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「封人の家」と堺田分水嶺

2007年10月28日(日)の続きです。
 鳴子から10kmほど歩いて目的地、堺田の「封人の家」(ほうじんのいえ)に着きました。午後1時10分。
 もうここは山形県の領域で、「封人の家」とは国境を守る役人の家のことです。300年以上前の建物。
そして、ここは松尾芭蕉が宿泊し一句を詠んだところです。
 
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「大山を登って日すでに暮れければ、封人の家を見かけて宿りを求む。三日風雪荒れてよしなき山中に逗留す。」(・・・・「おくの細道」)
  芭蕉は梅雨時の大雨で2泊3日この家に滞在したのです。
 旅の続きはMore↓をクリック。



 
蚤虱 馬の尿する 枕もと

 俳句を詠んだ場所を良く見てみましょう。
厩は母屋の中にあります。ここは馬の産地で、馬を大事にしていたのでしょう。
 芭蕉は同じ屋根の下に馬が居るのが珍しかったかも知れません。
写真の馬は模型(笑)。
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芭蕉の泊まったのは「中座敷」
馬は土間を隔てて、芭蕉から見えていたでしょう。
「中座敷」から見た厩です。

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鉄瓶と囲炉裏。
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座敷の天井。
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スタンプ。
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間取り図。(座敷と厩の位置関係です。)
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裏手に廻ると、屋根に苔が生えていました。
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 さて蚤虱馬の尿する枕もと・・・の句です。
現場に立ってみるといろいろ想像が出来ます。
芭蕉にとって、旅では蚤・虱はいつものこと、らしい。
 寝ている所に凄い音がしたのでしょう。音が大きいので枕元でしていると思ったわけです。
困難な旅を冗談にしてさらっと笑い飛ばしたのかもしれません。

 堺田駅を1時45分の列車を逃すと、次はなんと2時間後!というわけでちょっと急いですぐ近くの次の目的地、「堺田分水嶺」に向います。
 この流れが写真の向こう側で太平洋と日本海に分かれるというわけなのですが・・・どうなっているのか興味深々です。
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普通の用水路みたいなのですが・・・・
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来ました。分水嶺に!
写真右手が上流。上の方が日本海へ。左下は太平洋へ

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真上から見ると・・・
流れが左右に分かれているのが判ります。
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 不思議な感じがします。
右・左ほんの気まぐれで水が分かれて何百kmも離れていくのですから。
 そして、ここは山の頂上でも峠でもなく、何の変哲も無い微妙な高低差の平坦地です。
でも、ここが太平洋と日本海の分水嶺なのです。

上流に向って逆方向から写す。
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綺麗な流れで魚がいっぱいいました。
 地元の方に聞きましたら、用水路は最近整備されてやや人工的な感じもしますが、流れそのものは昔からこの場所に有って、ここがずっと前から分水嶺だったそうです。
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解説版です。分水嶺はJR堺田駅のまさに駅前。
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 太平洋側に流れた水は、大谷川(すぐそばの県境の川です)→江合川→旧北上川の合計116kmで石巻で太平洋に。
 日本海側に流れた水は、下流で最上川につながり102kmの長さで最後は酒田に出ます。

 当時芭蕉は堺田に宿泊のあと、尾花沢を経て山寺へ向いますが、私は列車の旅で鳴子温泉に戻ります。
堺田駅1時45分発の列車に乗車。
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駅票は手作りでした。
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次回は列車から見えた鳴子峡の紅葉パノラマと温泉編です。
by ciao66 | 2007-11-01 20:30 | 東北あちこち | Comments(2)
Commented by はなみずき at 2007-11-02 18:12 x
分水嶺、とても興味深く拝見しました。
 「川は海に流れていくんだよ!」と聞いてはいましたが、子供には太平洋か?
日本海か?と疑問が残るばかりでした。 ペンギンさんの様な先生がいなかった
のでしょうね。
 名句が生まれた背景も知る事が出来、ためになりました。
Commented by ciao66 at 2007-11-02 19:57
ここの標高338mというのは日本海・太平洋の分水嶺である奥羽山脈としてはおそらく最も低くなった場所の一つと思われます。奥羽山脈だと標高1000mから1500mは有るのが普通で、低い峠でも標高500m位は有る。(ちょっと地図で調べまてみました。)
 分水嶺にしてはとても地勢が平坦なのでこのような珍しい所が出来たのでしょう。
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