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21. 国立ウンブリア考古学博物館は眺めのいい古い修道院だった。

 ちょうどお昼頃、国立ウンブリア考古学博物館に到着です。
ここは昔のサン・ドメーニコ修道院の建物がそのまま残っていて、
回廊などが博物館として利用されています。
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2階の回廊からガラス越しの光景です。
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お隣のサン・ドメーニコ教会の全体像もここからよく見え、
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ウンブリアの緑の景色もよく見えます。
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さきほどの、サン・ピエトロ教会の三角の尖塔も、
ここからの塔の眺めが一番美しいのでは、と思われる景色でした。
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左手方向はペルージャの街並み、眼下は緑一色。
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中央の眺めは、見渡す限りのウンブリアの広い大地。
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東のほうには遠い山々が見えます。
イタリアのちょうど背骨をなすアペニン山脈(アペニノ山脈)でしょう。
写真でうっすらとしか写っていませんが、目ではよく見えたのが・・・
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残雪をかぶった シビッリーニ山でした。
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この博物館自体がなかなかの絶景スポットなのでした。

さて、ここは博物館なので展示物のほうも見てみましょう。

これは、ペルージャの昔の風景画です。(こういう絵は私好みなのです。)
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ペルージャの攻防戦でしょうか?
ローマが攻めてきたところ?
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こちらは何でしょう? 答えは石棺とその蓋です。
時代は多分紀元前のもので、エトルリア人が作ったものです。
(素朴な感じが素敵ではありませんか。)
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屋根の形の蓋に文字が有りますが、これはエトルリア文字です。
右から左に読むらしい!
今のアルファベットに似ていますがこちらのほうが古いのです。
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こういった遺物が多く残っていますので、読み方は判っているのです。
でも、いまだ意味そのものは未解読の、謎の文字!
(この女性、穏やかなオリエンタルな雰囲気ではありませんか。)
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紀元前にはローマよりも発達していたエトルリア文明なのです。
その言葉が、解読されずに残っているのは、不思議なことです。
(この女性はさらにオリエンタルな雰囲気で、インドの像かと間違えそう)
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ローマの勢力拡大で、その支配下に入ったエトルリアでした。
ローマとしては征服した文化は尊重し、共存するはずでした。
それなのに、絶滅した文化に!

残っているのはお墓の石や壺など・・・。
そこにあるのは人の名前や断片的なものばかりで、
解読できる長さの文書は残っていないのです!!
当時文書が無かったわけはなく、それが、消えてしまっているという謎。

(エトルリアのレスリングでしょうか?)
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博物館の地下には、先ほど見たような石棺が並んでいます。
(石棺は本物。発掘場所はここではなく、その様子が再現されている)
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エトルリアの壺です。
(ギリシャにも似ている感じがしますが、やはり独特なもの)
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ガラスの器です。壊れ物なので貴重品でしょう。
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(ここからは想像の翼を広げたお話=余談です。)

 さて、消えてしまったエトルリアの文書の数々、
なぜ消えたのか「歴史の謎解き」をしてみましょう。

 消えた文明の謎は世界各地にありますが、
後世のものが自由に想像の翼を広げられるのも、謎となった歴史ならでは。

私の想像では、

ローマの勢力下になり、エトルリアはしだいにローマに同化していったものの、
エトルリアの文化上大切なことや、宗教上のある行為の禁止など、
我慢の限界点とおもわれる事件が起こり、
誰かが立ち上がった。

軍事的にはもうパワーはないにもかかわらず、エトルリア人としては
誇りを傷つけられ、もう反抗せずにはおかれないような事態。

ところが、
ローマ帝国の勢力下に入るものには、
保護を与え、宗教・文化の一定の自由を保障するが
反逆する者は徹底的に弾圧する・・・これが当時のローマの論理。

エトルリアの反乱はすぐに鎮圧され、
続いて、
反抗が二度と起きないように対策が取られた。
それは
普通の戦争ではない、文化に対する戦争。

エトルリアの文書は徹底的に破壊され、
紙は燃やし、石に書かれた文字さえ
(お墓以外は)すべて削りとられた。
お墓の文字だけが残った。

ローマに文化的な抹殺をされてしまったエトルリア。

そして、抹殺したローマの行為自体も、
その記録を残さないように完璧に抹殺された。

素晴らしいローマ帝国も、素晴らしいことばかりではなく、
隠したいこともあった。
征服はともかく、エトルリア文化の抹殺は、
隠したい行為、だったのでは。
アーチの技術をはじめ、多くをエトルリアから学んでおきながら。

それで謎が残った。
お墓の文字とともに。

(私の想像はこれでおしまい。
・・・翼をたたんで、続きの旅行記へ)

 さきほど、エトルリアの本を見つけたので、図書館に予約しました。
「エトルリア文明―700年の歴史と文化」
私の想像が訂正を要するものだったら、のちほどご報告いたします。

 ところで、博物館はPerugia Citta Muzeo Cardが通用します。
ペルージャの見どころ5か所が€10で済み、48時間通用という優れもの。
(私は最初の見どころ、サン・セヴェーロ礼拝堂で買いました。)

 博物館に着いたのはお昼頃でしたので、見るより先にランチ。
博物館の職員が建物の外まで出て、あっちですよと、教えてくれたのがここ。
公務員としては、なかなかここまでは無いだろう親切さでした!

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ここはBiancaというところ。
12時ではまだ誰もいません。このあと続々増えましたが。
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オーダーしたのはこれ。
前菜の大きいやつです。€13でお手頃、美味しかった♪
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さて、同じ道を戻って、見覚えの有るサンテルコラーノ教会に来ました。
時刻は2時半頃、ここを左へ曲がり・・
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明るい光のまぶしい、インディペンデンツァ通りに出て、
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美しい城壁の下まで来ました。
(木の影がくっきり!)

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旅の続きは次回へ。

by ciao66 | 2014-07-03 08:02 | イタリアを歩く2014 | Comments(8)
Commented by ciaomami at 2014-07-03 16:48 x
想像のエトルリア人のお話。ユダヤ人とダブりました。
もし想像が本当にことならば、私はローマ人を嫌いになったことでしょう~。
そう考えると、無知なのも悪くないかなぁって思います(^^)
そのおかげでイタリアが大好きでいられるし、人生の楽しみをみつけられたのですもの♪
Commented by ciao66 at 2014-07-03 17:52
エトルリア文字の消えた謎は、永遠に謎かも知れず、
ローマファンにとってはその方が良いのかもしれません。
余計な想像を、お聞かせしてしまったら、ごめんなさいなのですが、
そんな想像をしつつも、私は古代のローマは嫌いでないどころか、
それでもなお素晴らしいと思っているのですが・・・。(完全無欠はないかと・・)
Commented by cahieretstylo at 2014-07-03 21:50
博物館の窓から見える景色が美しいですね。
特にサン・ピエトロ教会の尖塔が見える写真が好きです。
遠くに雪をかぶった山が見えるのもすてき。

エトルリア文明のことは恥ずかしながらまったく知りませんでした。
授業では出てきた…のかな…?(汗)
文字は発見されているのに読めないとは、消えた文明への興味は尽きませんね。
残ったものを見ることで、優れた文明であったことが伝わります。
Commented by 変愚院 at 2014-07-04 09:10 x
考古学博物館から望む残雪の山々…山好きの私は、まずこの光景に引き付けられました。
数々の展示物の中でも最初の風景が良かったです。
消えたエトルリア文明についてのciao66さんの考察も勉強になりました。
Commented by ciao66 at 2014-07-04 09:19
cahieretstylo様、博物館が絶景ポイントとはガイドブックにも載っていなかったので、これは予想外の嬉しい出来事でした。
尖塔の遠景と、雪山の遠景を気に入っていただいて、良かったです。

 (図書館で借りたエトルリアの本を読み始めました)
 石棺の女性像の雰囲気から感じられたように、 エトルリア文明はやはりオリエントの影響も受けていたようです。それはフェニキアとギリシャを経由して伝わった!もちろんギリシャの影響も受けた。
 当時鉄の産地で、交易にフェニキア人がイタリア半島に来たというのがきっかけ。何しろ紀元前8世紀という、ヨーロッパでも古い起源をもつ文明なのでした。
Commented by ciao66 at 2014-07-04 09:31
変愚院様、遠望する山が雪をかぶっていると、目立ちますね。
仙台近郊でも蔵王などよく見えますが、ここもそんな感じがしました。
イタリアの山の風景は意外に日本に似ていたりします。
もっとも、イタリアでもアルプスのふもとへ行くと、全く違う景観になりますが。

謎のエトルリア文明ですが、とても惹きつけられるものがあります。
ヨーロッパ文明なのにちょっとオリエンタルという不思議な感じがいいのかもしれません。
Commented by milletti_naoko at 2019-11-05 19:55
元修道院自体が高みに建っているので、上階からの眺めがすばらしいですよね。わたしたちが日曜に訪ねたときは天気が悪かったのですが、ciao66さんが訪ねられたときは、青空が広がり、見晴らしがいいですね。シビッリーニ山脈まできれいに見えるなんて。

11枚目の写真は、古代ローマ軍がペルージャを包囲しているところです。解説パネルを読む時間がなかったので、あとで読もうと説明の写真を撮りました。またいつかご紹介できればと思います。

骨壺も同じものを撮影されている写真があって、やはり印象に残るものは共通のものが多いのですね。エトルリア語は現代では、かなり解明が進んでいて、ローマの国立考古学博物館でも、出土品に刻まれたエトルリア語は、大半が理解可能だそうです。骨壺の絵は神話の場面を描いてあるようで、展示パネルにそれぞれの場面の解説があり、147の骨壺の絵は、ギリシャ神話で、もてなしに対して死をかけての格闘で応じたA'micoを、Polluceが打ち負かして、命は奪わず、木に縛りつけた場面だそうです。道徳的意味があるのだそうで、もてなしてくれた人に恩知らずで失礼なふるまいをするなということでしょうか。
Commented by ciao66 at 2019-11-06 15:40
milletti_naokoさん、コメントをどうも有難うございます。未解読で永遠の謎と思っていたエトルリア語の解明が今では進んでいるとは知りませんでした!レスリングの絵かと思った147番の骨壺の絵は実は神話の場面を描いてあって、ちゃんと意味が分かったということ、素晴らしいですね。

 謎だったエトルリア語の解明について、日本語ではあまり参考になりそうな資料も少なく、もっとあれこれ知りたいような気もします。

 晴天に恵まれて、素晴らしい眺望と展示物が揃った博物館を訪れたのはとても幸いなことでした♪
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