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天王山に登ってみる。山頂には秀吉の造った城跡が有った。

前から一度登ってみたいと思っていた天王山ですが、念願かなって阪急大山崎駅からスタートして、宝積寺の門前まで来ました。晴れ男なのでお天気はばっちりです。
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行基が創建したというお寺を抜け、しばらく行くと観光案内版の鳥瞰図が有りました。
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地図のルート図はこちらです。
山の帰りに大山崎山荘の美術館に寄ります。
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駅のそばの大山崎町歴史資料館を午後1時20分に出発し、25分経過、
途中の青木葉谷展望台で小休止します。
淀川の下流方向の眺めですが、大阪のビル街まではっきり見えます。
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昔は勿論ビルなどな、あたり一面田圃ばかりだったでしょう。

ここには大きな陶板画の「秀吉の中国大返し」が有りました。
歴史を偲びながら登山が出来るので、とてもいいアイデアです。
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さらに数分行くと阪急大山崎駅から1.4kmという標識があります。
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この先少し行くと鳥居の脇に展望台を発見。
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その脇にあるのが「旗立松」と呼ばれる松で、ここは秀吉が天王山の合戦の時に旗印を揚げた歴史的な場所なのです。(その時代の松は枯れて、最近植え替えられたもの)
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旗立松からの眺めです。北東方向には京都が遠望できます。
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東方向の眼下には京都縦貫道の高架が見え、その右手は名神高速の大山崎IC&JCTです。
その付近がちょうどが天下分け目の合戦場だったところ。遠景は伏見辺り。
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山崎の合戦の陶板画です。時は天正10年(1582年)6月13日。
三つの川が合流する山崎、左は京都方向、明智光秀の軍勢、
右は大坂方向で、豊臣秀吉の軍勢。
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もう一枚の陶板画は合戦の進んだ様子です。
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さらに上を目指して登ります。
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ここの歴史スポットはもう一つあって、明治維新前の幕末のもの。
十七烈士の墓です。長州藩士が禁門の変で敗れて、自刃した場所でした。
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更に登ります。竹藪が美しいのは京都ならでは。
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竹藪を過ぎると酒解神社です。
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雰囲気のある山道。
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もう少しで山頂です。
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山頂の陶板画・・・「秀吉の天下人への道はここから始まった」。
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木の枝にかけられた天王山の標識。
高さ270m、大山崎駅から55分の山登りでした。
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山頂からは樹木で眺めはあまり有りません。
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この山頂にはお城が有った!合戦の後に出来たのですが、僅か2年後に取り壊された。
秀吉が造ったお城の土塁は残っています。
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山崎城跡の説明版です。
お城が有ったのは一時期なのですが、その存在は全く知りませんでした。
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山頂の樹木の隙間からの眺めです。
大阪方向でしょう。
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下山します。山崎聖天への分かれ道には「大木が倒れて通行できません」と看板が有りましたが、地元の方に聞いたら全く問題なしとのことで、そちらに降ります。
(確かに木は倒れていましたが、通れるようになっていた)
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山崎聖天です。
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午後3時に下山しました。
ふもとにあったお稲荷さんです。
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このあとアサヒビール大山崎山荘美術館に行きます。
次回に続く。
by ciao66 | 2015-10-03 19:04 | 関西うろうろ | Comments(6)
Commented by Clearwater0606 at 2015-10-03 20:49
陶板画って、良いですねえ。劣化もしにくそうだし、質感もあって素晴らしいですね。でもかなり高価なのかな?

今回のレポートも見所満載ですね。
Commented by ciao66 at 2015-10-03 21:49
陶板画は絵柄が素晴らしく横には説明文が有って合戦前後の歴史がよく判りました。http://oyamazaki.info/archives/722
陶板画は白磁の板に何度も焼付作業をして、持ちもいい代わりに手間とコストもかかっているそうです。
Commented by ひろし at 2015-10-04 07:43 x
とても良い天気!ほんと晴れ男ですね。

山崎の合戦の陶板画の写真を、興味しんしんで拝見しました。
この合戦、明智光秀の負け方が見事すぎて、いつもなぜだか???
いろいろと妄想を楽しめる合戦のひとつです。本当は、秀吉と光秀は通じていたとか・・・
裏がありそうと思いたいのですが秀吉4万の軍勢に対し明智1万6千では勝負にならなかったかも知れませんね。
Commented by ciao66 at 2015-10-04 09:24
歴史をあれこれ空想するのは面白いものですが、本当は、秀吉と光秀は通じていたという説は初めて知りました。映画GOEMONのストーリーでしょうか?信長暗殺の首謀者が豊臣秀吉で、暗殺をそそのかされたのが光秀だったという!
私は山頂にあったお城の跡に興味津々でしたが、これもなかなか面白い話ですね。
Commented by ひろし at 2015-10-04 22:32 x
映画GOEMONのストーリーは、知りませんでした。とても面白そうです!秀吉陰謀説そのものですね。
私は、大昔、歴史好きの友人から偶然聞きいた話を思い出しました。
光秀は、織田軍の中でも鉄砲隊を使うのに一番慣れていた武将のはずが合戦直前に鉄砲隊に川を渡らせていたとか?
用心深い性格と伝えられている光秀が敵にとる行動とは思えなく、その後の行動にも謎が多いとの話でした。
真実は、わかりませんが面白く考えさせてくれますね。
Commented by ciao66 at 2015-10-05 17:44
ひろし様、歴史は勝者が都合のいいように書くのが通例なので、書かれていない真実はどうだったのか想像するのは面白いですね。明治維新についても最近あれこれ言われているようですが・・・。
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