二日目の午後は曇り空の坂道を登って到着した、洛北の曼殊院門跡から始まります。
門跡というのは、皇室一門の方々が住職であったことを意味しますが、この寺は最澄により1108年に創建、門跡となったのは1495年、現在の地に移転したのは1656年。
(午後は妻とは別行動で私の一人旅となります。)
こちらは通用門で、参観の入り口です。
書院からの眺めです。
紅葉時はさぞかしという感じですが、建物の右端は工事中でした。
ここでガイドさんに連れられた一行と遭遇したので解説を便乗してお聞きしました。
曼殊院のお庭には良尚法親王の母からの贈り物の「
キリシタン灯篭」があって、デザインの中に十字架が隠されている。(上から見ると判るらしい)という興味深い話でした。(親王の母、八条宮家の常照院は キリシタン大名の宮津藩主 京極高知の息女。)
亀の上に乗ったツルです。
小書院の赤い毛氈。
坪庭の小さな石庭。
こちらが勅使門(正門)です。ぶらぶら歩いて、詩仙堂の門前まで来ましたが、時間の都合でここはパスします。
(紅葉時にでもまた来れたらいいなと。)
詩仙堂を通り過ごして、金福寺にやってきました。
コンと叩いて、受付をお願いします。
864年慈覚大師により創建されたお寺で、その後お寺を再興した鉄舟和尚と松尾芭蕉との交流が有り、芭蕉が京都滞在する際の定宿となっていたとのこと。
質素な造りですが、かえって風情は有ります。
その後、また荒廃したお寺を再興したのが蕪村。蕪村ゆかりのお寺でもあります。
蕪村の造った芭蕉庵が、京都を一望できる高台に有ります。
芭蕉庵です。
高浜虚子のゆかりの地でもある。
蕪村のお墓です。
蕪村が春に詠んだ句。
京都一望の眺め、夕暮れ時の雰囲気です。
このお寺は花の生涯のヒロイン
村山たか女のゆかりの寺でもあり、登場人物が多彩な興味深い所でした。
案内図の右下付近が現在地。
次回は修学院離宮の巻です。