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松島の扇谷「幽観」・「双観山」・「西行戻しの松」

2006年12月16日(土)
 久しぶりに松島に行ってきました。我が息子の運転免許が取れたので、実地練習!というわけで、レンタカーに若葉マークをくっ付けて同行というわけです。
 松島は電車で行ったほうが早いのですが、「松島四大観」といわれる展望スポット等は「山の上」に有りますので車の方が便利。今日は、「四大観」の一つである扇谷の「幽観」→「双観山」→「西行戻しの松」と行きます。
写真は「西行戻しの松」から見た景色です。ここが一番でした。
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 松島湾は、暗礁が多く有る→外来者にとっては航行が困難→江戸時代、伊達政宗によって暗に「軍港」と見なされ、瑞巌寺を始めとした伊達家直轄施設が暗に軍事施設として多く建設された。
 松尾芭蕉が、松島を始めとして仙台藩の城・要害・関所などの主要軍事施設を回っていることから、隠密説・スパイ説がある。
・・・・というのはwikipediaです。
続きはMoreをクリック。






 続きです。・・・その隠密かもしれない松尾芭蕉ですが、『奥の細道』には、あの有名な「松島やああ松島や松島や」の句は無く、これは狂歌師の田原坊の作。
 ただし、その場で句が思い浮かばなかったのは事実のようで、『奥の細道』には、同行した弟子の河合曾良の句・・「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」が掲載。また別の説では、句は詠んだが景色に釣り合うよいものができなかったともいわれる。
 アインシュタインが訪れた際に「どんな名工の技も、この美しさを残すことはできない」と同行者に言ったとされる。(以上wikipediaから要約・抜粋)
↓始めに行きましたのは、「四大観」の一つである扇谷の「幽観」です。舗装もしていない道を行き、車を置いて紅葉の枯葉がなんとも美しい道を登ります。
松島の扇谷「幽観」・「双観山」・「西行戻しの松」_f0100593_20451833.jpg

↓ちょっと曇りでいい写真は撮れませんが、こんな感じです。
松島の扇谷「幽観」・「双観山」・「西行戻しの松」_f0100593_20495686.jpg

次に行ったのが、「双観山」、先ほどよりは海側に有りますので、島が近くに見えます。車を置いて登っていくと、落葉の美しい散歩道(↓)。
歩いて登りきった茶屋の所に駐車場が有りましたので、車でもここまで来れたようです。
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↓下から見た景色は島が近く迫力あります。左手の赤い橋は松島湾福浦橋。福浦島は散歩すれば面白いところです。
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↓「双観山」頂上からの景色はいまひとつかな。
松島の扇谷「幽観」・「双観山」・「西行戻しの松」_f0100593_1072169.jpg

↓むしろ、紅葉の名残が美しい!落ち葉の散歩道の紅葉はコレ。松との対比が見事。
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↓もう一つ、別アングルで。
松島の扇谷「幽観」・「双観山」・「西行戻しの松」_f0100593_2057161.jpg

扇谷の「幽観」と「「双観山」地図はここ
↓次は松島パノラマラインを通って、「西行戻しの松」に来ました。冒頭の写真の場所です。
ここは、西行法師が松の大木の下で出会った童子と禅問答してなんと、負けてしまったという場所です。
どの松が「西行戻しの松」かは?ですが、「松」は複数かも知れません。
「松島」と言う位ですから確かに松は多いのです。
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↓ここから見た松島の島々。・・・曇りで明るさ等を修正、曇りの写真は苦労します。
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↓最後は、「椿」意外な場所で咲いていましたね、と思いましたが、「山茶花」かも知れません。
よく似ています。花がポトリと落ちるのが椿らしいのですが・・・・
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「西行戻しの松」の地図はこちら。(JR仙石線の松島海岸駅からも歩いていけそうな感じです。)

 観光客も少なくゆっくり見れましたが、今回は皆さんが行くメインスポットの瑞巌寺や観瀾亭、五大堂には行きませんでした。いずれ、「雪の松島」も見てみたい感じですね。

「芭蕉隠密説」について調べてみました。
・・・・忍者であるという説は、伊賀の上野生まれということと、古くから俳諧師は旅をして暮らし、情報収集を伴ったことから、盛んに論じられてきた。
 「おくのほそ道」の旅に同行した河合曾良の旅日記『曾良旅日記』は『おくのほそ道』の記述とは出発日始め多くの相違点があることが判明。
また、日程も非常に異様で途中の地では多く連泊しながら、出発の際に 「松島の月まづ心にかかりて」 と絶賛したこの松島では、一句も詠まずに一泊して通過している。
 この異様な行程は、仙台藩の内部を調べる機会をうかがっているためだと考えられる。
また、『曾良旅日記』には、仙台藩の軍事要塞といわれる瑞巌寺、藩の商業港・石巻港を執拗に見物したことが記されている。
曾良は幕府の任務を課せられ、そのカモフラージュとして芭蕉の旅に同行したといわれている。
・・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E8%8A%AD%E8%95%89から抜粋・要約。
 
 一方の伊達藩側も幕府に対抗して独自の「隠密」を持っていたわけで、その本拠地が仙台に残っています。・・・当ブログでも取材した仙台の大日如来は表向きは、「山伏寺」、しかし、裏では、伊達家の「間諜」の本拠地でした。平時は「寺子屋」として町人の子供を教えていたらしい。

 ところで、今回は、我が息子の車の運転練習を兼ねていた訳ですが、夕刻に仙台無事帰着。街中の練習もホンダのカーナビ情報で、渋滞を避けて行けましたのでスムーズでしたが、5時頃急に込みだして、仙台では珍しく、レンタカー屋の200m手前で、「全く進まないよ~」状態に。
 いつも12月は車が込みますが、土曜のSENDAI光のページェント@定禅寺通を目指す車が渋滞に拍車をかけたと思われます。皆、歩いてじっくり見てね!
by ciao66 | 2006-12-17 14:02 | 仙台散歩 | Comments(2)
Commented by TAKUCHAN at 2006-12-18 16:48 x
なかなか写真のアングルが素晴らしいですね。仙台生まれの私より仙台の地理や歴史にかなり明るいようですね。家の次女も美術を専攻しており、福島県立美術館に先日行ってきましたよ。4月からは箱根の近くの中学校に美術教師ちして赴任するかも?
Commented by ciao66 at 2006-12-18 20:11
福島編・箱根編まで見て頂いてコメントまでどうも有難うございます。仙台在住16年ですが、地理・歴史は明るいのではなく、興味あるこことをその都度調べて記事にしているのです。調べて色々判るとちょっと嬉しい感じもしますし・・・自己満足?
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