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第32話:ザッテレ河岸散歩続き・・・時空を超えた光と影

2009年4月28日(その14)
ザッテレ河岸散歩の続きです。
明るい午後の日が当たった階段。影が長く伸びています。
小運河を超えるこの橋は、Ponte agli Incurabili (治る見込みのない人の橋)、です。
なんと奇妙な名前でしょう。
 ここは、中世のヴェネツィアで、不治の病にかかった人を収容した病院が有った場所です。
治る見込みのない人は梅毒にかかった気の毒な娼婦のことで、
須賀敦子さんはここを訪れ、『ザッテレの河岸で』に、ここのことを書いています。
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橋の名前の案内板に、Ponte agli Incurabili(ポンテ・アリ・インクラビリ)と有ります。
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須賀敦子さんの小説のような随筆、『ザッテレの河岸で』は、以前、読んだような、見たような、気がしていましたが、思いだしました。
NHKのTV番組、たぶん、~作家・須賀敦子の軌跡~というの番組で、
アナウンサーが朗読しているのを聞いたのです。
検索してみますと、2000年7月頃、でも後の再放送だったかもしれません。
そのときのヴェネツィアの路地や運河の画像は、余り記憶にないのですが、朗読から、須賀さんの思い・・・弱い者、迫害されたものへの思いが伝わり、心を打たれたのです。

橋を越え、Rio degli incurabili (治る見込みのない人の運河)を渡ります。
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渡ると、その元は病院 だった建物が有ります。
中世ここは、Ospedale deli Incurabili (オスペダーレ・デリ・インクラビリ・不治の病の病院)でしたが、その後、名前はそののままで、救貧院などに変わり、
今は、Accademia di belle arti di Veneziaという、芸術文化関係の、病院とは無関係の施設になっているようです。(ヴェネツィアの救貧院の歴史はこちら。)

仕事が終えた勤め人でしょう、人が建物から出て来ました。
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‘ex Ospedale deli Incurabili ’という文字が、確かにその病院跡であることを表しています。
(看板の下。治る見込みのない人の病院跡=エクス・オスペダーレ・デリ・インクラビリ)
明るい河岸の光景と、悲しい歴史。
ここでは、時空を超えた光と影を見た感じがしました。
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コントラストの利いた一枚。右手が病院跡です。
通って来た道を振り向くと、物悲しい感じ。これから向かう前方は明るいのですが・・・
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遠くに、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会が見えて来ました。
ジュデッカ運河の海面は、高くなっていて、河岸すれすれ、海が押し寄せているように見えます。
サ・マルコ寺院で見た、アクアアルタと関係が有るのでしょう。ヴェネツィア水没の危機。
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木杭が並んでいます。
右手向うには、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の島、左手画面奥は、サン・マルコ方面です。
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元「塩の倉庫」に来ました。まだ道が続いています。
でも、海の税関まで続いているでしょうか。行ってみます。
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海の税関です。
大運河の入口に有り、金のボールを載せた姿は、サン・マルコ広場の鐘楼からよく見えました。
でも、残念ながら、道はここで終わり、大運河入口の「突端」に有る金のボールまでは行けません。
ここでUターンをして、ぐるっと廻り、大運河入り口そばのサルーテ教会に向かいます。
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ここで見た、夕日にあたるサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会。
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鐘楼の時計は午後7時前、大運河に面したサルーテ教会に着きました。(Santa Maria della Salute)
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次回は、サルーテ教会から、いよいよヴァポレット(水上バス)に乗り、海を行きます。


by ciao66 | 2009-06-23 08:02 | イタリア旅行2009 | Comments(8)
Commented by 変愚院 at 2009-06-23 09:23 x
「不治の病の病院」…美しい景色の中に悲しい歴史が残されていたのですね。
不幸な人生を送ってきたに違いない娼婦たちが、どんな気持ちで希望のない日々を送ったのかを思うと、心が痛みます。
ジュデッカ運河の水面が岸近くまで波打って盛り上る写真を見ると、運河が海の一部でヴェネツィアの町が水没の危機にあるといわれていることが実感されます。
次回のヴァボレットのクルージング、楽しみにしています。
Commented by ciaomami at 2009-06-23 18:41 x
病院跡が今では美術学校。。。日本なら縁起が悪いと建物は取り壊されるでしょうね
イタリアの価値観に触れた気がします。
Commented by ciao66 at 2009-06-23 20:56
変愚院さん、
ここは、世の中に捨てられた人が気の毒にも収容された所だったと思われるのですが、
別の面では、不治の病で余命いくばくもない人が最後の時間を心やすく過ごすための施設でも有ったのかもしれません。
いずれにしても、慈善活動と見捨てられた人への共感とに支えられていたのだと思います。
@@@@@@@@@@@
船がら見るヴェネツィアも素敵です。お楽しみに・・・。画像整理中です。
Commented by ciao66 at 2009-06-23 21:35
ヴェネツィアの歴史的建物は、外壁・壁色・屋根の瓦に至るまで外観は維持し、改装も許可が要る、この規制で景観を維持しているのだと思います。
規制自体はイタリアの他の都市の歴史的地区も同様と思われますが、ヴェネツィアでは特に自動車無しなので、船+手押し車での工事となり、工事も大変で、また、食料品も含む物資運搬費の高さは、ヨーロッパで一番高い、といわれる物価につながっているようです。
 イタリア語しかないサイトでよく判らなかったのですが、Accademia  di・・・・というのは美術学校だったんですね。
芸術関係というは分かったのですが、結局何だろう?と思っていたのです。・・・ciaomami さんのお陰で判りました。
Commented by mamejiro19 at 2009-06-24 00:09
そんな悲しい歴史のある場所もあるんですね・・・。なんだか情景が頭に
うかんできました。振り向いて撮られた写真がなんともいえない雰囲気
を醸し出してますね。
ところで、さきほどリンクうまくできました!
よろしくお願いいたします。私も早く旅行記を書きたいものです・・・。
Commented by はなみずき at 2009-06-24 00:12 x
時空を超えた光と影・・・この話にふさわしい情景の写真は
夕暮れのせいか、悲しい歴史のせいか、もの悲しさが伝わって
きます。どこを写しても絵になるヴェネツィァの情景を
日替わりで見せてもらえる贅沢・・・
Commented by ciao66 at 2009-06-24 06:04
たまたま、その話を知らなければ、何でもない明るい素敵な場所。
でも、悲しい歴史を知っていると、ちょっとしんみりしました。
mamejiro19 さん、リンクどうも有難うございました。こちらからもやってみます。
Commented by ciao66 at 2009-06-24 06:17
はなみずきさん、時空を超えた光と影、というのは、もう一つ有って、それはキリスト教会の光と影、のように思います。
光は清貧のフランチェスコ会を中心にした善意に支えられた献身的な慈善事業。
影の部分は、大権力者になってしまった教会という面で、教会みずから世の中に捨てられた人を作りだし、排除した。
 梅毒以外にペスト患者、ハンセン病患者なども世間(=教会権力)から業悪のせいでなった、とみなされたり、捨てられたのを、別の教会であるフランチェスコ会などの修道院が救護して救ったようです。
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