甲山の向こう側です。
平日朝なので学生や通勤客でいっぱいで、混んでいた端っこは避けて、ちょっと向こう側へ。
朝8時半に新神戸駅で無事にHKさんと集合して、
坂道を下って「旧神戸ユニオン教会」に向かいます。
教会にしか見えませんが、今はここは教会ではないという!
どういうことでしょう?
神戸ユニオン教会は、明治5年にプロテスタント諸派が派を超えて設立され、
その後、昭和4年に外国人居留地内から移転して、今の建物が出来ました。
平成4年の阪神・淡路大震災のときに、教会建物は被災してしまったのですが、
そこを、同じく被災した、ドイツベーカリーの「フロインドリーブ」が買い取って改装し、
教会の外観を残したまま、ユニークな店舗になった・・・ということだったのです。
2階の礼拝堂だったところは・・・10メートルをこえる高い天井で、窓からは光が注ぐ、
ヴォーリズ建築の特徴を随所に残した荘厳な空間、だそうです。
でも水曜日は定休日でした。
こちらはネットでお借りした画像です。
いいですね~ここでカフェすると。ヴォーリズは教会建築で有名で、いろんなテレビの番組でよく見ますが、
近江兄弟社の創立者、キリスト教の伝道者、なおかつ建築家だった人です。
初代のフロインドリーブ氏は、NHKの朝ドラ『風見鶏』のモデルとして知られる人でした。
昭和52年ですが、見ていませんでした・・・。リンクでちょっとだけ見ることができます。
神戸ユニオン教会は、何処へ?・・・今では灘区長峰台へ移転したようです。
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このあと、地図の星マークを目指して、坂道を登りながら順に歩きます。
少し歩いて、神戸一宮神社に来ました。
一宮といえば、普通は旧国名ごとにあるナンバーワンの神社ですが、ここはそうではなく・・・
当地で有名な生田神社の「裔社」と呼ばれる、村の鎮守でした。
その「裔社」には1番から8番まであって、神戸八社めぐりによると、
一宮は北野村、二宮は生田村、三宮は神戸村( ~三ノ宮の駅名の由来!)、四宮は花隈村、
五宮は奥平野村、六宮は坂本村(今は八宮神社の社殿に合祀)、七宮は兵庫津北浜、八宮も坂本村。
緑あふれる境内にある社殿です。小さくとも、この一宮神社は、
雰囲気もある、歴史を感じるような神社でした。
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さて、3つ目にに来たのは路地の奥にある、小さな教会、神戸ハリストス正教会でした。
十字架が独特な形をしています。横棒が3本!そのうち一番下の1本は斜め.
HKさんも熱心に撮影中ですが、建物の全景が写せません!
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少し坂道を登って、次に来たのは、インターナショナルな神戸らしいところです。
有名な画家の大邸宅だったところですが、今はそれはもう無くなって、敷地は3分割されて、
山本通東公園と、インドクラブ神戸と、キリスト教会になっているという、
公園に有った小磯良平画伯元アトリエ跡という案内板です。どんな絵を描いた人でしょう。張り紙がちょっと歪んでいます。公園の向こうは、インド人の集まり、インドクラブ神戸です。
一番上の敷地は神戸バプテスト教会です。もとはピューリタン(清教徒)と呼ばれた、プロテスタント系のキリスト教会。@@@@@@@@@@@@
次に来たのは北野坂という、きれいな坂道です。
そこに有るのが・・・スターバックスコーヒーの神戸北野異人館店です。
とても雰囲気が有りますね。
今や隠れスポットではなく、有名なところでしょう。入ってみましょう。ちょうど歩き疲れました。阪神・淡路大震災の被害を受けて、取り壊される予定だった歴史的建造物が、その後再建されたという。
なんと、wikipediaによると、冒頭に登場したベーカリーの初代、フロインドリーブ氏がもともとの所有者!
登録有形文化財という、スターバックスでは多分ここだけ? ちょっとお得な気分でお茶しました。続きは有名な異人館「萌黄の家」に行き、そのあとは隠されたインターナショナルな神戸を堪能します。
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5. 兵庫津ミュージアムと三宮の居酒屋に行く
http://ciao66.exblog.jp/33224425/
2023-07-08T20:50:00+09:00
2023-07-08T20:50:51+09:00
2023-07-07T13:45:58+09:00
ciao66
関西うろうろ
メイン展示の「ひょうごはじまり館」に入ると、北前船のオブジェが出迎えてくれました。江戸時代は北前船の港でしたが、そもそも、そのずっと前は平清盛が福原港を開いたところです。
そして明治になる直前、まだ幕末のころですが、諸外国の圧力もあって兵庫津が開港場になりました。
床に大きな地図がありますが、当時は陸地に入り込んだ掘割のような?港だったようです。こちらは江戸時代の様子でしょう。帆掛け船の姿が見えます。北前船のオブジェがありました。本当はもっと大きかったことでしょうが・・・。
瀬戸内海を回って、日本海を行き、蝦夷地(=北海道)まで往復していました。
横に立っているのは商人の旦那でしょう。司馬遼太郎の『菜の花の沖』の主人公、高田屋嘉兵衛がこの港の有名人物で、
大旦那の北風荘右衛門も登場しますが、いまNHKで再放送中です。
仙台に帰ってから気づきましたが、兵庫津というのは「ひょうごのつ」と読むらしい。
さて、お城がここにあったとは全く認識していませんでした。
兵庫津は当時は尼崎藩の一部だったので、出城だったのでしょう。
「兵庫陣屋」と呼ばれ、奉行が置かれていた。
そして明治時代にはそこが兵庫県庁になった。兵庫津ミュージアムの「初代県庁館」には、それが復元されています。
門から入ってみましょう。江戸時代の陣屋をそのまま?使ったような建物です。洋風ではなく、日本家屋のままの明治初期のお役所です。畳敷きにイスとテーブル!ここが県知事の部屋でした。
初代の県知事はなんと・・・あの、伊藤博文が県知事をしていたとは!写真では刀を差した県知事!?ですが、
廃刀令は明治9年のことで、その前なので不都合なし、まだ二十代の若手でした。
兵庫県ができたわけですが、初めのその領域にはびっくりです。第1次兵庫県は、ばらばらの土地だった!
明治元年5月にはオレンジ色の部分がそうでした。
元の幕府直轄地がそのまま兵庫県になったせいで、飛び飛びに。
周りにはまだ「藩」が残っていました。明治4年の廃藩置県のあと、藩はなくなり、11月になって再編されたのがこちらの図です。
兵庫県は今の阪神間と神戸市の主要部だけ、あとは飾磨県、豊岡県、名東県(淡路島)で別々の県でした。
豊岡県には今の京都府の一部がくっついています。
今の兵庫県の領域になったのは明治9年のこと。
旧国名でいうと、摂津国の一部(残りは大阪府)、播磨国、但馬国、丹波国の一部(残りは京都府)、淡路国の5か国です。
あまり知られていない歴史には興味津々ですが、まだ有ります。
幕末に時間は戻って、慶応4年(1868年2月)・・・
新政府の初めての外交問題、「神戸事件」発生 ~ そんなの知りませんでした~。
神戸三宮神社前において備前藩兵が隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させ、
銃撃戦に発展し、居留地予定地を検分中だった、欧米諸国公使らになんと水平射撃を加えた!
(それは幸いあたりませんでしたが)
これは大事件!その6年前の薩摩藩の起こした生麦事件にそっくりですが、
生麦事件の後に起きた薩英戦争のようにならなくて良かったのです。
伊藤博文も諸外国との仲裁に尽力したようで、その縁もあって県知事になったのかもしれません。
最後は1874年に開通した東海道本線の終点、神戸駅付近の地図です。
当時はここが行き止まりの終着駅だった、と判る珍しい地図ですが、
兵庫津は左欄外で、現在の中心地は、東へ二駅先の三宮に移りました。
歴史好きには兵庫津ミュージアムは期待以上に面白いところでした。
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このあと、神戸市地下鉄の海岸線で移動して、三宮へやってきて、
浦島太郎みたい?と感じたのは、2年前に出来ていた、神戸三宮阪急ビルでした。
後ろは阪急の高架線路で、建物の下のほうは昔と同じ風景を再現したよう!
びゅーんと上に伸びて圧倒していますが、新しいビルが少ない神戸でここは目立っていました。
商業店舗とオフィスとホテルになっているそうで、阪急デパートはここではなく・・・・
駅前のランドマークだった神戸そごうは、令和元年に阪急デパートに変わっていました。
ニュースでは見たものの、もう忘れていて、見てびっくりというわけです。
この日の最終目的地は、居酒屋の 味工房さくら亭でした。
MKさんいわく、駅から歩いて5分もかかれば、いいお店でないと生き残れず、
ここはそういうお店なのだと。
入ってみると、きびきびと動くご主人?のいる、すっきりした内装のお店でした。突き出しです。お酒です。このほかにも珍しいお酒があって、あれこれ話が弾みながら、美味しく頂きました。
カツオのたたきも久しぶりでした。MKさん、一日中お付き合いいただいて、どうも有難うございました。とても楽しかったです。
記念にもう一枚撮ればよかったのですが、食べ物の写真ばかりで、それは有りません。
今度は仙台でお目にかかれるといいのですが、場所は再び神戸かも?
8時過ぎに解散して、市役所近くに昨年できたルミナスホテル三宮に到着。中央奥の高い建物です。
翌朝撮った、建物の玄関付近です。予想通りに新しくてきれいなホテルでした。泊ったお部屋です。狭くとも一人には快適なところでした。翌日の朝食会場から眺めたテラスです。
誰もいませんでしたが、気候が良ければそちらが快適でしょうね。
続きは、翌日の神戸散歩の巻です。
MKさんからバトンタッチした? 今度はHKさんのご案内で、
北野町界隈の知られざるスポットを半日歩きます。
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4. 海を眺める古墳は石張りで @ 五色塚古墳
http://ciao66.exblog.jp/33222310/
2023-07-06T15:11:00+09:00
2023-07-06T16:04:02+09:00
2023-07-06T09:16:04+09:00
ciao66
関西うろうろ
左端が霞ヶ丘駅です。住宅街の中をくねくねと、グーグルグーグルマップに従って7分ほど、まず見えてきたのは小塚古墳です。
ここはこんもりと丸い芝生で覆われたかわいい古墳です。
その隣にあるのが、本命の?五色塚古墳で、
下のほうは芝生ですが、上半分は石張りなのです。
前方後円墳だとわかるモニュメント &「ひれ付き朝顔形」という埴輪。
ここは復元整備後30年ほどたっていますが、第2次大戦中はなんと畑になっていたそうです。
本当は外周を一周するところですが、何しろ暑いのです。一直線に階段を上って頂上を目指します。いい感じで後円部が迫ってきて、わくわくします。この角度いいね、というところでパチリ。
石張りの古墳だとよく判るところです。前方部分に到着しました。MKさんが先のほうへ向かいます。
ここは全長194mを誇る兵庫県下最大の古墳です。明石海峡大橋がはるか彼方に見えて、広い前方部には埴輪が並んでいて、
よく見ると埴輪は「鰭」を重ねて、連結されています。
後円部に取り掛かります。この丸い曲線が何とも言えません。(冒頭の写真)
天に上る階段!とでもいえそうな?雰囲気ですね。後円部に到着しました。MKさんが一番乗りです。ずらっと並ぶ埴輪。周りは住宅地に囲まれて、東方には須磨の山が見えます。
反対側を望むと、これはいい眺めです♪
私はタイムスリップして、古代の豪族になったつもりで、
MKさんいわく、来世に住む場所はここがいい!と。
午後の日を浴びて海峡を眺める埴輪です。
とても気持ちのいい場所でした。
一説では、ここは海上交通と関わりの深い有力者の墓だったのではないかと。1週間前の天気予報では雨マークがあったのですが、
この日は日傘がいるお天気で、晴れ男は健在なのでした!
あっ私のことですよ。
今回の「おまけ」は昨年に行った、群馬県にある石の古墳八幡塚古墳の記事です。
続きはまだまだありますよ。暑いので次は屋内施設へ!
次回は兵庫津ミュージアムの巻です。
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3. 明石海峡大橋と孫文記念館を見る @ 舞子公園
http://ciao66.exblog.jp/33219139/
2023-07-04T17:22:00+09:00
2023-07-04T17:54:51+09:00
2023-07-03T20:00:49+09:00
ciao66
関西うろうろ
淡路島に向かってまっすぐ伸びて、全長約3900m。主塔間距離で世界最長のつり橋でしたが、昨年トルコの橋に32m差で抜かれたそうです。
開通したのは1998年ですから、平成10年、今から25年前でした。
でも、こうして橋の裏側を見る機会はそうないでしょう。
そばで見ると、橋の基礎になっているコンクリートの塊の存在感がすごいのです。
つり橋を引っ張るケーブルがここから伸びて、引っ張られる力に対抗しないといけない!
見えるところだけでも14万立米のコンクリートの塊です。
その下の見えない基礎もあって、それは地上の2倍以上の嵩のコンクリート。
公園内にある橋の科学館 で見たアンカレイジ(=ケーブル端を定着するブロック)の「模型」をみると、
コンクリートの塊と、ケーブルを引っ張る様子が解ります.
コンクリートの塊は横幅58m×長さ81m×高さ50m。
橋の主塔はほぼ東京タワーと同じ高さ!主塔の上から本州側を眺めてみると、こんな感じだそうです。
いっぺん行ってみたいものの、ちょっと怖いかもしれません。
これはWikipediaからお借りした画像です。
PlusMinus - photo taken by PlusMinus, CC 表示-継承 3.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=217011による
せっかくここまで来ましたので、舞子海上プロムナードという、橋の下にもぐる遊歩道に行ってみることに。
(橋脚の上ほどは怖くはなさそうですが)海上47mの丸木橋です。
落ちてもガラスの上でセーフでしょう。
MKさんはちょっと敬遠し、私は面白そうだと歩いてみました。舞子海上プロムナードから橋の下部を眺めます。
ここには淡路島と本州を結ぶ、
水道管、送電線、通信ケーブルのライフラインまでも通っているそうです。
MKさんと懐かしいお話などしながら、海上プロムナードのカフェで一休みしました。
そこで座っていて見つけた、さすが明石ですねという、タコ人形のお土産品です。
見るだけで買いはしなかったのですが!
書き忘れておりました。
地元の方はもちろんご存じですが、意外に知られていないのは・・・
明石海峡大橋の本州側の架橋地点は、明石市ではなく! 神戸市垂水区の舞子です。
橋のたもとが舞子公園になっています。
舞子海上プロムナードに行く前に寄ったのが、孫文記念館で、
これも舞子公園の中にあります。孫文ゆかりの建物ですが、孫文が1913(大正2)年3月14日に来神した際、
ここが神戸の中国人や政・財界有志が開いた歓迎の昼食会の会場になりました。
八角形の楼閣は「移情閣」という名前です。
ここは中国人実業家、呉錦堂の別荘で、もとは舞子の別のところにありました。
孫文は「中国革命の父」といわれ、初代中華民国臨時大総統ですが、
日本で唯一の孫文記念館が神戸にあるのは、
神戸潜伏中の彼をかくまった川崎重工業の松方幸次郎との縁もあってのことだそうです。
明石海峡と橋の眺めが素晴らしいところでした。おまけは、8年前に明石海峡大橋を渡った時の記事です。(後半が橋の場面)
続きは山陽電車で一駅、すぐ近くにある五色塚古墳へ!
海の見える石張りの古墳ですよ。
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2. 明石の天文台で子午線を探してみる。さていくつ見つかるか・・・
http://ciao66.exblog.jp/33212985/
2023-07-02T12:26:00+09:00
2023-07-02T12:45:51+09:00
2023-06-30T15:42:30+09:00
ciao66
関西うろうろ
いわく「時と宇宙の博物館」だそうです。
ここは、東経135度の子午線の真上に建つことで有名ですが、
時計の下にJ・S・T・Ⅿとあるのは、
Japan Standard Time Meridian(=日本標準時子午線)のこと。
展望台の上に上がってみましょう。
明石海峡を一望のいい眺めです。
カメラを右に振ると、淡路島が正面に見えて、
西のほうは明石市の市街地、明石駅方向です。とても素晴らしい展望でした♪さて館内に子午線のラインはあるでしょうか。
係の方にお聞きして、見つけたのがこれです。鏡のほうに135°Eと表示があります。ここでMKさんと記念にパチリ。
顔出しオッケーですよ、ということなので、ついでに私も。
どっちがどっち?・・・左がMKさんで、私は右です。
今まで135度って端数だね、と思っていたのですが、実はそうではありませんでした。
よく考えると・・・
地球一周360°で24時間ですから、360°÷24=15° 経度15度の違い=1時間の時差。
135°÷15°=9 ここはイギリスのグリニッジ標準時と、ちょうど9時間の時差になる地点。
135度は、意外に切りのいい数字だったのです!
180°から45°を引いて135° 360°×8分の3=135°
館内に有った地図です。赤いラインが子午線。水玉になって流れる水時計です。不思議だね、と思ったら・・・MKさんがさっと謎解きをして、
透明なのは油で、赤いのは水、それで赤い水玉になっているのだと。
係りの方に聞いてみると、ピンポーン!・・・MKさんえらい!屋外にも子午線がありました。ラインに沿って手を広げてみます。
何の意味があったのか・・・MKさんが立っているのは、「漏刻」の横です。
これも水時計で、天智天皇が作ったもの・・・のレプリカです。水槽が4段になっているのは理由があって、
上の段は水槽の水量の変化で水圧が変わり、流量も変わるので、結果的に時間が早かったり遅かったり、
ところが
順に流れて行って、最後の段になると、それが緩和されて一定の時間の流れになるのだと、
係りの方のご説明をお聞きしました。よく考えられていますね。
詳しい理屈はよくわかりませんが、こちらに仕組みの説明があります。昔の人は偉かった!
古代から、時や暦を正確に測ることが、権威や権力の源にもなっていました。
最後に写した子午線は、山陽電車人丸前駅のプラットホームです。
ラインがピシッと一致していますね!明石も仙台も日本標準時なので、全く同じ時刻です。
位置的には仙台は東経約140°で、明石とは5°の違いがあります。
経度差による本来の時差はどうなのでしょう? 5÷15=1/3時間なので、
明石と仙台の「真太陽時」に基づく時差は、20分と計算されます。
おまけは、子午線0度のグリニッジ天文台に行った 11年前の記事 です。
そこは海事都市・河港都市としての歴史も有る美しいところでした。
カラフルな山陽電車で、次は舞子公園へ。
山陽電車はシーサイドエキスプレスなのだそうです!
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1. 明石焼を食べ、明石城を見る 関西うろうろ2023
http://ciao66.exblog.jp/33212721/
2023-06-30T16:04:00+09:00
2023-06-30T17:31:38+09:00
2023-06-30T14:24:44+09:00
ciao66
関西うろうろ
JALの格安セールで片道7230円という航空券を入手して、
仙台空港から朝7時35分に飛び立ち、1時間20分予定のフライトで大阪空港には8時50分着、
モノレールで一駅の蛍丘に出て、
蛍丘から神戸へは阪急宝塚線で十三乗り換え、神戸線特急で三宮を通り越して新開地で下車。
目的地は明石です。
同じホームで、姫路行き山陽電車の特急に乗り換え、10時30分頃に山陽明石駅に到着しました。
検索では三宮でJRに乗り換えたほうが僅かに早かったのですが、JRのほうは遅延が発生していましたので、
むしろこのルートのほうがスムーズだったでしょう。
今まで乗ったことがない山陽電車に乗るというのも、面白かったのです。明石駅で友人のMKさんと待ち合わせ、まずは魚の棚商店街へ行きます。
時々タコが飛び出して歩いているという噂で、それを期待をしたのですが・・・
この日は残念ながらタコは歩いてはいませんでした。ぶらぶら歩いた後、お昼にはまだ早いのですが、せっかくですから明石焼を食べることに。
大阪では「たこ焼き」、明石では「明石焼き」の筈ですが、お店には「玉子焼き」と書いてあります。
ややこしいですね!老舗の古い店は「玉子焼き」なのだとか。
ここが良さそうと、たこ磯というお店に入ることに・・・お味は良かったです♪ うろ覚えながら15個で800円くらいでした。
たこ焼きと明石焼の何が違うのか・・・調べると、たこ焼きは小麦粉を、明石焼きは卵を多く使う!
卵をたっぷり使う明石焼きは、とてもやわらかく、たこ焼きと同じように焼いても半球形になる。
食べてみてなるほどその通りでした!さて小腹を満たしたところで、明石城に向かいます。
6月も末となれば暑いのです。この日28℃くらいだったでしょうか。
関西にしてはまだましだったかもしれませんが。
姫路城、明石城、尼崎城と有りますが、神戸にはお城はありません。
明石城は江戸時代になって作られた、譜代大名のお城です。
初めから天守閣は作られずに、二つの櫓がその代わりだったと。
下から櫓を見上げます。高い石垣を登っても、期間限定公開のため櫓の中には入れません。
さて上まで行くかどうか・・・
徒然草にあった、石清水八幡宮の手前で引き返したという、仁和寺の法師の話を思い出しましたが、
この後の行程もありまして・・・
MKさんと相談の上、体力温存を優先することにして、城内のお休みどころへ。
続きは明石天文台の巻。子午線がどこにあるか探します。
今回は一人旅は始めと終わりだけで、
このあとは、舞子公園、五色塚古墳、博物館めぐりをして、
三宮の居酒屋まで、一日中ずっとMKさんとめぐります。
次の日は、組み合わせが変わって、
HKさんと一緒に神戸の街をめぐります。
さて、全部で何話になることやら・・・
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2019早春の京都と大津をめぐる (6) 石山寺に行き、山科で散歩する
http://ciao66.exblog.jp/30459220/
2019-03-17T16:10:00+09:00
2019-03-17T16:10:34+09:00
2019-03-10T19:32:07+09:00
ciao66
関西うろうろ
岩がごつごつ、名前の通り石山の上にあるお寺です。ここが本堂です。立派な屋根は蓮如堂で、本堂からの眺めです。本堂には執筆をしたという「源氏の間」があり、紫式部の人形が鎮座していて、右手の箱のAIロボット風の紫式部の人形「MURASAKI」が、源氏物語の書き出し部分を現代語バージョンでお話しておりました!多宝塔です。そこから山を登ると瀬田川が見えてきましたが、
この川は琵琶湖から流れ出し、中流で宇治川になり、下流では淀川になります。山の上にある紫式部像です。山の上の梅林です。三つの梅林のうち、第一梅林が一番きれいに咲いておりました。ランチのお食事処は門前の 志じみ釜めし「湖舟」でした。
源氏物語絵巻のレプリカを見ながら頂きます。近江のおばんざい付きで、評判通りのいいお味♪帰りは門前からバスでJR石山駅に出て、京都駅に向かいますが、
時間がまだあったので、私だけは途中の山科で下車してちょっとお散歩します。
琵琶湖疏水の山科を流れる様子を見ようと思ったのです。
山の向こうの琵琶湖からトンネルで流れてきます。橋の上を流れているのは琵琶湖疏水、下を流れて疎水と直行するのは別の川、
珍しい水路の立体交差箇所です。梅が咲いておりました。橋を渡って向こう岸を進むと・・・向こうが琵琶湖方向で、手前が京都方向ですが、
新旧二つのルートが見えるところに来ました。
現在地の案内板です。新旧の疎水ルートと水路の立体交差が判りますでしょうか。右手の山裾を流れてくるのが旧ルート、左手からトンネルで流れてくるのが新ルート。山裾を流れていた旧ルートは今は公園になって埋められています。もっと先まで行くと面白そうですが、先に見えているあたりから下に降りて山科駅に戻ります。緩やかな坂を下って街中に来たところで振り返ります。ここは旧東海道だったところです。まっすぐ行けば山科駅で、京都の方向です。散歩の出発点、山科駅に戻りましたが、結構賑やかで、駅前にはビルも多くてJRと地下鉄、京阪の三つの駅があるという所。
京都駅に出て妻と合流し、新幹線を乗り継いで4時間ほどで仙台に戻りました。]]>
2019早春の京都と大津をめぐる (5) 京阪京津線に乗り、名勝三井寺へ
http://ciao66.exblog.jp/30458345/
2019-03-15T21:38:00+09:00
2019-03-15T21:38:07+09:00
2019-03-10T09:22:04+09:00
ciao66
関西うろうろ
今回の旅ではこれに乗るのも一つの目的でした。沿線にある三井寺の百体観世音で撮った一枚です。この日のスタートは地下鉄の京都市役所前駅から乗ります。
京阪電鉄京津線に相互乗り入れする4両連結、
クロスシートで走る地下鉄は珍しいものでしょう。京都から山科盆地を通り、逢坂山の峠を越して、大津市内の上栄町駅で下車しました。下車してからのルートです。三橋節子美術館は妻のリクエストで、
三井寺は私が行きたかった所、ぐるっと回ります。少し坂道を上り、琵琶湖を見下ろせるところに来ました。高観音近松寺というところ。
ここから階段を降りたところ、長等公園にある三橋節子美術館が最初の目的地です。
35歳で夭折した日本画家ですが、鎖骨腫瘍の右腕切断のあと、画筆を左手に取って奇跡的な再起をはかり、逝去までの2年間に左手で描き残した作品が残されています。
「花折峠」「三井の晩鐘」など近江琵琶湖に伝わる民話を描いた作品が印象的でした。
作品についてはこちらに詳しく載っています。
そのすぐそばにある慶祚大阿闍梨入定窟です。長等神社を通って、三井寺にやってきました。お寺で一番高い位置にある観音堂です。ここからも琵琶湖の眺めがいい感じです。雰囲気のある鐘楼です。三井の晩鐘とはまた別のものでした。冒頭写真の百体観世音ですが、仏像が並ぶ様子が迫力満点でした。眺めのいい階段を下って・・・伏見城から移されたという三重塔を見て、金堂にやってきました。桃山時代の建物です。なかなか立派なお寺でした。また、この辺りは有名な歴史の舞台でもありました。
天智天皇の時代に中大兄皇子は都を大津へ移し(667年)、天智天皇の崩御後、大友皇子が近江朝廷の首班となりましたが、大海人皇子の起こした壬申の乱(672年)によって、大友皇子は自殺に追い込まれ、そして大津宮は僅か5年で廃都となりました。
こちらが有名な三井の晩鐘で、画家三橋節子の絵にも登場していた鐘です。
三井寺から降りてきて、すぐそばにある琵琶湖疏水に来ましたが、ここに来るのも目的の一つでした。
疎水は琵琶湖から山科を通り京都まで繋がっていて、
京都では南禅寺付近のインクラインや哲学の道に繋がっています。大きな水門が有りますが、疎水沿いに琵琶湖方向へ行くと、京阪電鉄石山坂本線の三井寺駅になります。一駅だけ乗車して、びわ湖浜大津駅付近に来ました。この付近だけは電車が道路の上を走っているのが面白い♪
(後方を振り返っています。)びわ湖浜大津駅で降りて撮ったのがこれ。
斜め左方向は京都、右手は三井寺や坂本方面、左手前は石山寺方面です。琵琶湖のほうにペデストリアンデッキが伸びていました。また電車に乗り終点の石山寺駅に着きました。次回は京都・大津編の最終回となり、石山寺と山科散歩の巻です。
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2019早春の京都と大津をめぐる (4) 京都東山の山頂、将軍塚に登る。
http://ciao66.exblog.jp/30448407/
2019-03-12T15:47:00+09:00
2019-03-12T17:53:31+09:00
2019-03-06T09:21:42+09:00
ciao66
関西うろうろ
突き当りの門前まで来ると、若い外国人女性に出会ったのです。あれこれ片言の英語でお話をしていて、私が東山の山頂まで行くと言ったところ、自分も行きたいというので、それではと、二人で行くことに。
国内旅行なのに、まるで外国旅行のような感じになってきました。
山裾をもう少し北のほうへ回って、将軍塚の石柱を見つけ、登山口を発見しました。
ここの入り口が少し判りにくいのですが、これが見つかれば大丈夫でしょう。付近はなかなかいい感じのところで、同行者も景色が気に入った様子です。少し上ると苔むした屋根が見えてきます。さらに登ると円山聖天堂(歓喜天堂)。同行者の顔は雲で隠しましたが、美しいベトナム女性で、アメリカに留学中だと。竹林の脇を登り、だいぶ登ってきました。眼下に京都の街並みが見えます。さらに山頂を目指します。夕方で少し暗くなってきた山中ですが、まだしばらく大丈夫でしょう。山頂の方向とルートを確認しながら登ってきました。山頂近く将軍塚にある青蓮院の三門です。こちらには入場せず、東山山頂公園へ。東山山頂公園の展望台から望む夕暮れの景色です。京都の街中が一望でした。東山の山頂まで往復にかかった時間は1時間ほど。
ウメの咲く円山公園に無事に戻ってきました。
片言の英語で話をしながらの楽しい山歩きは終わり、同行者とはここでお別れです。地下鉄東山駅から京都市役所前に出て、ホテルオークラ京都に戻り、
すぐそばの町家を改造した中華料理店一之舟入で妻と夕飯です。美味しくいただきました。デザートもアート雰囲で楽しめました。続きは3日目となり、大津に行きます。]]>
2019早春の京都と大津をめぐる (3) 大徳寺本坊と建仁寺両足院の巻
http://ciao66.exblog.jp/30448393/
2019-03-10T16:46:00+09:00
2019-03-10T16:46:12+09:00
2019-03-06T09:12:27+09:00
ciao66
関西うろうろ
いつもは非公開の本坊が今回は特別公開されていました。これを撮った後に、「写真はお庭も含めて全部部禁止です」と・・・。鹿野探幽の障壁画「山水図」の写真はもちろん撮れませんが、絵も年月とともにぼやけてしまった感じで、周りが暗くて、良さがよく分かりませんでした。
立派な方丈は国宝で、なるほどと、その外観だけは撮りました。大徳寺で良かったところは実は他に有りまして、それは境内にある食事処、泉仙です。
ここは寺院の境内だけにアプローチがなかなか風流なのです。この木戸を潜って・・さらに路地を行きます。この建物です。お料理はこんな感じで、僧侶が托鉢のときに持ち歩く鉢を使った、鉄鉢料理というもの。
お味も上品で期待以上になかなか良かったのです。バスは市内中心部に戻ってきて祇園の一角で止まり、
下車して茶屋街を抜けて、建仁寺に向かっています。建仁寺両足院のお庭の写真は撮影可能でした。残念ながら障壁画は撮れませんが、良かったのは道釈画家 七類堂天谿(しちるいどうてんけい)の禅の世界を視覚的に表したという、「方丈襖絵」で、平成26年の作という出来たばかりの絵ですが、ほのぼのするような雰囲気の絵もあり、迫力ある龍の絵もあり、後世に残るような素晴らしいものでした。お庭の続きです。ここでのんびりお茶でも飲めたら良かったのですが・・・。
ここは開山・栄西禅師が、中国から茶種を持ち帰って栽培を奨励し、喫茶の法を普及されたというお寺だったのです。バスで立ち寄るところはここで最後、あとは京都駅に戻っても仕方がないので、バスガイドさんに言ってツアーから離脱して、午後4時頃、妻はここからホテルに戻り、私は夕食まで一人旅になります。
四条通を八坂神社方向に歩いて、見つけたのが商店のずらっと並んだ中に有るこのお寺でした。八坂神社に到着しました。でも行きたいところはもう少し先なのです。次回は山登りの巻。東山山頂へ!
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