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京都の秋(6)琵琶湖疎水とインクラインを歩く

2007年12月4日(火)
 嵯峨野歩きのあとは、JR嵯峨野線→地下鉄東西線で東山へ。
妻は上村松園の日本画を見るために京都市美術館に行きます、私はその間、別行動で琵琶湖疏水記念館とインクラインに行きます。
 写真背景は岡崎動物園、疎水の支流の出口が見えます。
ここは一般的な観光地では有りませんが、なかなか興味深いスポットでした。
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まずはインクラインからです。
線路が通っています。複線ですから、通るのは中央の2本では有りません。幅がうんと広い。
今は使っていません。
台車に船を載せて斜面を昇り降りさせてたわけです。地図はここ。
時期は明治初期。水運に使ったわけです。琵琶湖から京都の間を。
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明治の産業遺産です。
インクラインで降りた船は一枚目の写真の水路に出て伏見から大阪に繋がっていました。
逆にインクラインで山に昇り、疎水の水路を通って琵琶湖に行く船も有った訳です。
インクラインの続きはMore↓をクリック。



インクラインの途中に台車が有りました。この上に船を載せていたわけです。
船を載せた台車が行き来する姿をちょっと想像してみました。
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線路を跨ぐ見学者。画面向こうが市内・岡崎方向(降り)、手前が琵琶湖方向(昇り)。
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台車から下って疏水記念館の前です。船を台車から下ろす場所はこのあたり。
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疏水記念館のレリーフです。人力で造ったようで大変だったでしょう。
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琵琶湖疏水は水運・発電・水道と利用は多岐にわたっていました。
明治維新後、東京に都が移ってしまい、一旦寂れそうになった京都の起死回生の原動力になったのが琵琶湖疏水です。
 当時日本初の電気鉄道が出来、いまエクセレントカンパニーと言われる、京セラ・村田製作所・島津製作所などの多数の京都のハイテク企業群が集積している源となった訳です。
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疎水とインクラインの地図です。
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発電機と岡崎公園。
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京都市立美術館で妻と集合し、昼食後、再度別行動となり・・・
妻はホテルで休憩、私は京都疎水の続きと南禅寺へ向います。

写真は美術館の扉です。
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写真は岡崎公園から下流の地下鉄東山駅へ向う途中の水路です。さらに下れば白川・祇園を経て伏見へ繋がります。
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再び一人旅となり、琵琶湖疎水にまた戻ってきました。
地下鉄東西線の蹴上駅すぐそばの「ねじりまんぽ」のトンネルです。地図は
ここ。この上をインクラインが通っています。
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トンネルを潜って右手を上がりインクラインに出ました。
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案内看板です。クリックして拡大して見てください。
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インクラインについてちょっと調べてみました。
琵琶湖と京都の標高差は約50m。
 琵琶湖から船は水流とともに下がってきて、「南禅寺船溜まり」から36mの標高差をインクラインで船を台車に載せて一気に下る。下ったところが「蹴上船溜まり」。
 上下させる方法は、ケーブルカーと同じ原理。ワイヤーロープで引っ張る。インクラインの通過時間は10分から15分くらい。動力源は水力発電で賄った。
 明治24年から大正初期まで盛んに利用された。
 ところで、疑問は琵琶湖方向に登る時です。インクラインの箇所はワイヤーで引っ張って貰えばいいのですが、水路部分を遡るのはどのようにしたのでしょう?動力が人力の竿では水流の速さしだいではちょっと困難かと思われます。淀川の三十石船では土手から綱で船を引っ張ったようですが・・・明治だから、もうエンジン付き船だった?

もう少しインクラインの上の方に出ると、船の乗った台車が有りました。
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インクライン最上部の「南禅寺船溜まり」です。トンネルの向こうは山科・琵琶湖方向です。
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疎水の水は南禅寺→哲学の道脇の水路と繋がっています。
先ほどの案内看板の所に戻り、発電用の水路わきを通って疎水沿いの散歩道に出ます。
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この部分は(水運ではなく)上水道の為の水路です。
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疎水沿いに真っ直ぐ行くと南禅寺の裏手鐘楼のあたりに出ます。南禅寺へ行く「裏技」の散歩道です。地図はここ。
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南禅寺の鐘楼のあたりに来ました。写真向こうは「水路閣」の上部です。ここは歩けません。
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下に下りてきました。南禅寺中央を縦断する「水路閣」です。
水道橋ですね。ローマやイスタンブールでも見ました。
和風のお寺に不思議にマッチしています。
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(次回南禅寺編に続く。)
by ciao66 | 2007-12-12 20:10 | 関西うろうろ | Comments(4)
Commented by はなみずき at 2007-12-13 18:33 x
とても珍しい、産業遺産をみせていただきました。
知らない事ばかりです。
う~ん、私も奥様と同じコースを選ぶかもしれません。
Commented by ciao66 at 2007-12-13 20:20
いろいろ調べると興味深いものですから(笑)。
疑問だった、どうやって船が流れを遡るかですが・・・・追加で調べました。
当時の一般的事情としては、やはり人力で船の横の方から綱で引っ張っていたようです。
 次の記事は有名観光地です(笑)。
Commented by kk at 2011-08-22 08:08 x
疎水記念館の文字に誘われて訪問いたしました。素晴らしいところのようで一度生きたいと思っていたところですが、きれいな写真見させていただきありがとうございました。足跡残させて頂きます。 旧八百津発電所資料館管理人
Commented by ciao66 at 2011-08-22 19:30
kk様、昔の記事にご訪問有難うございます。
疎水など水のある風景は和みますし、重なった歴史が興味深くて、京都は何度行っても飽きない所です。
㏍様の旧八百津発電所のサイト拝見しましたよ。こちらの記事もどうぞhttp://ciao66.exblog.jp/4545192/ 三居沢発電所 (日本初の水力発電所!)
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