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3日目(その2:アヤ・ソフィアのモザイク画「デイシス」は最高傑作)

イスタンブール歴史散歩、2007年3月13日(火)の続きです。
いよいよアヤ・ソフィアに来ました。・・・ちょっと復習です。
 アヤ・ソフィアとは「聖なる叡智」を意味し、この聖堂が1000年間もの間、ギリシャ正教の総本山だったわけです。その後、1453年のファーティフ(メフメット2世)によるコンスタンティノープル陥落に伴い、イスラム教のモスクとして改造されて約500年の歴史、さらに1934年にトルコ共和国となった後は宗教施設でなく「博物館」として、現在の状態になっています。世界遺産。
↓ドームの直径は31m、高さは54mも有ります。世界最大のドーム。西暦537年ユスティニアス帝によって建てられたもので、なんと約1500年前の建物、この約1000年後にバチカンが出来ます。
大きな円盤はモスクにしたときに付け加えられ、今もそのまま残っています。イスラムのカリグラフィーです。日本の書道みたいなものですね。 
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 「1453年5月28日、コンスタンティノープル陥落の前夜、人々は・・・アヤ・ソフィア教会に集まり、・・・奇跡を求めて一晩中祈り続けた。夜が開けて、トルコ軍の先兵が・・・殺到し、扉が打ち破られた。」(・・・澁澤幸子の「イスタンブール歴史散歩」から)
 この歴史的影響について塩野七生はこう言っています。「西欧の人々は、ビザンチン帝国の滅亡によってはじめて古代ローマという母胎から切り離された痛みを感じたのであった。」  
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↓手前の釣りランプもモスク時代のものでしょう。
ちょっと見えにくいですが、右側に修復工事の為の足場が見えます。
前にも触れましたが、トルコでは文化遺産の修復が結構盛んです。
NHKの鎌倉アナウンサーが番組で、この凄い足場・・高さ50m以上ですよ!に登って、ドームの修復現場を取材していました。
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↓拝廊の天井。
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↓2階南回廊の東端にある有名なモザイク。美しいです。右は皇后ゾエ、中央は福音書を持ったキリスト、左はビザンティン皇帝のコンスタンティヌス9世で、持っているのは献金袋。
 ゾエは、11世紀のビザンティン皇帝の娘でしたが、皇位継承者を生むため50歳で結婚し、その後、2度も夫が死にその都度再婚し、最後の3度目の夫がモザイクの皇帝。彼女は72歳で死ぬまで若々しく美しかったらしい。
 キリストの目がちょっと右のゾエの方向を見ているように描かれています。 
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↓隣のモザイクです。中央は聖母子、左右はやはり別のビザンティン皇帝と皇后。
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↓モザイク画の最高傑作「デイシス(請願)」
です。感動しました!でも、肝心なところでデジカメがぼけてしまいました。
 左はマリア。中央がキリスト。ぼけたのでカットしたのがヨハネです。
ちゃんと映っているのはこちらをご覧下さい。(大阪ハリストス正教会HPです。・・・ギリシャ正教としてモザイクの宗教的意味の解説が詳しい)
ビザンティン・ルネサンス最盛期の13世紀の作品。
 先ほどのNHK番組で鎌倉アナウンサーが修復の技師とインタビューしていましたが、モザイクにはガラスも使われていて、反射する方向がさまざまになるように、角度を色々変えて貼り付けてあるとのことです。金色が美しいのは、素晴らしいガラス細工技術もあってのことの様です。
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↓デイシスの向かいに有る、床面なので気づかない方の多いポイントです。
第4次十字軍のリーダーのベネツィア人エンリコ・ダンドロの墓です。
 1453年のファーティフ征服の前にも既に弱っていたビザンティン帝国は一時征服されていた時期がありました。それが1204年、「悪名の高い」第4次十字軍です。ラテン帝国。
 「第4次十字軍によってヴェネツィアは、東地中海に数多くの拠点を築くことができたのだ。オリエントとの交易を国家反映の支柱とするヴェネツィア共和国の生き方は、このエンリコ・ダンドロによって基礎が築かれた。」(塩野七生:「緋色のヴェネツィア」)
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↓大きな壷は「大理石製」!当時世界でもっとも豊かな都市であったと思われ、ここの財宝は周りから羨望のまなざしで見られていたようです。
 ヴェネツィアのサンマルコ寺院はオリエント風で吃驚しましたが、まさにビザンティン建築。その中にあるバラドーロという凄い黄金の屏風はアヤ・ソフィアからダンドロが奪ってきたもの?壷は重くて運べなかった?
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↓聖堂出口の位置を「振り返ったところに有る」見逃しやすいモザイクです。
聖母の右はコンスタンティノープルの「街」を捧げるコンスタンティヌス帝(西暦324年~337年在位)、左はアヤ・ソフィア聖堂を捧げるユスティニアス大帝(西暦527年~565年在位)です。
(ローマ帝国の都をコンスタンティノープルに西暦330年に遷都したのはコンスタンティヌス大帝で、現在のアヤ・ソフィア聖堂を建設したのはユスティニアス大帝)
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↓そのモザイクの上の天井です。
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↓建物の外です。(入り口付近)・・・石が綺麗です。煤やほこり等有りません、建物は綺麗に修復されている感じです。素晴らしい。
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↓同じく外壁です。大変綺麗な状態で保存されています。
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↓入り口付近にごろごろしている石は当初のアヤ・ソフィアの遺跡です。
ここは二度建て替えられています。最初のは、先のコンスタンティヌス大帝の息子で西暦360年。これは暴動で破壊され、次のもニカの反乱で焼失。ユスティニアス大帝が今の建物を西暦537年に建てた。・・・ユスティニアス大帝とニカの反乱については次回また出てきます。
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↓ごろごろしている石に動物の絵が!らくだとやしの木。オリエンタルですね。
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↓南側からの外観。ミナレット(尖塔)はモスクになって付けられた。でも調和している感じがします。
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 トルコのミケランジェロとも言われる建築家ミマール・シナンは数多くの素晴らしいモスクを建築しましたが、このアヤ・ソフィアを越えることが目標だったようです。シナンは凄い建築家だと思いますが、アヤ・ソフィアを越すことは出来なかったように思います。
 隣に有るブルー・モスクも、同じくアヤ・ソフィアを越す、との意識でシナンの時代後、1616年に別の建築家によって建てられたようですが、やはり越えてはいないと思われます。
 アヤ・ソフィアはビザンティンのモザイク画もとても美しかったし、イスタンブールの歴史が凝縮している素晴らしいところでした。
 (3日目の散策はまだ続きます。)
by ciao66 | 2007-03-31 23:30 | トルコ旅行2007 | Comments(2)
Commented by はなみずき at 2007-04-01 16:21 x
この旅のハイライトでしょうか?素晴らしいの一言です。私も以前お話した様に
NHKの世界遺産で鎌倉アナの取材をみて旅心をそそられましたが、見終わった
時に頭の中に歴史的な事は何も残っていませんでした。
復習は大変分かり易く、助かりました。
コンスタンチノーブルの陥落により、この寺院は、キリスト教のビザンチン帝国から
イスラム教のオスマントルコ帝国の手に渡り、イスラム教のモスクとして生まれ変わった、という事でしょうか?
Commented by ciao66 at 2007-04-01 18:53
その通りなのです。数奇な運命と歴史の建物ですね。塩野七生の小説ではこんな描写です。・・・・征服したメフメット2世は、壁面を埋める見事なモザイクの色彩の洪水を愛でるかのように暫く眺めていたが、・・・「この教会をモスクに改造するように」と、言った。・・
 実際にモザイクは漆喰で塗り込められてしまいました。一方、モスクに必要な、説教台やメッカの方角をさす板やミナレット(尖塔)等が取り付けられました。
 そして、イスラムのモスクとして500年の歴史を経て、アタテュルクの革命で1923年トルコが共和国になった以降、政教分離の方針で、ここは博物館として保存することになったのです。
 漆喰に塗りこめられていたモザイクはここで甦りました。
現在、博物館で教会では有りませんのですから、モザイクの壁画は有りますが十字架はありません。一方、モスクに改造された時の諸々の痕跡は残されています。
どちらの歴史も残っているという点では有る意味でとても不思議な建物です。
 アヤソフィアは是非行きたかったところでしたが、行けて良かったと思います。
・・・・・・・旅はまだ続きますので、いろいろ面白いことも起こります。お楽しみに。
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