2007年12月4日(火)
静かで人の少ない疎水の散歩のあと、観光客でとっても賑わう南禅寺に着きました。午後3時ころ。
京都の禅寺の中でも別格、「五山之上」という最高の地位のお寺です。 そもそも禅寺になる前は亀山上皇の離宮だったという歴史で、国宝の大方丈は御所に有った清涼殿を移築したものだそうです。
そんな南禅寺と石川五右衛門って・・・?
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小堀遠州の作「虎の子渡しの庭」
名残の紅葉でした。
三門(重文)は藤堂高虎が大坂夏の陣で戦死した臣下の菩提を弔うため寄進したと言われています。
・・・・三門には登れます。上からの眺めは「絶景かな」です。
「絶景かな」は釜茹でになった盗賊、石川五右衛門がここで言ったせりふです。・・・・
歌舞伎『金門五山桐』(楼門五三桐)の「山門」の場で「絶景かな、絶景かな、春の眺めは値千金とは小せえ、ちいせえ」と煙管片手に見得を切ります。
山門は京都南禅寺の山門という設定。ただし、実際には南禅寺の山門は五右衛門の死後の1628年建築。・・・・・(by Wikipedia)
三門を出たところ、道路は観光客だらけでちょっとうんざりです。3時30分頃。
そこで、
調べておいた「人は少なく、車は通れなくてとっても静か」、という「裏技の散歩道part2」 を通って帰ります。地図は
ここ。
この水路は疎水の分流なのです。下ると疎水記念館のところに出ます。
写真左手の生垣の中は野村美術館と野村碧雲荘。碧雲荘は野村證券など金融財閥を一代にして築き上げた2代目野村徳七の別邸であった・・・さすがにいい場所に有りますね。
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おまけは六角堂です。泊まったホテルからすぐそば。
名前の通り六角形の珍しい形でした。
夕方でピンボケにつき小型画像です。
第2日目はよく歩きました。さて、次の日は何処へ行ったのでしょうか。
まったく予定になかった奈良へ行ったのです。(次回に続く)