先週は久しぶりの関西旅行で、京阪神を3泊4日で慌ただしく回ったのですが、
まずは京都編から。写真は京都国立博物館の噴水です。
ここはクラシックな「明治古都館」自体が見ものです。
出来たばかりの新展示館では「
京へのいざない」と題して所蔵品の展示でしたが、
仏像はピカピカに磨かれ、照明されているためでしょうか、
お寺の暗いところで見るよりもその美しさが判る感じがしました。
さて、下の図は豊臣秀吉の造った大仏殿の跡を青い色で示したもの。
今回オープンした平成知新館はその敷地の跡に建っていると判ります。
丁度この池の辺りが京の大仏殿の南之門であったところ。
京都国立博物館のお庭にはまだいろんな見るものがあります。
まずは老ノ坂峠にあった「山城・丹波国境の標識」です。
次は三条大橋と五条大橋の橋脚の石柱です。
そして、五条大橋の橋げたと橋脚です。
橋の土台の石です。
最後の丸い輪は何でしょう?
京の大仏殿の太い柱を固定した鉄の輪です。
正門を出て振り返ります。
ドームの付いた門柱?が格調高い。
正門わきの大きな石垣です。これも大仏殿の遺構。
博物館のお隣は豊国神社。ここも大仏殿の敷地内です。
その隣の方広寺から豊国神社を望みます。
方広寺は巨大な大仏殿があったお寺でしたが、今は敷地は小さくなっています。
大仏像も奈良の大仏よりも大きかった。
方広寺の鐘楼。
いわくの有った鐘です。これを見に来ました。
美しい天井。
黄色い矢印の先には・・・。
「国家安康 君臣豊楽」の文字に囲みがしてあります。
「国
家安
康」の部分は家康の名を分断したと、家康からクレームを付けられて、
最終的には大阪城の濠を埋められ、豊臣滅亡に至った、その鐘です。
別の何かを書いても、家康はそれに応じて別のクレームを考えついた?
クレームの付いた鐘が良くそのまま残っているものです。
最後にもう一つ、修復を要する隣国関係の遠因、暴走した秀吉の造った「耳塚」です。
時間は戻り京都駅ビル内の「田ごと」のランチです。
以前行った大丸京都店内の「田ごと」のほうが薄味で京料理らしかった。
お店によって違いは有るでしょうが・・・・。
旅行出発前日は台風で大荒れでしたが、次の日はセーフ。
帰った後も、明日には次の台風が来るそうで、まるで間隙を縫ったような旅行でした!
次回は建仁寺の巻です。