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京都の秋(9)蛤御門の弾痕と公家屋敷跡

2007年12月6日(木)
朝8時過ぎ。ホテルからタクシーで5分ほどで着きました。
幕末の歴史で登場する蛤御門です。
場所は京都御所のすぐそば。
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 ここは長州藩が薩摩・会津の連合軍に叩かれた場所です。1864年8月の蛤御門の変。
その後、幕府が行う長州征伐が有り、さらに情勢が変わって今度は薩摩も反幕府となり、1866年1月の薩摩・長州の同盟となります。
 長州は、蛤御門の変を因縁に思って薩摩を憎んでいました。
その因縁の二者を結びつけたのが坂本龍馬。
武器の商売で。
・・・・武器や軍艦などの兵器を薩摩藩名義で調達して長州へ流すなどの斡旋を龍馬の亀山社中が行いました。
 1866年6月の第2次長州征伐のときは薩長同盟という情勢の大変化で薩摩は出兵せず、幕府方の負け。結局これが2年後の明治維新に繋がります。
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蛤御門の変の「弾痕」。
「ココ」というマークは有りませんでした。なにしろ上品な場所ですから・・・
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京都御所の塀です。
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建礼門。予約していませんので残念ながら御所の中には入れません。
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京都御苑は公家屋敷跡地だったのです。もう一つ下の図面と較べるとよく判ります。
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 幕末の頃、京都御所の周りに200軒もの公家屋敷が建ち並んでいました。
明治なって公家屋敷跡が荒廃して、その後公園として整備されたのが今の京都御苑。
御所の周りは当時は全然違う状態だったということですね。
この案内板ではじめて知りました。
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大銀杏の脇を通って南に下ります。
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旧九条邸。
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右手は閑院宮邸跡。
ちょっと昔の公家屋敷町の雰囲気のある通りですね。
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朝の30分ほどの御苑散歩でした。
この後、丸太町から地下鉄に乗り、烏丸御池駅で妻と合流、
京都駅から新幹線で名古屋へ寄り道します。
(次回名古屋編に続く)
by ciao66 | 2007-12-19 19:05 | 関西うろうろ
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